2019年4月5日金曜日

[6673] 台所とトイレ

台所とトイレ
 蕎麦を打ち、他所の家の台所を借りて蕎麦を振る舞う青年がいる。出張板前かと思いきや金は取らない。あくまで趣味。家主が食っている間、自分は食わずに見ているという。それはいかん。トイレを覗かれているような気分だ。家には食べる準備のための台所と排泄するトイレが必ずある。上下水道で街と繋がっている大切な水の流れの一部だ。台所とトイレは同じくらい大事な場所なのだ。あまり他所の人に勝手にいじられたくはない所でもある。そこを覗いたり占拠するのだから僅かながらある種の不快感を覚える。そこで一案。一緒に作って一緒に食べるパーティ気分にするなら不快は愉快に変わる。のんびりお酒も飲める。
 台所とトイレで思った。
 19世紀までヨーロッパ人の家にはトイレがなく、おまるに溜めた排泄物を窓から道に捨てていたという。そこで生まれたのが糞を踏まないためのハイヒールと臭さを誤魔化す香水だと言う。どんどん上書きする民族ですね。アメリカ映画を見ていて、トイレに食い残しやいらない薬などなんでも捨てる映像を見ることがある。かなりの違和感を覚える。日本では19世紀にはもう既にトイレはあり、排泄物は野菜の肥料として農家に回されていた。台所とトイレとが繋がる循環型を心得ていた民族ですね。現代でもどの国よりも発展したトイレ文化大国なのだ。
 ところで原発を『トイレのないマンション』と喩えることがあるが、原発は欧米ソ連などが考え出したものだからやはりトイレがないのだろうか? 家にあるのは台所だけでトイレがないなんて、トイレ文化大国の日本として、それは問題だ。日本はヨーロッパの上書きの真似事も大概にしたほうがいいのかもしれない。ちなみにヨーロッパから来た油絵は塗り重ねる上書きで、我が画法ペリペリは水彩で上書きを剥ぐものだ。
 昨晩はとても美味しい上品な蕎麦であった。出張蕎麦はとても面白い趣味だと思う。出張蕎麦青年は車なのでお酒が飲めない。蕎麦のお礼に美味しいお酒をあげた。これでいい循環になる。

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