2023年4月29日土曜日

[8155] 調心

 ●調心

 人は集団化するとそこにグループ根性やグループボケがくっついてくる。政治で言うところのいつまでも道端や田圃にあるあんなポスターはみっともないし、選挙カーはうざいし、勝ったらダルマに目を入れるなどダルマを知らない無知がやることだ。どれもこれも美的センスに欠ける。こういうことをやるのがグループ根性で、それに気づかない無知がグループボケだ。これらは集団の考えを自分の考えだと思い込んでしまっているため一人じゃ恥ずかしくてできないことでも平気でやれる。つまりもはや集団妄想の虜になっているのだ。本来の自分を見失っているということだ。家族で言えば子供が間違った親の考えまで真に受けてしまうようなもの。

 人には自分を守ろうとする保守的思考がある。保守は保守だから集まると先程の集団妄想を頑固に保守してしまう。保守だから自分を変えようとせず変化に抵抗し保守する。保守したいが故に他を理解しない。保守的思考が他への差別をする。

 また保守なので閉じていて解放や自由が保守管理的になる。集団妄想は個人の自由な行いを限定し、個人の思わぬ未知への可能性を失わせてしまう。この集団妄想が敵集団を妄想し争いに向かう。これはあらゆる個人にとって可哀想なことだ。

 そんな危うさや窮屈さを感じると人はアンチ思考が出てくる。いわゆる閉じる方向から周囲や環境へ開く意識だ。保守とアンチは左右の目のようなものなのだろう。両方がちゃんと機能すべきだ。両方がうまく運んでいれば中心の軸はブレない。左右の目と同様、ブレなければ物事を立体的に観ることができる。これで集団妄想から本来の自分に目覚める可能性が出てくる。

 ところで保守とアンチは反対だ。実は保守とアンチは守るために囲おうとする思考と個人の自律を守る思考、どちらも自分の生命を守っているのだ。考えを守るのではなく生命を守っているのだ。人間の思考は左右でも表裏でも陰陽でも片側に傾き対で見ることができない。

 そこで左右に新しい言語を当てて考察すればいいと思った。保守が呼吸の『吸う』、アンチが『吐く』にすれば片方だけでは考えられまい。生き物は呼吸することで本体を守っている。呼吸を基本に考え、対になっている『吸う』と『吐く』を見直せば、人間の社会ではなく精神が少なからず進歩するように思う。

 呼吸、すなわち坐禅だ。妄想に囚われるのは屁理屈を信じるからだ。頭に操られないためには頭が中心ではなく、考察・行動する時には頭に一旦引っ込んでもらうことだ。つまり坐禅の身体の軸が整う『調身』、呼吸が整う『調息』、これで頭に操られない『調心』になる。車を運転するのに頭で次ブレーキ、次アクセルとは考えないだろう。頭が運転するのではない、調身・調息・調心が運転しているのだ。





0 件のコメント:

コメントを投稿