●感謝
マッピョは寝たきりで、自分ではもう何もできなくなっていて、数日間、スポイトで栄養水をやっていた。昨日は僕の顔をみて無音でニャーと泣いた。なぜか解らないがめちゃくちゃ可愛く感じた。
昨夜、夜中の一時に亡くなった。
今日の午後、マッピョの母猫であるアニニョンの入っている隣を、柄の曲がったツルハシで穴を掘った。このツルハシは亡き父からもらったもの。僕は多くの人から大事なものは全て与えられて生きているのに、何も返してないようだ。
動物は自己中心だという。生きている間は確かにそう見えるが、果たしてそうだろうか? ペットの短い一生、全身全霊をかけての人間への癒し、食とされる動物の濁りのない命の犠牲、これらに自己中心などは微塵もない。人間こそ自己中心だろう。動物から本当の幸せを学ぶために人間は知能があるのだと思う。その知能を自己の際限の無い欲求のためだけに使っている。これを幸せと勘違いしている。それでは決して満たされることはないのに。
掘った穴にマッピョを入れ、土を被せた瞬間に、己の我という堰が切れたように感情が迸る。人間は生まれてから自己の欲求のためにガツガツ生きて、そして何も理解せず不満で苦しんで惨めに死ぬだけなら、自己犠牲を厭わない動物以下である、動物から学ぶべきだろう、奪うだけでなく、奪う以上に与えなければならない。
墓をきれいにして、庭に咲く花々を散りばめ、手を合わした。
あんなことやこんなこと、楽しかったね。
あんこともこんなこともしてしまって、ごめんね。
あんなこともこんなこともしてくれて、ありがとう。
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