●自己好転換
自己肯定感「昼があるから夜の休みがある」
まぁ、普通だね。
自己好転換「夜のしじまがあるから昼の活動がある」
昨日のことなど全て忘れてなんもない
涎垂らして寝ている夜こそ主役。
だから朝が清々しい目覚めになる。
これが新境地『自己好転換』だ。
2024年8月31日土曜日
[8544] 自己好転換
2024年8月30日金曜日
[8543] アオサギ
●アオサギ
早朝4時、暗いのでライトを持ってアトリエに向かう。
雨がだんだんすごくなってきた。
アトリエの窓から目を細くして暗がりの最上川の水の量を窺う。
幸い水嵩は少なく、碁石のように点々と岩が飛び出ている。
ん? 岩の上に何か?
アオサギだ、数羽が身動きひとつせず佇んでいる。
大雨にあたりながら静かに雨が止むのを待っているようだ。
人間は何か大きなことをしでかそうとするが、
自然は何も持たず何も求めず潔い。
高村光太郎の詩を思い出した。
「死ねば死にきり、自然は水際立っている」
私はアオサギに勇気をもらい救われた。
2024年8月29日木曜日
2024年8月28日水曜日
2024年8月27日火曜日
[8540] 『坐』作品集
●『坐』作品集
作品集『坐』(A5 P112)が完成し届いた。
来る福猫祭りで売ります。
よろしく。
コロナ禍でアートを通して世界を探究した。
そして行き着いたのが坐禅だった。
ここ数年毎朝坐禅している。
坐禅は私にとってアートの究極であった。
だから時々の我流坐はやめて
昨今は本道キチンとマジに坐っている。
日記には時々坐禅について書いてきた。
作品集は日記を直して作品と並べたもの。
言葉は嘘をつくから本当のことは言えない。
だから文は坐禅初期の稚拙な考察に過ぎない。
それでもこれらの言葉を坐禅への入口として
みんなにも大いに坐禅してもらいたい。
今の人生のその喜び、その苦しみ、その目的、
それだけじゃないものがでーんとあるぞ。
2024年8月26日月曜日
2024年8月25日日曜日
[8538] うっすい色メガネ
●うっすい色メガネ
育ちゃん返事もう一つ。「すごい楽しくて、時間が経つのが早くて惜しく思いました。色んな角度からの視点で物事を捉えられる柔軟さと突き進み続けるパワーに圧巻されました! 自分の内観を続ける大切さも。本当に良い時間を過ごさせ頂いて、ありがとうございました」
ふと思った。
なんでもそうだが色メガネを掛けて聞く人は味わえない。色メガネとは固まった思考のことだ。頑固者は風呂だって色メガネだけでなくカツラやマスクまでして入るからな。
そうそうできればうっすい色メガネも外す。うっすい色メガネは思った以上に大きな邪魔になる。例えば家族だから、同じ出身地だからとか、自分で掛けた色メガネでないので気付かない。こういう些細なものだが年季の入ったものは自分の体の一部だと勘違いする。歳を取ると新鮮さがなくなるのは、この染み付いたうっすい色メガネかもしれない。歳を取ろうがいつだって澄んでいる水のはずなのに、流れない澱んだドブになってしまう。これらは忘れて流れる川全体全身で見聞きすれば本物が味わえる。ドブからハスの花が咲く。
2024年8月24日土曜日
[8537] 『わ』の話
●『わ』の話
ちょいとアンニュイでいつも前から爽やかな風が吹いているような姿の研くん。その彼女育ちゃん、パリに9年滞在、服飾の仕事で独立している。もうすぐパリに帰る。物作りの人なので感じるところあると思い、『わ』の図工程ストーリーを話した。なかなか勘のいい子で理解し身体で感動する。この話はいつか本にするから他の人には内緒にしてくださいと伝えたら、その返事がとても良かった。
「吸収させてもらった分、ちゃんとアウトプットもできるように精進します。ありがとうございます。あのお話はわじんさんの実体験からくる話なので、わじんさんの言葉でリズムで伝えないと全貌の10%も届けられないです! 絶対言いません!」
ファッション界の作り手だけに意味だけでなくその流れや話していた現場の空気をもしっかり体感している。話していて実に楽しかった。
2024年8月23日金曜日
[8536] もりわじん招き猫美術館
●もりわじん招き猫美術館
今年初めに見ず知らずの海外の方から思いも寄らぬ話がやってきた。
『もりわじん招き猫美術館 in 香港』だ。
今年9月から期間限定で開催される予定で話は進んでいた。
しかしビルの完成が遅れているため、来年に延期。
春の個展でこの情報を聞いて、
香港ツアーなど組んでいた方々
今年は日本でのんびり過ごしてください。
また香港や近隣諸国の方々も自国でのんびり過ごしてください。
開催期日がはっきりしましたら報告します。
多分思いも寄らぬ事が起きないかぎり開催されるでしょう。
では熟成するまでのんびり、いつもの日常で、日々是好日。
2024年8月22日木曜日
2024年8月21日水曜日
[8534] 思いも寄らぬ
●思いも寄らぬ
今日は薪割り、しばし最上川を眺める。
『ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし』:方丈記
この通り、最上川の流れは絶えずして元の水ではない。人も川と同じで日々歳をとるから留まった試しがない。傍から川を眺めていて見えるのは川面だけで川の中は見えない。『思考』というものはこの川面の澱みに浮かぶ泡沫のようなものだ。思考は本来のものではなく本来のものの表面につけた単なる命ない記号の言葉だ。だから思考では川のこともましてや中の深部のことなど生き生きしているホントのところはわからない。
川は山の湧き水から海に着くまで川面も含めて目に見えない深いところも一緒に流れている。人も川のように思いも寄らぬまま生まれて流れ始めるが、暫くして思考泡沫が結んだり消えたりする。これら「思いも寄らぬ」と「思考」が一緒くたにして流れ生きている。
ところで川面の泡沫がリーダーシップをとって川が流れているわけではない。つまり思考で人や川が流れているのではない。川全体が泡沫に左右されないように、思いも寄らぬものが思いに左右されることはない。
その思いただ慌ただしい泡正しくない。
2024年8月20日火曜日
[8533] 思わぬ
●思わぬ
水は低いところに流れる。
多ければ少ないところへ移行する。
下で寝て待ってりゃいいのか?
怠け者どもにとってはアリだが、
「一日作さざれば、一日食らわず」
ってことで、
今日はチェンソーで玉切りした。
汗は外に流れ、
内に思わぬ清々しさが満ちた。
ほれみろ!
2024年8月19日月曜日
[8532] 手当て
招き猫が幸福を招くのはあの手だね。
手は一歩手前に来なさいと言っている。
ドンと当たる一歩手前が当たり前だ。
早く終わらそうとする意識の一歩手前だ。
その意識が先に先へと暴走すると事故る。
意識などゴミだと思って放っておく。
*作品は手に負えなくなる前ののんびり手当て。
2024年8月18日日曜日
[8531] お辞儀
●お辞儀
坐禅前に床に頭をつけお辞儀する。
人は頭を下げる行為が容易でない。
赤子なら頭を上げたり下げたりは
無垢だから別に抵抗はない。
大人に抵抗があるのは
大事にしているプライドが
踏ん反りかえっているからだ。
踏ん反りかえって大空を見ていれば
それはすこぶる清々しいだろう。
しかし上だけでは世界の半分だ。
下の地面にそのプライドは立っているのだ。
だから有り難く地面にすりすりお辞儀だ。
これで赤子になって坐禅だ。
2024年8月17日土曜日
[8530] ユタ
●ユタ
暑いせいか、昔に見た沖縄のユタの映像を思い出した。ユタとは沖縄地方の女性の呪術師で心の病を治す人だ。映像は病を治す時のユタの脳波を調べるものだった。
映像でユタは若い女性患者のため歌を歌う。心の奥深くに染みる不思議なメロディだった。歌い終わると同時に患者に助言する。この時、脳波では、言葉は左脳が働くのに右脳が働いている。反対なのだ。そして患者は治る。
もう一つ感動したシーンがあった。このユタの若い頃の映像だ。彼女は夜中にほぼ裸で「私が悪かった、私が悪かった。私が悪かった」と何度も何度も叫びながら夜道を走っているのだ。責任を負いド反省し心底謝っている感じだ。彼女は一体何に何を謝っているのだろう?
そしてその後、彼女はユタとして覚醒する。