●和
今回、陶芸の街益子で陶芸以外の絵、それも猫作家なのに猫でもないサトリ画を発表した。全くのお門違いをさせてもらったわけだ。川は湧き水から海だって川だ。おかげで海のあっちの霞が晴れたような。今はあっち意識で描く絵も面白い。これは二足草鞋的だ。考えて見れは何十年とズーっと二足草鞋のような、いつもこっちかあっちかの岐路に立っていた。一つにまとめたいのだがなかなかうまくいかない。だいたい目も耳も鼻の穴も胸も手も足も金玉もなぜか二つずつある。口は一つだが入口だとすれば下に出口があるから二つだ。ではチンチンは? 一本しかない。しかしこれはマンマンと対になるから空間を隔て二つだ。『二』とは世界の実際をどちらか一方に偏らせがちな人間に対する気づかせメッセージなのかも。これは一つだと思ったとき、もう一つは必ずどこかに潜んでいる。ではこれら二つの中道は一つ? 人間はそれを見ることはできない。プラスとマイナスの和のように消えてしまう。
そうそう昨日、警察が来たと思い捕まるまいと逃げ道を探していたら、花輪くんだった。彼は躁鬱眠れない体質。彼に絵をいろいろ見せて思ったのは、こっちやあっちがない。どちらかというとあっちの絵を大いに好む。彼は二足草鞋どころか裸足いや裸だと思った。眠てないせいで現実なのか夢なのか、荘子の『胡蝶の夢』そのものなのかもしれない。


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