●見るそのもの
ワクチン2回目接種。
「自分は大丈夫だ、運がいい」なんてのは個人の思い込みに過ぎない。しかし他人が「大丈夫だ」「安心安心」と掛ける言葉は確かに根拠がないけど、メンタルが辛い時、救ってくれるように思う。子供の笑顔とか、猫が頬を擦り寄せるとか、穏やかな風が吹くとか、そういうものと同じで、気休めかもしれないけど大事だと思う。
問題を解決するには答えがあればいいけど、100%明確な答えを人間は持ってない。答えなんてのは確率だからだ。社会にとっては確率でいいのだが、個人は不安だ。どっちに転んでも明確でないなら、全てを忘れるために敵を作り攻撃したり、モノをぶち壊したり、快楽に逃げ込んだりする。
さて思考にはどうやっても理解できないことがある。しかしそれを身につけることはできる。それは生死に執着しないことだ。全ての問題は生死と関わっている。だから答えは「執着しない」になる。例えば生死とは目の瞬きのようなもの。瞼を閉じたからと言って目の玉が無くなったわけではない。つまり生死は表面上の瞼のようなもので、奥には『見るそのもの』があるのだ。『見るそのもの』には生死の概念を超えた方向が見えている。しかし我らが持つ思考では生死の概念と繋がっているのでそれを理解できない。これを身につけるには生死に執着しないこと。執着しないから悪いことや差別はしないし慈悲を持つことになる。逆に言えば悪いことも差別もしないで哀れみを持つことで生死が消える。
子供の頃に持っていた屈託のない笑顔や猫の無邪気さや穏やかな風が元々それだ。生きようが死のうが生死を超えたところにいるからこそ『大丈夫』なのだ。