●ドクダミチンキ
体にブツブツができて痒い。
庭にいる時、邪魔な草が蔓延っていると素手で取ってしまう。
その手で体を触るからだろう。
草は草で身を守る何かを放出しているだろうし、
毛虫はじっとしているわけでなく動き回るから
そこらじゅうに毛が散らばっているだろうし、
草や枯葉や土にはダニがいる。
そこでこういう草からきたかゆみは草で、
毒をもって毒を制す。
ドクダミの花を採取して焼酎漬けにした。
1週間後ぐらいには使えるらしい。
楽しみである。
それにしても、あ~痒い!
●ドクダミチンキ
体にブツブツができて痒い。
庭にいる時、邪魔な草が蔓延っていると素手で取ってしまう。
その手で体を触るからだろう。
草は草で身を守る何かを放出しているだろうし、
毛虫はじっとしているわけでなく動き回るから
そこらじゅうに毛が散らばっているだろうし、
草や枯葉や土にはダニがいる。
そこでこういう草からきたかゆみは草で、
毒をもって毒を制す。
ドクダミの花を採取して焼酎漬けにした。
1週間後ぐらいには使えるらしい。
楽しみである。
それにしても、あ~痒い!
●被り物
人はみんな何かを被っている。
党派とか権威とか主義とか神様とか概念とか…
僕は35歳の時、猫被った。
でもそれはおよそ猫ではない猫だった。
何かを被って仕舞えば自分を見失うからだ。
人は自分を見失わないように
被り物を取り替えたり
被り物を幾つも重ねるが
なかなか脱ぎはしない。
そしてかぶれる。
何も被らなければ本来の自分だ。
●源泉
「源泉にたどり着くには流れに逆らって泳がなければならない。流れに乗って下ってゆくのはゴミだけだ」by ズビグニェフ・ヘルベルト
酒屋源八さんは読書家で貸してくれた本の中にあった言葉だ。確かに目の前の最上川を流れに乗って下ってゆくのはゴミだ。インドのガンガーなら死体だ。ゴミにも死体にもなりたくないなら流れに逆らう。逆らうだけなら頑固な石だ。それでなく流れに逆らって上流に泳いでゆかねばならない。源泉とは『本来の自己』のことだ。坐禅こそ源泉だ。
箱舟に乗ってじゅんさいを採りに出かけたが、生憎の雨なので逆らって乗らず買うだけにした。
●ツタ
今朝は暑い。
家の中は風通しがいいので涼しい。しかしツタで覆われたパーゴラの下の心地よさには敵わない。家の中はもともと閉じた空間なので風が通っても閉じたニュアンスの涼しさなのだ。エアコンなどはもっと閉じているだろう。その涼しさは牢屋の中の孤立した虚しさに近いかもしれない。
パーゴラの下は開いているからか、自分の解放的な思いと解放された空間が解け合い、自分は消え、解放された心地よさだけになる。
ツタの葉から何かが降り注いでいるような気がする。パーゴラの周りには、近くはくるみの木やら桜の木などがある。遠く川の向こうには様々な木々が見える。それらの葉からもそれぞれの何かが放出され、それが風に乗ってパーゴラの下を通り抜ける。
そのように感じる。
●テーブ・ルイス
他の人からはイスと言われるテーブル、
自分でも時々イスと言ってしまうので、
ちゃんとした名前をつけました。
テーブ・ルイスです。
この間のがちょっと低かったので
また二つ作りました。
●ムガノガ
この一年と半年の間
毎日のようにクロッキー帳に描いている絵。
この作風、描くのが実に楽しい面白い。
旅行記『無我の意図』の挿絵からの流れなので
『ムガノガ』と名付けた。
初めて小さいパネルに絵の具で描いてみた。
猫と食パンで
タイトル『猫パンチ』
●種取り
さくらんぼのベニサヤカ。
アメリカンチェリーのように色が濃い。
色が濃いと甘いように思えるが
アメリカンチェリーもアメリカ人も甘くない。
ベニサヤカは甘味はややあり酸味もある。
ジャムにいいので種取り。
しかし、今年のは佐藤錦より甘いような気がするな。