2019年5月20日月曜日

[6718] ワーク

ワーク
最近聞いた言葉で、仕事にはライスワークとライフワークがあるらしい。
 ライスワークは飯のための仕事で、ライフワークは生き甲斐のための仕事。
 僕の場合、ライスワークが粘土の猫だ。でも飯のためだけに作品を作るなんてつまらないので、自由を求めて、粘土で変なもの作ってライフワークをやっていた。しかし新しい面白いものができるとすぐ猫のライスワークに吸い取られ猫界を膨らます。それはそれでいいのだが、飯のために働かされている不自由な檻の中の住人みたいで息苦しい。
 東北震災からワガジンを作り始めた。これが本当のライフワークの始まりだ。なぜならワガジンは今回のペリペリで9種類になるが飯のためではない。どれも部数が少ないので売れても赤字なのだ。
 その後、猫からの脱出を試み絵を制作し始めた。うまいことペリペリが発見された。これは純粋なライフワークになった。ところでこのペリペリのライフワークが猫のライスワークを飲み込み始めている。前はライスワークがライフワークを飲み込んでいたのだが、今は逆。両方ともライフワーク化している。つまり全部が生き甲斐になってきているのだ。固定化されたものの壁を瓦解し液体状になっている感じだ。細胞壁が壊れたのだろうか? もしかしたら僕というものが壊れ溶け始めているのかもしれない。
 でも風通しも流れもいい。




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