2018年2月11日日曜日

[6255] 知らない

●お互いの理解
「Aは音楽は歌謡曲だと思っている。Bは若い頃から就職もせずに音楽に触れ合いながら多くの国を旅した。世界には歌謡曲、演歌、サルサ、ロック、パンク、ホーミー、レゲエ、ボサノバ、他にもぐちゃぐちゃいろいろある。BがパンクをAに示しても、音楽は歌謡曲だと思い込んでいるのでなかなか通じない。そこで歌謡曲や演歌やロックやパンクの奥底にある『音楽』とはなんだろうと考えてみる。そこをAに示せば、思い込みを外し音楽を解ってもらえるのではなかろうか。情報としてはAはパンクを「知っている」と答える。でもその「知っている」はセックスをしたことのない人が『sexの仕方』という本を読んで「sexを知っている」と言っているのと同じ意味合いだ。情報で生きている人たちはそれで会話が通じるだろうが、Bには通じない。ため息だ」
 僕らは誰もが子供の頃、何も知らなかった。そこで知らないことに興味を持って勉強したり経験したりする。年を取り地位も出てくると大人としてプライドとして「知ってるよ」と言いたい。だが「知らない」ことが探究心や好奇心や子供心にはすごい刺激的なのだ。「知らない」ことを探求すると『源』のようなところに行き着く。冒険だね。それがとりあえず今、僕の発見した『プラスマイナスゼロ』というコンセプトで『ペリペリ画法』だ。今後どうなるか「知らない」。その「知らない」が大事だ。探求好奇子供心だからね。それを思い出してほしい。
 こんな言葉がある。
『知ることとは自分がいかに知らないかを知ることである』

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