『未来』ついでに、大昔のチベットの僧曰く「『過去』とは干上がった川で魚を釣ること」。意味はね、過去のことを思い出してどうのこうの主張するのは、たぶん頭の中でそのように思い込んでいるだけで、もはやそれは事実からは程遠いかも、ってことかな。『未来』にしろ『過去』にしろ、頭が都合よくもしくは否定的に描いた幻みたいなもんだ。
そこで『現在』か? 僧は言う「『現在』は日々の暮らしに追われて何も見えない」だってさ。これが『時間』の全部、、かと言うとそうではない。忘れてならないのがやはり『余裕』という心の時間だと思うよ。
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