2020年4月16日木曜日

[7049] 共生

●共生
人類は自然を征服しながら進んできたように思い込んでいる。自然が人間の下にあり弱者であり敗者のような図を当たり前だと思っている。そして将来はAIが支配する何でも手に入る社会を目指している。しかし果たしてそうだろうか?
 今はアルコールかければ無くなってしまうちっぽけなコロナウイルスに右往左往身動きが取れなくなっているのが人間社会だ。この状況が来年まで続くだろう。いやずっとかもしれない。人間は自然を見くびったようだ。人間界でも人は弱者や敗者を見くびり見下している。さてそんな癖、そんな思考、そろそろやめにしようぜ。
 人類は自然を征服などしていない。勘違いなのだ。思い上がりなのだ。頑張って前に進むためにたまたまそう言い張ったのだ。そろそろ真実に戻ろう。人類は東西関係なく実は縄文人のように自然と共生したいのだ。そうしたいから小金が貯まれば自然溢れる地に別荘などを持ちたがる。
 例えば僕は昭和生まれだ。ある時平成になり、今度は令和になった。そんな時代の名前に左右されて生きてないのに、大袈裟にわざわざ名称を変える。単なるイベントなら構わないが、大集団でやるからどうも違和感がある。そこで思った。これは昭和という家の壁に平成のペンキを塗り、またまた令和というペンキを塗り重ねただけなのだ。だから中身はずっと昭和なのだ。待て待て! ということは中身はずっと江戸なのだ。待て待て待て! ということは中身はずっと縄文なのだ。時代区分で精神まで区分はできない。僕らはずっと自然と共生する縄文文化を家の奥深くに仕舞い込んでいるのだ。征服しただなんて横柄な態度は弱虫のセリフ、みっともない。その考えは縄文以降に出てきたものだから上書きに過ぎない。その上書きがずいぶん長く続いたけど、単なる流行りもの。そんな上着、そろそろ脱ごうぜ。こんな矢先にコロナウイルスが出てきた。
 人類の果てなき征服欲、自然の隅々まで征服するためのコロナウイルスとの戦い。どう見たって今のところ人類は負けている。人類はタジタジだ。ダーウィニズムで言えば適者生存はウイルスであって、人類は不適者になってしまいそう。人類おしまい。さてそうならないために人間社会をドでかい強化ガラスや壁で覆って内で暮らす、外は放射能やウイルスだらけ。自然もガラスハウス栽培。今はその準備? どっかのSFの図だね。征服とはなにもかも自分のものにした欲望、何でも手に入れたいという欲望。だからそれに反し、お前のものなんかになりたくないモノが敵になる。外になる。
 さてガラスや壁で覆わない広大な暮らし方はあるのだろうか? 今後の社会の有り様を考察してみた。ダーウィニズムの適者生存説を否定した今西錦司を登場させたい。今西さんの気持ちもわからんでもない。適者生存という言葉自体が征服の匂いプンプンだもの。今西錦司には棲み分け理論というものがある。それは根本的に縄文人のムラとハラの共生と同じだと思う。日本の建築の障子や板戸や縁側のあるような内と外の空気が行き交う暮らしだ。
 今はコロナウイルスで不安な毎日だろうが、わからないところは専門家に任せて、その隙に、まずは個人がそれぞれ空気の行き交う意識を形成すべきだ。それは分断のない意識、差異として理解する意識だ。征服は使い捨てであって、使い回しこそ分断がなく共生を気づかせる。
 この世界にはモノの世界と動植物などの生き物の世界と人間社会があり、三つ巴で使い回しの共生がベストだと思う。ちなみにAIはモノの世界で、ずいぶんと人間社会で大事にされている。生き物の世界に対しては征服だものウイルスだって憤慨するよね。虫嫌いな奴が多いのも自然が蔑ろにされたせいだろう。共生意識を育てようぜ。

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