2017年2月9日木曜日

[5888] 年齢Ⅲ

●年齢Ⅲ:マンダラ
 たまに自分の好きな昔の画家の画集を見る。絵とその絵を描いた画家の年齢で画家がその時何を考えていたのかが解る。絵とはとても抽象的なものなのに、言葉以上にアラユルコトを語っている。だから好きな作家の絵それぞれに善し悪しはない。成長という歩みがあるだけだ。
 作品を善し悪しで見てる意見を聞くことがある。ほとんどの人は自分の好みで見たり求めたりするのは別にいいのだが、善し悪しまで判断するのは行き過ぎだ。善し悪しは個人の俗世の経験値による価値判断であり、信じるに値しない。善し悪しに縛られると大切なものを見失う。
 絵とは全体が精神内外のマンダラみたいなもので、見る人の選んだ作品によって、今、その人がマンダラ上のどこに居るかがおおよそ解る。自分の足元を確かめるにはとてもいい。絵を見るとは画家と観客のお互いが得体の知れない共通のマンダラの上に点と同時に全体として存在していることを確認できる。片や画家はそのマンダラを手探りで色や線でなぞりながら新たな広がりや細部空間を視覚的に明確にしていき、片や観客はその明確になった絵をなぞりながらより大きな空間マンダラと自分とがシンクロする一瞬を体感する。
 好きな画家の画集から、画家が今の自分の年齢の頃、どんな絵を描いていたのか、その前後がどんな絵だったのかを見てみるといい。いつもより自分のことが少し明確に解り豊かになれる。

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