真っ赤な車で名前が『真』の人がやって来た。この人とはいつかちゃんと話したいと思っていた。真の人、『真人』とは、哲学詩人荘子の中に出てくる人間が目指すべき人、極めた人のことだ。
数時間話して「渡り鳥ってなんでわざわざ渡るんだろう?」と問いを投げかけてきた。あ〜、とても美しい質問だ。おもしろい! あ〜、面白い。その問い、既成の解答に流されずに、庭の木のように小さいものから育ててゆこうぜ、ジッと観察しようぜ。こういう問いに真剣に向かうことやただ只管に絵を描くことや山という山を歩くことなど、まさしく尊い真人の姿だと思う。名前の通りの人だった。また語るべ。
0 件のコメント:
コメントを投稿