●脱世間
去年は”完全な『わ』”の絵を描いたり本を読んだり論考をまとめたりといったもので時間が過ぎていった。
雪が降ってからは毎日雪掻き三昧である。今日はテンが庭を横切った跡を発見、キジはのんびり歩いていた。昔は雪掻きを無駄な行為だと思って、よその温かい風景を思い描いたりした。しかしネットで世間を見てもテレビを見ても、どれみても何にもならないことばかりで溢れている。
たいてい人のやっていることはどれも変わらない。仕事に向かって頑張って行動し少し悔やんだり悩んだり腹立てたりして、食って飲んで明日のために寝る。若者は新しい仕事や遊びに夢中になり、苦しみや悔しさを味わいながらはしゃいで頑張っている。年寄りは体が鈍らないようにウォーキングなどやって維持する。つまり人は皆、『苦楽』を味わっているのだ。
ところで雪掻きは苦しかないように思う人が多いし、実際やっている人も苦だと思っている。しかしよく考えてみよう。いい汗はかくし、ハイにはなるし、筋肉つくし、頭まっさらになるし、風呂は心地いいし、とんでもなく深くぼーっとするし、飯は何でもうまいし、ぐっすり眠れる。雪掻きは人から命令されるわけではないので、面倒な人間関係から離れている。天気予報と体力とを考え、雪掻き計画立ててやるので自律が備わる。病気などしたらヤバいので、しっかり健康管理している。精神も肉体もすこぶる丈夫になる。
そんないいこと並べてもそれぐらいのものは世間にいっぱいある。他と比べようがないなによりもすごいのは『雪掻きは何もならない境地』ということだ。脱世間なのだ。考えの目標ではなく、考えの基点を脱世間に置くか、世間に置くかで世界は天と地ほど変わる。
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