2019年5月29日水曜日

[6727] 育む

育む
 池の水が汚れているので入れ替え掃除した。春は汚れやすい。
 ところで田舎に住んでいる僕には季節の変化の隙間に出てくる細やかな楽しみがふんだんにある。最近は畑の野菜についた青虫を金魚に与えることが楽しい。だから青虫取りが好きだ。あと数週間もすれば池や水鉢でメダカの稚魚が生まれる。稚魚は親メダカが食べるので、救って、家の中の小さい金魚鉢に移し、砕いた餌を与えて育てる。これが待ち遠しいので、今から水鉢を眺めてはつがいのメダカがちゃんといるかを確かめている。メダカはヤゴやミズスマシの幼虫に食べられるから気をつけなければならないのだ。敵を取り除けばいいのだが、ヤゴがトンボになるときの羽化が楽しみでもある。またミズスマシには目が4つあり空中と水中を見ているというのが妙に興味深い。これらは観察予備軍として取っておきたいのだ。それからメダカは時々狂ったように暴れて鉢から外に出て死んでしまう。だからこの水鉢全体に気を配る。これらが僕の毎日の楽しみなのだ。数ヶ月この楽しい観察は続く。ところでこんなことの何が楽しいのか? 共通点は『育む』というもののような気がする。どの動物も親が子を生き残すべく育む。先程親メダカは自分の稚魚を食うと言ったが、ここの池や水鉢は閉ざされた人工的空間、自然環境のように開かれていたなら他の動物に食われることはあるだろうが、親が食うことは滅多になく、全滅することもないだろう。全生命が育まれる方向に向いているが正しいなら、あらゆる生き物は育みを心地よいと感じるようにできているのだろう。これは個人の愉悦というよりも『育む』という概念によって自分と自分以外の境界が曖昧もしくは無いことの証だと思う。

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