●夢
『安倍ちゃんと電車に乗っている。安倍ちゃんとは元総理の安倍晋三だ。駅に到着し乗り換える。切符を出そうとしたが見当たらない。駅にある台の上にポケットの中の携帯や財布など全部出した。切符は見つかりとりあえず乗り換えた。随分経って次の乗り換えだ。切符を探したがまたない。切符どころか財布も携帯もカバンもない。免許証も保険証も現金も銀行のカードなどもない。多分前の乗り換えの駅の台の上に置いたままかもしれない。誰かに取られたら大変だ。ポケットに十円玉が一個だけあった。公衆電話があった。SSに電話したらなんとかなるだろう。しかし電話番号をはっきり覚えてない。もし間違い電話したら、それで十円がなくなってしまう。安倍ちゃんに十円貸してくれと言ったら、安倍ちゃんは「これまでお金は持ったことがない」と言う。安倍ちゃんは背広のポケットを弄り、これしかないと丸いバッチのようなものをくれた。これで電話はかけられない。安倍ちゃんは電車に乗っていってしまった。私は途方に暮れた』
ここで目が覚めた。うつらうつらしながらこの苦難の場をクリアーする手立てはないかといろいろ考えた。しかし実際は歳と共にこういう物忘れやミスが増えてくる。どんな手を打っても不安が残り完璧な策はない。このままでは眠れない。
ふと、あー大丈夫だという思いが湧いてきた。私は自分を示す免許証も保険証もこの世間を生きるに必要な金もない。野良猫のようなものだ。ある意味、自分を縛っていた全てがなくなったのだ。ならば不安も無くなった。これは全てから脱した自由というものなのだ。実際に撃たれて亡くなった安倍ちゃんが乗った電車は銀河鉄道のような死出の旅なのかもしれない。私は世間の全てを置き忘れ何も無い状態に救われたのだ。
この夢の二日前に坐禅の結跏趺坐は何からの発想なのだろうと考えていた。今わかった。あの身動きできない脚の組み方は世間の縛りなのだ。だからこそ生死即涅槃なのだ。
なるほど理解とは知識ではなく智慧の体験なんだと思った。
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