2018年1月31日水曜日

[6244] 水道管

秋田にいる友人(エコーズというバンドのドラム)の家の水道管が破裂して春まで使えない「死ぬー」と叫んでいた。バッカだなぁ、だから温めておけと言ったのに、、と助言したのはいいが、あっ! 思い出して、自分のアトリエに直行! 
 実は一昨年、初心に帰って真面目に絵を描こうと近所に60年も経つ古い空き家を借りて、壁にコンパネ貼ってペンキ塗って、二十代東京のアパートで絵を始めた頃のような部屋を作ったのだ。そこのトイレは使えなかったので直し、水道も改善した。毎日のように通い踏ん張って絵を描き、去年のノリタケの個展での成功を収めた。
 今年の冬は家で製作しているので、最近行ってない。アトリエの水道管が心配になったのだ。今日行って、庭の水道の元栓メータを探す。雪は1メートル以上、確かここにメーターが、と掘るが無い。ずいぶん掘り広げたが見つからない。腰が痛い。諦めかけた時、スコップにコツンと、あった! 水漏れはなかった、とりあえず元栓を締める。安心安心。

2018年1月30日火曜日

[6243] 如来の手

雪かき頑張ってしまった
腰が痛いので
祈る招く願い届く如来の手を粘土いじりする

2018年1月29日月曜日

[6242] ギャラリーカフェ

●ギャラリーカフェ
カフェでコーヒー飲みながら絵を見ると、絵が数十センチ僕に近づく。
もう僕の脳内に入るぐらいの近さになると心地よい。
去年の名古屋の個展では、朝、お客さんが来る前に手回しのミルで豆を挽く。
10人ぐらい飲める量をドリップで準備する。
コーヒーと一緒に絵を味わう。
実は昨日、コーヒーを飲みながらの絵の個展の話がきた。
近所だけどいい場所なのだ。
今年は最上徳内記念館の個展がないから、ちょうどいい。
今描いている絵をコーヒーを飲みながら見たいものだ。
うまく進めば嬉しい。

2018年1月28日日曜日

[6241] 電気代

●電気
風呂上がり
暗い寝室で
靴下を
手探りで探す。
確かこの辺りにあったはず
なかなか見つからない
部屋の電気をつければいいのだが
面倒くさい
意地だ
手に触れた! 
おっ! 
これだ!
なんと
二足とも掴んだ! 
電気代、得した気分だ
ガハハハハハ
今日は高いワインを飲もう

2018年1月27日土曜日

[6240] 寒波

●寒波
風除室の扉が凍って開かない。
口先だけの小心者の僕は
この寒気、やばいなぁと思い
ぼーっと吹雪を眺める。
SS「何見てんの! こんなもん、春になったら溶けて無くなるんだから」
雪国生まれでないSSは
雪かきエクササイズ
せっせとこなす強者。
そりゃそうだ。
たった数ヶ月の雪なのだ。
しかし春がきたら薪ストーブが使えなくなる。
う~ん、
春もいいけど、薪ストーブも捨てがたい…
SS「どっちなんだよ?」

2018年1月26日金曜日

[6239] 雪下ろし

●雪下ろし
今日は屋根の雪下ろし
ところで寒波の雪掻きのおかげで
体重は普段と変わらないのに
筋肉が増えている
締まった体になったみたい。
なんか厚くなったような
一回り偉大になったような気分だ

2018年1月25日木曜日

[6238] 演奏会

●つらら
キンコカンコキンコンカンコン…
いろんなつららを集めるか作るかすれば
つららの演奏会ができるんじゃないかしら。
よし、村の名物にしよう!
つらら以外に
バケツにできた丸い氷をつるして
ヒーリング音で始まって
バリ島のジェゴク風打楽器
最終的にはガンガン叩いて
ポキポキ折ってパンク
グラスに入れて
酒飲んで
演奏会はおしまい
ナンツッテー音楽(ツッテー=冷たい)

2018年1月24日水曜日

[6237] 満足

●満足
 大雪。ここに住んで8年もなるから雪かきのコツと喜びを体得している。雪が降ると昼前の雪かきが楽しみになる。玄関・駐車場・軒下・勝手口・テラス・庭の薪棚などの雪かき。途中大汗、雨具や帽子を脱ぎ、シャツに手ぬぐいという夏のような軽装で一時間弱の雪かき。雪かきを終え、風呂に入り、薪ストーブの前で火や外の雪景色を眺めながらビール。これがワシの実に楽しい冬籠りの一部だ。
 昼に目玉焼きを乗っけたカレーを食ってたらハワイが浮かんだ。一度だけハワイに行ったが、水着ギャル以外はこの山形よりはつまらない。第一に飯がまずい、もう一度食いたいと思うのはスパムのおにぎりとマラサダ(愛のコリーダみたい)、どれもここにある、日本の方が美味い。
 ハワイや南の島は都市の生活者の逃避場所だろう。都市は天井知らずの欲望が渦巻いている。その欲が完全に満たされることはない。満たされない劣等感を満たすのが雪国田舎との対比による頓珍漢な優越感だろう。または田舎に住んで田舎独自の文化建立に頑張る。しかし心身が都市を纏っていてはその劣等感は拭えない。ところで田舎は欲を満たすような素材が多くない。温泉プールにいるのはある意味セレブのスリーサイズ同じ黒づくめ水着ババァたちだ。たまに旅行に来ているうら若き女性がいたらもう絶世の美女、多少の難は見えないのだ。この少ない素材の中から満足を得る思考回路を身につける。そんな工夫ができない者は欲多い都会に想いを馳せ虚しくなったりイラついたりする。
 まあワシはそんな都市と辺境の二元に挟まれ心揺らされるよりは、このせっかくの状況を創意工夫で遊ぶ。『雪かき風呂上がりビール&カレーセット』とトッピングに『猫お触り昼寝付き』を注文。
 あ~、満足、「ビールおかわり!」

2018年1月23日火曜日

[6236] チャクラ chakra

●チャクラ chakra
 とても辛い調味料を見つけたのでうどんに入れて食べた。辛いものを食うとすぐに体が反応して一番最初に頭頂から汗が吹き出る。次の日、トイレで用を足しながら、尻の穴がヒリヒリするので、あ~これは昨日の昼のうどんだとわかる。
 ふと思った。辛いものはこうやって体を通っている間もずっと辛いのだろう。口以外はあんまり感じないだけだ。ならば塩っ辛いものとか甘いものとかも口から尻の穴までずっと感じているのだろう。
 肌は色を感じていると聞いたことがある。肌に視覚器官はないから赤とか白とか明確な色がわかるわけではない。でも着ている服の色で1日の気分が違うような気がする。だから塩っ辛さや甘さもその日の気分を塩っ辛く厳しくしたり、デロデロに甘くしたりしているんだろうと思う。
 ところで辛いもの食うと頭頂から汗が吹き出るということは、口から尻の穴までどころか、頭の先から尻の穴まで辛さを味わっていることになる。
 そこでわかった! インド哲学がチャクラを解明したのはあの辛いカレーがあったからだ。漢字では辛さ(からさ)は辛さ(つらさ)だ。辛いものを食うと体全体が辛さ(つらさ)を味わい、そこから脱しようと頭頂のチャクラが開くのかもしれない。
 そこで辛いの食って新しいチャクラ作品を作った。

2018年1月22日月曜日

[6235] 雪の作品

●雪の作品
 ペリペリ画法をやると、当然のごとく剥がされた紙が床に散らばる。普通の絵なら紙やキャンバスに絵の具が重ねられてゆくので、絵の具が乱暴に飛ばない限り床に拾うべきゴミはない。つまりペリペリ画法は絵の具が塗られるので質量がプラス、剥がされ省かれ捨てられるので質量がマイナス。行為もそうだが、質量的にもプラスマイナスゼロのイメージを持っている。
 自分はこの剥がすマイナスの後のビジュアルに感動したのがきっかけで、この画法を成長させている。プラスだけの絵を描いても自分の絵としてはイマイチ納得がいかなかったのだ。『剥がされ省かれ捨てられ』の言葉は暗く切ない意味合いだがとても興味深い。他人の作品でもいろんなものを削ぎ落としたミニマルな作品に興味をそそられる。または題材としてマイナス的イメージを含んだものに対して興味をそそられる。かといってミニマルアートを好むわけではない。彫刻がそうだとは言わない。そこから脱するプラスがあってこそゼロなんだろうと思う。
 半透明な紙で折り鶴を作り、雪の上で燃やす。
 都市ではマイナスの雪を、
 あ~、やっと、
 僕はプラスに表現できた。

2018年1月21日日曜日

[6234] Nobel Prize

●ノーベル賞
 この間ノーベル賞受賞者カズオ・イシグロさん原作の映画『Never Let Me Go(わたしを離さないで)』を観たけど、素晴らしい。これは間違いなくノーベル賞だねと思った。
 今日、こうの史代さんのマンガ『この世界の片隅に』を読み終えた。
 これもノーベル賞をあげなきゃ!

2018年1月20日土曜日

[6233] 逃避

●逃避
だいたいワシは好き勝手やるだけで、
努力というものをあまりしたことがない。
努力すると吐きそうになる。
気も滅入る。
努力しないけど怠けもしない。
だからいつも努力と怠けから
全速力で逃げている。
おかげで地球が自転していて
丸いことがわかった。
ついでに人も自転していて
内面が丸いことがわかったような…
人間、空回りだったりして。

2018年1月19日金曜日

[6232] 大わじん

●大わじん
作りたいもの作っている感じだな。この技法でこれまで数点しか作ったことがない。300点ぐらい作った経験があれば、スムーズなのになぁ。まあ作ったことないから一瞬一瞬が新鮮でイイってのもある。出来上がったの見たら、あの映画の『大魔神』に似てるような気がした。あの映画は好きだ。じゃあ、タイトルは『大わじん』かな。
SSに見せたら、
「変身前なの? 変身後なの?」と聞かれ、
あっ! これはその途中だ!

2018年1月18日木曜日

[6231] マージナルマン

マージナルマンmarginal man
 久しぶりに注文の作品の紐作り。
 いつもの小さい粘土はペペペのペッと作れるので、紐作りなどというチンタラチョコチョコは性に合わない。ところが意外と真面目で集中力がある性質なので無我夢中になってしまった。いつもと違って頭はスッキリ、体は良い疲れ。これは楽しい! 世の陶芸家たちは結構空っぽで楽しい生活送ってんだ、イイなぁと思った。ワシなどはどれにも属しているようで属してないマージナルマンみたいなもんだからなぁ。
 頭が空っぽになったので色々アイデアが湧いてきた。この方法であれもこれもできそう、だったらあれなんかもと、二作目に挑戦。しかし思った以上に疲れるのが欠点だな。

2018年1月17日水曜日

2018年1月16日火曜日

[6229] ぬすぐらえ

●歯医者の帰りに実家に寄る。
去年父親が亡くなったので仏壇に手を合わせる。
仏壇の前にはお酒やら菓子やらいろんなお供え物がある。
コーヒーのお供に甘いものでも戴いて帰ろうとすると、
背中に悪寒が…
振り返ると、オカンが、
母親が襖を少し開けて覗いていた。
「持ってちゃダメだ」と注意される。
なぜかいつも僕を見張っている。
自分では気づいてなかったが、
たぶん僕は子供の頃からしょっちゅう『ぬすぐらえ』(盗み食い)をやっていたんだと思う。
それを母親は『次男坊=ぬすぐらえ』という構図で記憶しているのだろう。
親の心子知らず。

2018年1月15日月曜日

[6228] 一本化

●一本化
 粘土で久々のヒットシリーズ作品ができそう! 春の個展で発表するつもりだ。制作しながら思ったのは僕は形を一本に絞らないなぁ。例えばすこぶるカッコいいメインの形を前面に押し出せばいいのに、メインが見えなくなるくらい様々な形を制作する。それらが大きな意味で一本化に見えてくると、そこから違った路線をまた発見する。なんでだろう? 最近のペリペリ画法を発見したのも同じ意思だろう。こういう思考は意図的でない。一本化が危ういと感じているのかもしれない。画一化や一元論などもそうだが組織化された窮屈なイメージが漂う。大きな牢屋だ。
 猫ばっかり作っているからって、猫一本で閉じてるわけではない。仏像ばっかり作っているからって、その道だけに収まるわけがない。仏に会えば仏を殺せ。日本は海に囲まれているからって、世界を無視して閉じているわけではない。空がある。地球上の物質は外部と隔絶されているわけではない。地球は宇宙船地球牢ではない。
 閉じる一本観念に対しての新しい逃げ道、方向を模索し発見する。
 999回挫けても1000回目に抜ける、ピュッと。

2018年1月14日日曜日

[6227] Open your mind.

Open your mind.
最近は絵でかなり解放に向かったおかげで
粘土作品も解放され数段自由になっている
世界は楽しいぞが忘れ去られていたようだ
解放が心の奥に閉じ込められていたようだ
いつの間にか解放禁止令が出ていたようだ
Open your mind.

2018年1月13日土曜日

[6226] 工作

●工作
紙に定規当てたり
ナイフで切ったり剥がしたり
工作やっている
なんか絵描きになるはずだったのに
これはどういうわけなんだろう? 
最近の世の中の情勢に関係あるのでは?
北国に住んで工作! 
ワシは北に住んでいる工作員だったりして
写真は最上川(ワシの庭の一部)

2018年1月12日金曜日

[6225] 寂寥感

●寂寥感
朝の掃除のためにいつも窓を全開にする
今朝はクソ寒い
足元に凍った風が吹く
カンパ
日が差してきて、マイナス10度
夜中はマイナス15度はあったろう
庭の木々は樹氷のよう
積もった雪は凍っている
雪掻きしてエクササイズ
いやー、山形は実にいい!
「雪国は大変でしょう」などという言葉聞く
テレビでは寒波がどうのこうの
雪道の事故がどうのこうの
毎冬毎冬
バカじゃなかろうか?
今の時代、春夏秋冬
どこに住んだって大変だ
日本はどこに住んでも
慣れれば天国だ
慣れなきゃ地獄だ
問題は己の心だ
まあアホくさい世間は放っといて
この寒波のおかげで
ピンク・フロイド
寂寥感が骨身に染みる
暗く寒いいい感じの絵ができた

2018年1月11日木曜日

[6224] 外科手術

●外科手術
紙が金属に見えるということから五行がよぎった。
 *Wiki : 五行思想
『自然哲学。万物は木・火・土・金・水の5種類の元素からなるという説。 5種類の元素は「互いに影響を与え合い、その生滅盛衰によって天地万物が変化し、 循環する」という考えが根底に存在する』
 人間の身体はいろんな臓器でできている。外科手術でそれらの部位を切ったり取ったり他のをくっ付けたりしている今の時代。でもバラバラにしたものをくっつけても何故か命にはならない。部品をくっ付けて出来上がっているAIロボット時代。今だからこそ五行は大事な哲学かもしれないね。
 僕の作品も切って剥がしている外科技法だし、少し意識してみようと思う。

2018年1月10日水曜日

[6223] 紙文化

●紙文化
僕の紙作品が金属に見えるということ。
日本は紙文化であること。
このことから紙の可能性を
もうちょっと熟考。
思いもしなかったアイデアが降りてきた。
新しい分野が拓けそうだ。
ふふふ…ワハハ…ガハハハハハ

2018年1月9日火曜日

[6222] いけない行為4

●いけない行為4
いけない行為は社会の中にいっぱいある。社会には一定の秩序を保つためにルールやマナーが必要だ。人間は社会的動物だから、一人じゃ死んじゃうのさ。
 ただしわけわからん決め事も多い。こっちでは良くてもあっちではダメとかもある。人々が自由を叫ぶのはガチガチ常識や理不尽なことや不自由な掟に雁字搦めに縛られたりしたときだろう。不自由を感じたから自由という言葉が存在する。
 そこでアートの出番。なぜやってはいけないのか? という素朴な疑問、そして反抗。犯行ではない。『昇華』だと思う。Wikiで調べてみた。
◉昇華
『心理学・倫理における昇華(sublimation)とは防衛機制の一つ。 社会的に実現不可能な目標・葛藤や満たす事が出来ない欲求から、別のより高度で社会に認められる目標に目を向け、その実現によって自己実現を図ろうとすること。 例えば、満たされない性的欲求や攻撃欲求を芸術やスポーツ、学問という形で表現することは、昇華と言える』
 まあ、こんなものかな。

2018年1月8日月曜日

[6221] いけない行為3

●いけない行為3
 ところで僕と同じようにペリペリやっている人がいるかもしれない。他の作家の絵でもペリペリではないが塗り重ねてから削り落としたりするカービングがある。しかし磨きや削るや彫るなどの行為は絵を完成させるための途中作業だ。カサブタをペリペリと剥ぎながら快感を得、新しい皮膚を出すのとは違う。
 最近、気になるいけない行為を発見した。コーヒータイムにケーキとか食っているとチョコが狙う。前は食べ終えた皿についたクリームとかあげていたが、人間の食べ物は猫には刺激が強すぎるらしく、体に悪いということであげないことにした。そこで僕が皿をペロペロ舐める。おおお! これは絶対、お母さんが叱る! ペロペロ画法か! 
「妖怪皿ねぶり!」

2018年1月7日日曜日

[6220] いけない行為2

●いけない行為2
 新しい技法や変わった技法はそこら中にある。しかしいけない行為からの技法は稀だ。
 昔、ポロックという人が絵の具を撒き飛ばす絵を描いた。「なんてことすんの、部屋が汚れるでしょ、やめなさい!」とお母さんは叱ったと思う。デュシャンなどは会場に便器持ってきちゃった。もしかしたらゴミ捨て場にあった汚いものかもしれない。「なんてことすんの! まさか部屋でウンコするつもり? 捨ててきなさい!」とお母さんに叱られる。あんな紳士な顔してとってもいけない子だ。ダミアン・ハーストなどはとんでもない。「お父さんが大事にしてる熊の剥製を二つに切ったりして、なんて子なの!」とお母さんは激怒。いけないことは行為だけでなくモチーフにもある。奈良美智の子供がナイフを持っている絵。「こら、そんなもの持って遊んじゃいけません!」とお母さんはナイフを取り上げるだろう。
 ところで僕のデビュー作の『猫神様』も、実は「なんて罰当たりな子なの! お寺の仏様に尻尾つけて! 住職さん怒ってたわよ」と仏教徒のお母さんが叱るいけない行為だったのだ。
 まあこういういけない行為がアートとして昇華されると世間に浸透して、いつの間にか普通の行為になる。違和感があった常識の嘘がペリペリッと剥がされるわけだ。

2018年1月6日土曜日

[6219] いけない行為

僕のペリペリ画法は紙に絵の具を塗ってペリペリと剥ぐ技法だ。この技法の原点は非常に子供じみたやっちゃいけない行為なのだ。
「またカサブタを剥がしている。血が出て痛いからやめなさい!」とお母さんは叱る。それでも僕は隠れてカサブタを剥がす。何故やめなければならないのかがわからない? 自分の体なのだから気をつけてやるし誰にも迷惑かけない。これは常識的な親に対する小さな反抗でもある。
 ところでカサブタ剥がしをやりたくても僕の体にいつもカサブタがあるわけではない。わざわざ転んでズリ剥けをするわけにもいかない。
 そこで紙という身体に皮膚という絵の具を塗りナイフで傷をつけカサブタを剥がす。下から新しい美しい皮膚が出てくる。剥がし過ぎれば血が出る。うまくいけば心地好い。これがペリペリ画法だ。カサブタを剥ぐのと同じ感覚なのだ。
 写真の絵はこの間の個展に出して他の人の手に渡ったものだ。もともとは表面が全部真っ赤なカサブタ、それをほとんど剥いて新しい皮膚とこのような傷が残った痕跡なのだ。この作品を手に入れた方は究極を狙うなかなか見る目があるヤツだと思った。

2018年1月5日金曜日

[6218] 晩年

去年から描こうと思っていた『月』の絵をペリペリ画法で制作した。昨日の絵日記の写真に出した絵だ。『暗』部に入って、とうとう最高峰の絵ができたと思う。時々眺めている。
 実にイイ、好きな絵だなぁ。
 これって60歳でかなり納得する作品ができたわけだ。考えてみると諸先輩方の作品でもこれはすごいなぁと思うのは60歳70歳80歳とかの晩年というか老人になってからの絵だ。若くしての社会的にセンセーショナルな作品はもちろん面白い。しかしやはり極めた作品はもっと面白い。若死にした人はしょうがないが、成長もせず変化もせず惰性でやっている作品はつまらない。僕は10年後20年後どんな絵を描くのだろうと楽しみなんだ。これが生きる理由だね。
 60歳70歳は全然ガキだということだ。

2018年1月4日木曜日

[6217] YOLO

問「猫専門ギャラリーで猫でない作品を展示できるのか?」
 猫専門ギャラリーで展示している作品は100%どこかに猫を入れ込んでいる。これの問題点は猫を入れ込むことに拘ることで、無意識に自由が束縛され、未来に向かうはずの新しい発展が妨げられる可能性があることだ。この微細な違和感の悩みを考察していた。温泉で湯に浸かりながら解決策が降ってきた…だから温泉はいい。
 もしうちの飼い猫のチョコが筆を持ってキャンバスに見事な風景画や想像画を描いたとする。その絵は当然猫専門ギャラリーに展示可能だろう。社会は猫が描いた世界に興味があるだろう。そうそう夏目漱石の『吾輩は猫である』は猫が見た世界だ。
 1992年、僕は『猫神様』という仏像と民芸招き猫が合体した作品を発表し社会に猫祭りや猫産業の土台を作った。全ての上と下を平衡にした感覚だ。インタビューで「なぜ猫なんですか?」と聞かれたとき、「猫が僕を選んだのです」と答えていた。あれから26年、そろそろ夏目漱石さんのように「わたしは猫です」と言っても差し支えないだろう。
 春のギャラリー猫町での個展タイトル
『わたしは猫だから』展:  Because I am cat. 
とりあえずこれでいい。
僕は気分良く湯を出た。
You Only Live Once.

2018年1月3日水曜日

[6216] 防火水槽

大雪、自分の家があるところは11軒で一つの組になっている。組には一つずつ防火水槽と消火栓がある。防火水槽は道路脇から4メートル四方ほどのコンクリートが田んぼに飛び出て、田んぼからは一メートルほど高い。この中に消防用の水が入っているのだろう。
 大雪になる度、順番でここの雪掻きをやる。今日は僕の家の番だ。今日の雪は粉雪なので軽いからそれほど難儀ではなかったが、その粉雪は積もっても固くない。この雪で防火水槽と田んぼとの境目がわからなくなっていた。雪を掻いていてコンクリートの外の田んぼを踏んでしまった。右足がズボッと落ちた。身体が田んぼに落ちることは無かったが、右足の付け根内側をコンクリートの角に激突! 激痛! 打撲! 夜見たら、なんと5センチ四方程の青タン! それもズボンの皺がつき、チェック模様になっている。気色悪りぃ! 幸いにも金玉は大丈夫だったが痛くて椅子に座ることができないではないか!

2018年1月2日火曜日

[6215] 年頭所感

都会からここに引っ越して8年、この人もまばら車もまばらな風光明媚な地に住んでて思う。
 今年はここでの個展をやらない。作品発表は都会、作品制作はここだ。一般的に都会が『中心』ならここは『周辺』だ。猫造形をやり始めた頃、その当時のアートの『中心』ではなく『周辺』を探していて猫を発見した。猫が新しい主流になるかもという一発逆転を密かに期待していたが逆転はなかった、が新分野として猫祭りに猫産業が成り立ってしまった。
 今、新しい作品を製作しているが、猫がほとんど姿を消している。これは猫が僕の中で『中心』として定着してきたからだと思う。これでは自分が固まってしまうと危機を感じ、新たな『周辺』に向かったのだ。なぜなら『中心』に向かうのは権力志向とか既成概念固持とか主観とか正統派とかセックスは正常位以外ダメとかLGBTは認めないとかオレ様主義とかだ。これだと新しいことが受け入れにくくなるし思考停止のバカになる。バカは悪や犯罪や戦争が入る隙が大きい。これではいくら勉強して利口になろうとしても知識は古い自分を正当化するだけで進歩は望めない。地球は宇宙の中心という『天動説』をいまだに否定できない精神になってしまう。前進するには余計なことせずとも一番手っ取り早いのが、身体ごと『周辺』に浸かることだ。これで雪道にスキーを手に入れたのごとく滑らかに進むことができる。最近やっとこのスキーであるペリペリ画法が身についてきている。このまま己の中の『周辺』を制作し、その散りばめられた目の前の周辺事実から、真理を覗き込もうと思う。

2018年1月1日月曜日

[6214] ワン

ワンハート
ワンラブ
ワンアース
ワンピース
ワンダフル
今年もよろしく。