2020年1月8日水曜日

[6950] うやむや

●うやむや
この間のフランス女子に「なぜ猫なんですか?」と質問された。
 これまでいろんなところで何度となくされた質問だ。こういった質問に対し答えとして当然あるのが「猫が好きだから」だ。しかし猫など好きも嫌いもない。好きな猫もいれば嫌いな猫もいるし、好き嫌いなどいつか変わるかもしれない。それに好き嫌いは人それぞれだから、人間共通の根本原理に興味のある僕にとっては題材としては面白くない。好きという感情は理由にもコンセプトにもなり得ない。だから「好き」と答えたことは一度もない。
 よく僕も他人の作品を見たとき「何で〇〇なの?」と聞くことがある。答えは「好きだから」以外、あとは勉強した優等生の回答が多い。いい子ぶった回答よりはマシだが、やはり的確な回答は聞いたことがない。
 しかしよくよく考えたら、彼女らの興味は猫ではなく僕の発想だ。だから「あなたの作品の発想は猫と関係ないのに、なぜわざわざ猫なのか?」と、そういう質問だと解釈した。そう考えるとすごく面白いことに気付いた。
**28年前**
付き合っていたギャラリーが潰れそうになった。店を立て直すのに絵じゃ売れないし、それでは代わりに民芸品でも売ろうと思い、バリ島に出かけた。バリ島に行きたかったのもある。そこには猫の置き物があって、持って帰ったら、意外と売れる。しかしこれらを仕入れに、毎度、飛行機に乗るのはイヤだ。ワシ、乗り物嫌い。空飛ぶ機械なんて尚更イヤだ。ならば自分で猫を作ればいい。でも東南アジアの土産物と同じじゃつまらない。そこで閃いたのが民芸品と仏像の合体だった。社会的価値の下と上が混ざり、価値がうやむやになった。既成概念をぶっ壊し、地均ししたような、猫が無い無いするような、そんな感覚だった。
 ところでフランスの女子らは20代前半の姉妹、フランス人とチェニジア人と日本人の血が混じっているらしい。この血のうやむやが知性や感性を磨き、僕のうやむやな発想に共鳴したのだろう。

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