●膝乗りパソコン
先週の木曜日に
膝に乗りたがるイゴ用の
膝にも乗せてパソコンもできる
このようなスタイルを作った。
これでずっといける筈だったけど
一回だけだったね。
●イゴ
イゴが亡くなった。18歳。
イゴは東京の谷中で生まれ、生後19日で当時僕が住んでいた神奈川の津久井の家にやってきた。家にはオスメス2匹ずつ猫がいた。まだ歩くのもおぼつかないイゴを、なぜかオスのポチくんが甲斐甲斐しくおしっこやウンコを舐めて育てた。
数ヶ月後成猫となったイゴは、新しく家にやってきた相模原生まれのアニニョンに惚れてカッコいいとこ見せていたが、アニニョンの方が木は高いところに登れるし駆けっこも速いので自分が鈍であることを知り弱気になってしまった。盛りではオスとしていいとこ見せようと頑張ったが、なにせアニニョンは美猫、世間の野良オスどもに先越されて、今度は内に籠る子になってしまった。かなり落ち込んでいたがアニニョンがとても優しかったので、他の猫がいない隙にアニニョンが誘って念願叶ってイゴ似の子が生まれた。友達に貰われたその子もイゴ似で鈍だったらしく、残念ながら若くしてガンで亡くなってしまった。イゴも身体中にイボができて舐めるのでなかなか治らなかった。遺伝なのだろうか。
イゴはポチくんに感染させられたのか歯槽膿漏がひどく、全身麻酔で全抜歯でも生き残り、去年も死にそうになったが復活した。いろんな困難を乗り越えまっすぐ我が道をグイグイ押して進む性格だった。他の人には懐かないが僕にはまるで犬のように懐いた。そんなに懐いているのに、その欲求を満たしてあげられなかったことに悔いが残る。
今回、さくらんぼ取り期間中にひどい発作が起きて、病院で輸液を受けた。その後元気になり今までになくエサをがっついていたので、やはりすごい復活力だと安心していたが、金曜日の夜に見たこともない黒い血反吐を吐いた。それ以降は水とトイレが近いところが落ち着くのだろう水場や草の上でジッとするようになった。このような姿は去年にもありそれでも復活してきたので、また平気な顔してグイグイ押してくるだろうと思っていた。しかしとうとうまだ暗い今朝方に亡くなった。
イゴの遺体をイゴが一番好きだった僕の膝の上で朝日が登るまで2時間ぐらい抱いていた。パソコンを見ている最中だろうが、本を読んでいる最中だろうが、粘土いじっている最中だろうが、絵を描いている最中だろうがもっと膝の上に置いてあげればよかった。
●家族の絆
毎年この時期に思い出しては日記に書いている内容。
僕が30歳のさくらんぼの時期、NYで展示会をしていた。
この展示会の世話役の会社が今はないツインタワーのかなり上階にあった。
「お父さんから国際電話がきています。明日午後3時にまた電話がかかってきますのでその前にツインタワーまで来てください」と言われた。何事だろうと少々不安になった。
次の日、ツインタワーに向かった。上階では二つのビルが揺れていてくっつきそうになったり離れたりしていた。ずいぶん揺れるビルなんだなぁと思った。
電話に出た。
父親「さくらんぼ取りだから帰ってこい!」
オレ「な、何? 今はNYで一世一代の展示会だぞ! アホか!」
父親「お前以外に誰が取る。早く帰ってこい!」と電話を一方的に切った。
唖然!
このように山形・ニューヨーク間などさほどでない家族の絆を取り持つさくらんぼ取りなのだ。
今の僕なら家族の絆を理解しているので、火星で仕事していても「あ~、忘れていたわ。わりぃわりぃ、わかったすぐ帰るわ、オヤジ」と言うだろう。
●太陽の恵み
さくらんぼ取り6日目。
山形はさくらんぼ取りで家族の絆がしっかりするように思う。兄弟親子と言っても、昨今は個々の生活スタイルも考え方もそれぞれ主張するから一緒の行動は少なくなっている。そんな個々をまとめてしまうのがさくらんぼだ。
手間を考えればそんな収入にはならない仕事。自然のものなので何があろうがこの数日間以内に真っ赤になった太陽の恵みを採って人々に送り出さねば、誰も見ず腐るかスズメの餌だ。だから家族親戚が総動員する。
日差しが強くなって暑くなる前、午前早くにやるので、生活時間がお日様主体になる。
畑ではそれぞれが知り得ている話をするが、木から落ちるといけないので会話に集中はしない。ラジオの音に紛れて意味に重要性はなくなり鳥の声やハウスに当たる雨音と一緒になる。
木の上では体幹やバランス感覚が鍛えられ、今までに使ったことのない筋肉が痛む。元気が湧く。
山形の人間が他人に優しいのは、人間中心主義が消え、個々がお日様の周りを回ることを知っているからだろうと思った。
写真:ベニサヤカのジャム作り。もう一つはこの間じゅんさいが売り切れと書いた僕の絵日記を見て、近所で民泊工房FUuをやっているフーちゃんが持ってきてくれた。工房とは七宝焼き。じゅんさい美味しい、これも太陽の恵みだろう、ありがたい。
●環境の美
実家の隣のさくらんぼ畑を眺めたら、
実に整然としていて美しい。
ここの農家の人は
職人気質があるね。
『食と文化』という言葉があるけど
畑造りの美のことも含むべきだろう。
そうやって考えたら
ミシュランのやってる
美味しいところだけでなく
畑造りとか店舗内装とか
美しいものには
毎年、市の方から金一封が出るとか。
市に貢献したMVPでもいいかな。
ワシなどは
『花壇大賞』貰えるなら、
もっと頑張るかも、
スギナいっぱい出ていて
草取り大変だけど。
●気
実家の姪っ子と話をしていて気づいた。姪っ子は車の中で寝ている自分の赤ちゃんが気掛かりで、ワシの話に気を取られないようにしている。
彼女は『気』を言葉を話せない赤ちゃんに掛けていて、ワシの言葉には『気』を取られないようにしているのだ。
『気』って面白いなぁと思った。『気』とは言葉を超えている。『気』とは存在するとかしないとかという物質として考えてはいけない。『気』は言葉以外のものに掛けることで、例えば赤ちゃんに『気』を掛ければ『気』の塊のような赤ちゃんから『気』が発散され、掛けた本人自身が『気』を浴びることになる。ここに活気の循環がある。
ところが言葉はあたかも赤ちゃんが存在しているかのように『気』を取ろうとする。そうなれば言葉に騙され、『気』忙しくなったり、『気』弱になったり、『気』狂いになったりする。
さぁどんな言葉も『気』にせず、気宇壮大にゆこう。
●エアコン
雨が降ると庭の緑が映えて美しい。
メダカの稚魚が溢れ出ないように蓋をする。
池のスイレンが咲きました。
去年の今頃はもっといっぱい咲いていたな。
寝室にエアコンつけました。
冷房の風はあまり好きじゃないけど
熱帯夜対策です。
●言葉
東京時代の友人から昔の話を聞かされたが覚えていない。こういうのを、昔のことだし歳のせい、物忘れとかボケというがその判断は短絡的だと思った。歳をとって物を忘れるのは全体の雰囲気を単純化した概念で囲ってしまおうとしているのだと思う。
例えば子供の会話は少ないボキャブラリーなのにずいぶんと話が弾んで楽しい。これはその子供らが共通の雰囲気の概念の中にいるからだと思う。たくさん言葉を知ったからといって全てを表現できるわけでない。これから生まれる言葉を含めあらゆる言葉全てから見たら、世にある言葉などほんの僅かだからだ。だからボキャブラリーの多い少ないは問題外で、大事なのは雰囲気を掴む概念だ。概念とは雰囲気とコンビなのだ。
物忘れとは細部の言葉が大きな雰囲気の概念の中に綺麗に組み込まれ必要なくなったのだろう。最終的には雰囲気を持つたった一言の概念で済むのだろう。例えば『ありがとう』とかだ。
●カッコウ
風呂場の窓ガラス、ガツンと音がしてカッコウが庭に落ちた。チョコが走った。ワシも走った。ワシより早くチョコがカッコウを、咥えた、が翼だけ。大きな羽根が一枚取れて口から外れた。もう一度噛もうとしたが、カッコウの大きさに、チョコは驚いた! 腰が引けた! その隙にワシが捕まえた。
カッコウは弱っている。猫のいない玄関側に連れて行って、楓の木の下に置いた。ダメそうにも見えたが、1時間後、フラフラ飛んでいった。
ところでカッコウは托卵する。よそのトリの巣に卵を生んで、早く卵から孵り、他の卵を巣から落として、餌を独り占めにする。こんなこと親が教えるわけないし、親なんか知らないし、育ててくれたトリを親と思わないし、仲間見たことないのに大きくなって自分の仲間がわかるし、相方見つけて、よそのトリの巣に卵を生む。変なことタクランだトリだ。
●生と死
銀メダカ五匹は二つの水鉢に分けてある。一つの鉢には銀とオレンジと黒のメダカがいて、オレンジが卵を抱えていた。これは合体が生まれるかもしれない。ところで銀一匹がいない。メダカはたまに勢い余って鉢の外に飛び出ししまう。探したが見つからなかった。しかし残念なことだけではない。もう一つの鉢の銀メダカが卵を抱えていた。銀メダカは残り四匹オスだと思っていたから嬉しい。これは完全銀同士の子かもしれない。親に食べられないように卵を取り、別のガラス鉢に移した。10日後ぐらいに孵化する。楽しみだ〜〜〜
そういやブログに「死にたい」とか書いている若い女子がいた。この子は気づいてないかもしれないが自己中心的思考だ。「死にたい」情報をいっぱい集め、そんなことばかり考えていたら「死にたい」妄想に囚われるに決まっている。毎日あいつが憎い殺したいと考えていたら殺したい妄想に囚われる。毎日エロエロ言ってエロのことしか考えなかったらエロに囚われる。毎日金金言って金のことばかり考えていたら金に囚われる。なんでもそうだが囚われるのは奴隷か犯罪者で、そこは幸せなど入ってこない檻の中だ。そんな不自由極まりないところにいつまでいても埒が明かない。囚われないようにすることだ。
「死にたい」欲望の自己中から他己中に転化すればいい。他を愛でることだ。あなたの知らない世界が開ける。銀メダカの卵はワシにとって知らない世界だ。毎日思い眺め育て愛でるだけでいろんなことが解り楽しい時が流れる。自己など初めっから単独では存在しない。
●ネコの目
朝日を避けようと
色々試行錯誤し
失敗を重ね、
途中諦めようと思ったけど、
そういや古いボロボロの細いよしずがある。
これをバラして
半透明のプラダンの穴に差し込んだ。
なんとピッタリ!
大変な作業でしたが
苦労した甲斐があって
上出来です。
満足じゃ!
あと鼻と耳ですね。
●火
冬は家の中で火、夏は庭で火。
庭に小さな穴を掘り、石を敷き、ファイヤースペースを作った。
昨日の晩、まだ明るい夕暮れ時に火を着ける。周りが明るいので火はそれほど目立たないが、周りが暗くなるにつれて、火は存在感を露わにし美しく踊り出す。空には一番星が輝き徐々に星々が増え始める。北斗七星を確かめたところで、火の粉は揺らめく紐状となって火の玉のように飛ぶ。時間と共に炎は鎮まり、だんだん小さくなり、そして無くなる。真っ赤な炭が風でメラメラ揺れる。ここまで2時間弱。
火とその周り、空に至るまで、環境の変化がゆっくり身に沁みる。
時間を数値ではないものとして、心底体感したように思う。
●動植物
動植物って面白い!
コーヒー豆屋のお姉さんは切り花が好きで、店にいつも珍しい花を生けている。たまに呉れる。この花は葉っぱから細い茎が出て花を咲かす。「葉から花」を調べてみた。いろんなのがあるね。ほんと面白い、感心するわ。
ところで人間の活動によって今後100万種の動植物が絶滅すると聞いた。動植物は地球の細胞のようなもの。人類も地球の細胞の一つ。人類は「俺らは癌細胞でいいや」という意識になったような気がする。そこで地球の動植物が隠し持っていた細菌やウイルスの総攻撃を受けている。人類こそ絶滅危惧種に逆転だ。ならば逆転の発想で動植物を守る事、動植物ってほんといいよねって興味を持って愛でることだね。
●雨垂れ
今日は雨。
うちの家には雨樋がない。
集まった雨が落ちる時
よしずに当たって
弾けて窓に掛かる。
これでは暑い雨の日に
窓を開けられない。
そこで竹竿を2本立て掛けた。
嫌いなデザインではない。
これでOK
●西陽
これまでは西陽が射してくると眩しいのでブラインドを降ろしていた。そのせいで内と外が断絶され、西陽との交友もなくなり、いつの間にか西陽は嫌いなものとなる。同じように都会に住めば、虫や自然との交友がなくなり、出会う虫といえばゴキブリやハエや蚊だから、虫全てを嫌いになる。
ところがよしずを置くと、そのよしずに西陽が当たり、よしずからオレンジ色混じりのイエローオーカーの色の波が内外に広がる。その色によって夕暮れ時の淡い懐かしい感覚が呼び起こされる。この感覚は分断前の根源だから懐かしいのだろう。
西陽との交友を復活させることができて、一日の時の流れがますます滑らかになり、永遠に続く波に乗っているように感じる。必然である最大最難の断絶の生死の界までもが消えてゆくように思える。
ところで内外の断絶はエアコンが必要になり、除湿機や加湿器や空気清浄機などどんどん機械が増え、内を埋めてゆく事になる。よしずを置けば壁は消え、内と外は繋がり、風が通り陽が射し空間は広くなるのに。
これは精神内にも言えることだと思う。コロナ禍によって三密などの対策が取られるのは、暗に断絶に対するアンチメッセージでもあるのだろう。苦から逃げ所有する快楽ではなく、内も外もなくなるような工夫を創造することが心地良い事なのだと思う。
よしずをしてから入ってきた虫はハエではなく可愛いハチで、窓に向かって手を扇いだら静かに外に出ていった。
●毛並み
猫は毛で夏を涼しくしている。毛は皮膚に影を作り直射熱を防いでいる。そこで僕は家に『毛並み』ならぬ『木並み』を設計した。しかし去年の夏は暑さでダウン。問題は窓。みんなからエアコン入れろと散々言われ色々と考えた。エアコンはいざというときのためにあってもいいが、やはり家と庭を分断したくない。いつだって風を感じていたい。
そこで快適に過ごすため家全体を毛で覆うことにした。つまり窓の外によしずやすだれだ。思った以上に家の中に外の熱が入らない。SSは寒いと言っている。もしかしたら薪ストーブが必要になるかも。