2024年9月20日金曜日

[8564] 和

 ●和
 猫作家の小澤さんに「わじんさんの抱っこしているアハーン猫と同時期に抱っこしているサルを作ったアメリカ人がいる」と言われた。指摘しているのはどっちが先かの独創性。作家なら誰でも気にする問題だ。
 さて私の作品、社会的に作家デビューとなった作品『猫神様』は仏像と招き猫の和。その後制作したアハーンは雌雄の和、家は雌雄でもあるが猫の種類から東西の和、ペリペリは剥ぐで加えるペタペタとの和、『わ』の図も名前の通り和。これらの和は対極をなすものの和だ。抱っこは和の一部に過ぎない。
 さてこの世は表裏・上下・左右・前後・貧富・正否・有無などの対極があり、それらは相互依存関係で出来ている。依存とは片方だけでは存在できない。単体は不在、つまり和でしか存在できないのだ。ここで重要なのが自と他がいて和になるのではなく、和が最初にあって自と他が出てくるのだ。
 そして私が行き着いたのが和でしかない坐禅だった。名前が『わじん(和人)』、唯識の『名は体を表す』を超えて『名を体にした』のだ。 *作品は渾沌猫。


2024年9月19日木曜日

[8563] アハーン

 ●アハーン
 写真は『アハーン猫』。『アハーン』はHの時の女性の喘ぎ声だ。この喘ぎ声は人工的に考えた声ではなく、自然に発する音だ。こういう原初的な音って何? 
「チベットでは、女性的本性を一切の言葉の根源を『A』で、男性的本性を生きるための最も重要な呼吸の音を『HA』で、合一の象徴を『M』であらわす。 それらは知恵と愛の融合の音『AHAM (アハーン)』となる」
 日本語の50音は『あ』から始まり『ん』で終わる。『あ』と『ん』の中間に『は』がある。
 坐禅では呼吸が大事だ。雑念や妄想が生じて引っ張られると呼吸が乱れる。そんな時は調息だ。この間私のエッセイに「屁理屈と非理屈」と書いた。そこて閃いた。
 自然の呼吸の『は行』、それは人工的な思考、理屈を超える。
 生きる呼吸とは『破理屈、非理屈、不理屈、屁理屈、呆理屈』ってね。


2024年9月18日水曜日

[8562] 強欲

 ●強欲
 展示会場にはたくさん人が来る。大人も子供も肥満が多い。ちょっと触れただけで油が出てきそう。将来は爆発するつもりなのかと思ってしまう。
 最近、肥満の弟が入院した。SSの肥満の兄も入院。ワクチンのせいだとか言っている。アホや、走れないほど太っているせいだ。コロナとかワクチン以前の自分の問題をよそに転嫁するな。
 別に健康管理ができていれば太っても問題ないが、薬に入院では問題だ。餓鬼道にいる餓鬼のように食っても食っても満たされない欲の奴隷は側から見てもよくわかる。大抵の肥満が食ってないと言い訳言うが、ではその身体、昔のうんこでも溜めているのか。それこそ問題だ。美食と健康産業が飼い慣らした檻の中の家畜。動けなくなってからでは遅い。
 人は好きなことして生きる。好きなものがやめられない。好きなこと以外はしたくない。こういうのをプロパガンダと言う。いわゆる洗脳だ。洗脳というけど洗ったキレイな脳ではない。良いように騙されているだけだ。この現代家畜脳がまずい。
 身体がその脳についてゆけないから薬や入院することになる。脳は薬や病院があるからと自然治癒力や創造力という身体の持っている力を無知無力化する。身体は本来少々の栄養があれば足りる。創造力や幸福感は『少欲知足』というハングリーから生まれる。脳が食いたい食いたいと頑固で強欲なのだ。
 『少欲知足』を教えても、脳は「わかる」と答える。その頑固強欲な脳が「わかる」と言っているだけで、身体は喋れないから事実を身体で訴えても洗脳の脳に聞き入れてもらえない。身体は脳によって冤罪に仕立てられ拘束されている。元々醜くもない身体を奴隷にして無惨に太らせ薬漬けしているのはその脳なのだ。
 世間には食欲だけでなく様々な強欲がある。いくら湧き水のような清々しくなる話をしてもその油分で固まった強欲の脳には伝わらない。
 だからこそ身体が最も美しい形の坐禅を勧めている。ヨガや体操やスポーツなど全ての動きの基本中の基本の形が坐禅だ。誰でもできる簡単な形だ。坐禅でがっちり自己の中心を掴めば、中心に頑固に居座っている強欲脳は消え、再び透明な湧き水は流れ始める。






2024年9月17日火曜日

[8561] ハプニング

 ●ハプニング
榊原温泉で一泊してから山形へ。
ここの湯は日本一ぬるぬる、もう30年通っている。
名古屋でハプニング。
新幹線に乗り込んだが自分の指定席におじさんがいる。
乗り込んでいるはずのSSがいない。
ドアが閉まった。
あれ! なんか間違えた?
なんと一本前の新幹線だった!
名古屋でSSとお別れ。
ぼく一人で家に帰れるかなぁ。
もまえしながら、帰宅できた!
ヤァ、猫ども会いたかったぞーーー







2024年9月16日月曜日

[8560] 伊勢参り

●伊勢参り
伊勢参り。
美しい静かな無の空間を歩く。
暑いので汗かくが気分はいい。
二礼二拍手一礼。
明るい反省をした。









2024年9月15日日曜日

[8559] サイン

 ●サイン
久しぶりに腹の底から笑った。
ワガジンの『サ゜スウォスス オブ キャッツ曼荼羅』
これを買ったお客さんがサインくださいと言う。
この本は文字や模様がみっちりあって堂々とした大きなサインなどできる隙間がない。
「どこにサインするんですか?」
私のサインの全体像は坐禅の形だ(添付)。
『も』が頭部、『り』が胸部、『わ』が臍、『じ』が丹田、そして『ん』が横に広がる脚になる。
『ん』は『もりわじ』の横幅の4倍ほどあり富士山の裾野のように左右に広がる。
全体的にどっしり地面に坐っていてバランスがいい形だ。
私は本の文字や絵が並ぶ隙間にマジックの先を置く。
そのまま文字や絵に触れないように、ひらがなの名前を縦に書き始める。
『もりわじ』まではスムーズに隙間に収まる。
ここから縦の隙間がなくなり横の隙間になる。
最後の『ん』だ。
思っていたより幅はなく、難関だ。
富士山の三角形の裾野にするには狭すぎる。
(どうなるのか?)とお客さんはじっとペン先を凝視していた。
隙間の中で『ん』は横の隙間の上部をうねうね這いながら左に向かい数センチ、
方向転換して隙間の下部をうねうね這いながら『もりわじ』の下を横切り、
右にうねうねいつもの倍は進む。
最後にくると丸く書いて、決まった、ん。
お客さん「えーーー、隙間、埋めただけじゃん!」





2024年9月14日土曜日

[8558] 朗らか

 ●朗らか
一年振りの伊勢。
伊勢までの移動時間が長かったので
電車内では坐禅したり
『わ』の図について考察したり。
ホテルではすぐに寝たが
夜中の2時半に目が覚めた。
睡眠時間が短いが気分は最高にいい。
『わ』の図の言わんとすることが明確になったのだ。
世の中には色々ヒントが散りばめられているが
他所の言葉に答えはない。
答えは自分の中にしかない。
その答えがリアルに夢に現れた。
リアルと言っても夢だけどね。
内容は朗らかそのものだった。
幸先いいわ。





2024年9月13日金曜日

[8557] 伊勢

 ●伊勢
猫祭りに出発。
ドアツードア、8時間。

明日からよろしく。
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2024年9月12日木曜日

[8556] コーチング

 ●コーチング
 最近コーチングなる言葉をよく聞く。何じゃろ、調べてみた。
「自発的な行動を潜在意識に働きかけ発揮させる、金取るけど」みたいな感じかな。
 胡散臭いな。こういうさも正しい良いことしているってのが臭う。後々その思想を払拭したいけど金払ったことだしもったいないからとなかなか取り除けない。やっている本人もこれで金稼いでいるものだから、自分の臭いや偽善に気づかない。
 自分なども似たようなもので招き猫作品作って幸せ売っている。お客さんから「本当に幸せ、招くんですか?」とか聞かれるから、「オレだよ、オレ! オレが作っているんだよ! 招くわけないじゃん」と言うとお客さんは笑って幸せな顔になる。オレがノンコーチャーだ。
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2024年9月11日水曜日

[8555] 草刈り

 ●草刈り
庭の草ボーボー。
ここずっと猫祭り用の作品制作で庭仕事疎かにしていた。
外は日陰で36度、日向は何度あるんだろう?
SS「48度」 んなわけないと思うけどな。
何度あろうが草刈り。
いつもの2倍かかった。
死んだね。
水風呂浴びた。
アミノ酸クエン酸、プロテインジェル、水たっぷり飲んだ。
目眩が、ヤバ熱中症かも。
もう一度水風呂浴びた。
スッキリ、やっぱ労働の汗は何かが違う。
庭でビール、あー極楽。
寝て起きたら、ダルい。




2024年9月10日火曜日

[8554] 梱包

 ●梱包
『来る福招き猫祭り』は今回4箇所。
伊勢が2箇所:9月14日〜29日まで
瀬戸:招き猫ミュージアム、9月27日〜29日まで
島原:長崎県、しまばら水屋敷、9月21日〜29日まで
よろしくです。
昨日は梱包でもう大変。
今朝は喉が痛く、ヤバいと感じ坐禅後寝た。
大汗かいて溺れそうだったが復活。
W&Wの『Thank You』に乗って
作品全部送った。
一安心。
反省:梱包はマスクしてやること。



2024年9月9日月曜日

[8553] 中り

 ●中り
 スペイン料理人大場さんが作品集『坐』を読んで「坐禅がしたくなりました」と言ってきた。私の文章はわかるようでわからない。屁理屈と非理屈の合体みたいなもんだから。
 ふと思った。これって左脳と右脳の両方を働かしているのでは。左脳だけなら論理だけで身体が坐ってない。右脳だけなら歌って踊ってやはり坐ってない。どちらか一方では中道でない。中道でないなら中らない。中らないならハズレる。お尻から頭頂まで体全体中道まっすぐ天へ宇宙へ突き抜ける。それ中り、坐禅だね。そりゃぁ坐禅したくなるわ。してください。料理が中るよ。



2024年9月8日日曜日

[8552] 往生際

 ●往生際
 今朝は秋風が心地よい。2階の窓を開け風を入れた。クヌギの木が随分と大きくなっている。庭で一番高いかもしれない。この木は明治神宮から来た木だ。東京とここでは気候が合わないからダメかなと思ったが何度か雪で倒れ曲がりくねりながらもしっかりまっすぐ生きている。屋根でカエルが2匹死んでいた。どうやってこんなところまで。そういや昨日の朝は外の金魚が死んでいた。とうとう金魚は1匹だけになってしまった。ふと生死とはこういうものなんだろうなとLet it be.ケセラセラ.あるがまま.何とも言い難い静かな一呼吸の風が吹いた。私などは老い先短い。あとわずか20年だろう、いや30年かな。魂は永遠だとほざいたりして、、人間は往生際が悪い。



2024年9月7日土曜日

[8551] わが家

 ●わが家

 父、母、兄、姉、弟、妹、娘、息子、男、女、LGBTetcいっぱい名前がある。前半が家族で後半が国家、共通項はとりあえず『家』だ。これらは名称であって本物ではない。だからジェンダーレスなどの名称がまた増える。これからもどんどん名称は増えるだろう。古い名称で頭が思考停止、新しい名称に取り込まれて思考停止。思考停止とは融通が効かないわがままなガキだ。そういや上記の家には大人がいない。大人への成長とはこんなガキ名称全部から出ること。

 さて家から出るのが『出家』だ。出家とは家幻想から出る、思考停止から出る、そこに生きるリアルがある。

 とにかく人は一回、家幻想を出てみればいい。『可愛い子には旅をさせよ』とは家やその他の幻想に気づくことだ。『出家』の次は『出出家』、くるっと回って『輪が家』に帰る。子供はひとまわり大きくなって大人になる。




2024年9月6日金曜日

[8550] 無老

 ●無老
秋晴れだ。
朝食、今朝の一曲はエリック・サテーの『ジムノペディ』。
実にゆったりした曲だ。
年取ったせいか、スローな曲が心地よい。
スローとは遅いのではなく
自然の時間の流れに任せることだ。
ふと思った。
世間の人々の時間が過ぎるのが早く感じる。
こっちに引っ越して会った学生だった若者らは
いつの間にか結婚して子供作ってもういい大人だ。
歳をとると時間が過ぎるのが早いと聞くが、
周りばかりがそうで私はそうでない。
今朝、坐禅後に鏡を見た。
日々若々しくいい男になっている。