二十代のあの精神的余裕を蘇らせ、『未来』なんて何とかなるさで、自分の作品作りに取り組んでいる。まったく後ろ髪惹かれることなく、作品は見事に僕自身でさえ思いもよらない、それどころかたぶん誰も思いもよらない心地良い方向に進化している。救われているような気がする。救うような気もする。理屈で構築された正しいとされる『未来』の方向に進んでいたら、こういう作品は生涯できなかっただろう。
「『未来』は流れる川に絵を描くようなものだ」と大昔のチベットの僧は言った。意味は? そうね、『未来』は不確かなものなのに、それを絶対確かなどと語れるわけが無い。それなのに『未来』をどうのこうの言うヤツはあんまり信じるな、ってことかな。
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