もりわじん絵日記
2015年3月31日火曜日
[5207] 無い無い
ワシの小説だけど、陶人形を売るショップやギャラリー、数日前はガールズ農場の八百屋、そして最近は源八酒屋さん。
本屋とはほど遠い商店でワシの小説は販売されているわけだ。
『本屋ではない大賞』ならいけるかも。
考えてみればワシはアーティストだけど、アートとは関係ないところで活動しているし、建築家でもないのに家を設計したんだけど実は家のフリした招き猫だ。
世間は専門分化されているのに、ワシは専門家の領域を無視し、その境界を無い無いしている。
国境だって無い無いできるかもね。
ネット通販は『風呂猫マーケット』
http://furonekomarket.ocnk.net/
2015年3月30日月曜日
[5206] ちゃん
エコキュートがおかしくなったので、そういう仕事をしている弟に来てもらった。
膝が痛いとかいいながら屈んでいろいろ調べている弟の姿を見ながら思った。
「かあちゃん」「とうちゃん」「じいちゃん」「ばあちゃん」「にいちゃん」「ねえちゃん」「おじちゃん」「おばちゃん」そして自分は「ぼくちゃん」とあるのに、なぜ弟と妹のちゃん付けはないのだろう?
2015年3月29日日曜日
[5205] 戦わない
県議会議員の選挙でもあるのか候補者からチラシが来る。
出陣式とか後援会とか戦うとか、なんか戦争ごっこのような言葉って気色悪い。何で戦うんだろう? たぶん世の中には悪いヤツがいて、自分が正しいんだろう。
ところでワシは宿命なのか、戦わないでも生きてゆける術を身に付けてきた。それって例えば心地良く酔えるワインが作れて、欲さえこかなければ、誰かの味方になる必要はない。例えば山を歩く瞑想的な人に敵も味方もいらない。ワシは戦う人の欲望の最終目的地である心地良く酔える瞑想的なものを作り続けるしかないわけだ。戦わなくても手に入るものなんだけどね。
戦う人にはなかなか通じないかもしれないけど、ワシは人間に必要な『戦わない』というメッセージを送るだけだ。降りかかる火の子は払うし、目に入るゴミは避けるけどね。
そういや小学生のころのあだ名が『ガンジー』だったわ。
2015年3月28日土曜日
[5204] 音空間
今日はいつもの碁点温泉旧浴場にて、ダスティン・ウォングという人のライブ。近場にここがあるから引き蘢りのワシでも歩いて出かけ楽しめる。
彼は唄を歌うわけでなく、足元に数個のエフェクターを並べ、ギターを演奏しながら音に音を重ねたりして、現場で万華鏡のような音空間を作っていく。面白い! 途中、自分の作品のアイデアがポコポコ湧き出たから、ワシの内部でもかなり面白かったようだ。
家に帰ってすぐにそのアイデアを絵にした。
2015年3月27日金曜日
[5203] フレンチ
夕方、近所の『こめやかた』へ出かける。
ここは農家なのだが、ゲストハウスもやっていて、いろんな国の人が東京を無視して成田から真直ぐここ村山市を目指してやってくる。住人らの意識が国際的なせいか、とても心が広くて、ワシには楽しい。
今晩は、数カ国を旅して回っている若いフランス人のカップルがフランス料理を振る舞うというのでやってきたのだ。けっこう料理上手、美味かった。
自分の周りにアメリカ人、イギリス人、スイス人、そしてフランス人がいるので、ふと自分が外国を旅してゲストハウスに泊まっているような懐かしい気分になった。
2015年3月26日木曜日
[5202] 通販開始
小説『自由自在堂』の通販開始しました。
『風呂猫マーケット』というネットで販売します。
http://furonekomarket.ocnk.net/
4月11日から始まる次の個展開催地『北鎌倉古民家ミュージアム』に来られない遠くの方、早く読みたい奇特な方、恥ずかしくて外に出られない方、かなりの引き蘢りの方、街出たらヤバい方、日中は寝ている方、知らないところには行きたくない方、寝たきりの方、逃走中の方など、どうぞネットでゲットできます。
Amazonが買いやすい方は、まずはAmazonのホームページに入ってから『もりわじん』を検索してください。
いつもの台詞ですけど、読んでも私を嫌いにならないでね。
2015年3月25日水曜日
[5201] 祈る姿
ワシより若い知人の猫作家が急死した。
人生なんて長いようで短い。
いつ何時、逝っちゃうかも解らない。
お金も仕事も大事だ。
しかしそういうものに捕われない、
時代に流されない、
社会に振り回されない、
大自然体な作品が最も大事だ。
もう『死』んじゃってもいいくらいの
作品を『生』み出そうと思う。
そんな作品っていうのは、
直感だけど、
祈る姿のような、
まったく『差別』のないものだ。
ご冥福を祈る。
2015年3月24日火曜日
[5200] エロティック
父親が我が小説『自由自在堂』を半分読んでの感想。
「80過ぎの年寄りにこんなエロティックなもの読ませて頭がポンポンする。あ〜、小馬鹿臭い。オマエ、みんなに笑われるぞ。どれ母ちゃん、温泉でもイクベ。まったく、あんなもの読んだら男風呂も女風呂もない」と。
でも最後まで読むと言っているから、たぶん楽しいのだろう。頭が自由自在になってきているのかもな。しかしド田舎の年寄りのくせに「エロティック」などという言葉を知っているってことは、ワシの知らない父親がいるんだな。面白い。
写真は春かと思ってたのに、いきなりの雪で雪の花が咲いたユキヤナギ。このあと大雪。
2015年3月23日月曜日
[5199] 充実
これからの毎日を充実に暮らす方法を考えてみた。
人と語らうってのは意見の相違や人生相談や昔話で精神的には消化不良に終わるのでつまらん。人間関係に喜びを求めても、とかくに堪え難い結果を生む。だからたまにでいい。
欲望の赴くままに暮らすというのもあるけど、それってこれまでの経験で大満足した試しがないから、おおよそ幻想だ。
いろんな所へ出かけるのは、とりあえず忙しい身だし生粋の出不精。
では仕事に精を出し経済発展する。これも今までやってきて、心が豊かになるようなものでないと薄々気付いている。ほどほどでいい。
楽しい思い出のあの頃に逃避する手もあるが、それも幻想で、反対に今ここがウツになる。
ふと庭を見た。
そうだ、木を植えよう! 林を作り、木陰を作り、風を感じようと思う。
よし! 庭の大改造です、、ってことで庭木を買いに。
2015年3月22日日曜日
[5198] ふきのとう
庭仕事しながらふきのとうを採る。
家の中はふきのとうの香りがして心地良い。
天ぷらはもちろん、できたてのふきみそが格別に美味い。
冬眠から覚めた熊はまず始めにふきのとうを食べるという話を聞いたことがある。
頷ける。
身体の中から春と共に活力がわき上がってきます。
2015年3月21日土曜日
[5197] コロポックル
昨日なにげに読んだアイヌのコロポックルについての記述が面白い。コロポックルのモデルとなったのが北千島アイヌで、本島アイヌとの間で言葉を交わさず物々交換する『沈黙交易』というのが行われていた。本島アイヌが千島の浜辺に品々を置き、船にいったん帰る。隠れていた千島アイヌが欲しい物を取り、代わりに毛皮などを置いて去る。本島アイヌが戻って来て毛皮などを持ち帰るのだが、多すぎるときは残してゆく。面白い! たぶん千島は有り難く思うから多く毛皮を置き、本島はそんなにいっぱいはもったいないと遠慮する。この姿勢が再交易に繋がるのだろうと思う。交流はしない。なぜなら「見られるのがイヤ、口をききたくない、信じられない、そっとしておいてほしい」。この小心者の性格が『こびと』という表現になったのだろう。ワシの性格と共鳴する。「アンタらの争いに巻き込まないで! そっとしておいてほしいわ」ってね。
2015年3月20日金曜日
[5196] 美
数年前、いつもヤーコンや珍しい山菜を持ってきてくれる叔父さんからひょうたんに絵を描いてくれと頼まれた。気が乗らないので放っといたが、ふと北鎌倉の個展に出してみたくなった。
別に凝ることもなく普通に塗り絵風に始めたんだけど、なにげに美しい。まったく期待してなかったのに、思った以上に楽しい。気が熟したのか。このひょうたんの形がいいのか?
目の前の何もかもが『美』になるなら、怒りや憎しみは砂粒ぐらいだろう。『美』はいろんな不満や不快を赦すのかもしれない。一人一人が自ずから『美』や『楽』を紡ぎだすようにすれば、無慈悲で理不尽な犯罪や争いは回避できるような気がする。
ワシは今日もせっせと世のため人のため『美』を作り出すのであった。
2015年3月19日木曜日
[5195] 天の視点
ドローンで家猫を撮影。
天の視点で自分を見ることは新鮮だし大事だと思う。世の中次々と面白い遊び道具が出てくる。世界は膨張していて、隙間が出るので、そこを埋めるべき新しいものが登場するのだろう。
ワシの若い時分、「もう新しいものなど無い」なんてことが一時期言われてたけど、そんなことはない。過去の知識でいっぱいの頭で見たら、そりゃあ新しいものなど見えないだろう。知識もない自分がこの世に生まれでたことが最も新しいのに、自分には本当の自分が見えない。過去の視点ではなく、天の視点、超客観的視点が必要なんだと思う。
2015年3月18日水曜日
[5194] 庭仕事
庭を見る。雪もやや溶けてきている。こりゃぁ、春に向けてうんざりするほど庭仕事があるなぁ。焦ってもしょうがないので一つ一つクリアーしてゆくしかないでしょう。
まずはユキヤナギやブルーベリーなどの小さい木の雪囲いを外す。花芽の膨らんでいることが気分をとても良くする。カモが群れで飛んでいる。除雪車用の目印の杭を外す。Tシャツで充分の暖かさ。猫が走る。SSは猫用の柵のネットを元に戻す。
疲れたので昼寝、起きたら筋肉痛。
さて、鎌倉の個展用の作品制作に入ろう!
2015年3月17日火曜日
[5193] 胆のう
帰宅。
胃の痛みがまだ治らないので病院に行く。エコー検査をしたら、なんと胆のうポリープだってさ。
なんじゃそれ? 胃じゃなかったんだ!
全然小さいので問題はないと言われたけど、帰っていろいろ調べて、思い起こすと、最近の食生活は食い過ぎだ。
もうこの歳だからバク転やバク宙をすることもないだろうと思い、庭仕事のために筋肉つけようとデブになろうと、山形は米が美味いから、昔の二倍、バクバク食っていたのだ。
これが原因だなァと思う。
まあ、あまり食わないようにしようっと。
人を食うのも止めようっと。
久しぶりに酒を楽しんださ。
写真はマフィン食い過ぎの猫。
2015年3月16日月曜日
[5192] 表紙
個展会場に自分の小説を置いていて思う。
賞をとればとか専門家の賛辞などがあればとか、そういう冠はあればあったでいいかもしれないが、無くて当然、それが無いと何もできないなんてことはない。そういうのって今の自分が貧弱だから、虚飾で覆って優越感に浸りたいようなもの。誰かが認めれば前に進めると思うこと自体がもはや貧弱だ。社会は自分を解ってくれないとか、自分はダメだなんて思うことも一切なく、そんなの無関係にいろんなものに挑戦したり発表したりして遊べばいい。ワシにとって、小説『自由自在堂』は粘土作品と同じように作品の一つだ。
さて次はどんなワガジンを作ろうかなと模索しています。
写真は小説の表紙になった絵とそれを手に入れたお人。あんがとさん。
2015年3月15日日曜日
[5191] 十一面
個展情報が今朝の新聞に出たせいか、いつも来てくれるお客さんだけでなく、ワシの作品に初めて出会うお客さんが多かった。
作品の進化とは直線的にただただ先へ先へと進むことではなく、喩えで言えばあらゆる方向、四方八方放射状に広がるビッグバーンのようなものだなぁと思った。
写真のタイトルは『十一面観音』。一般的な十一面観音は頭のてっぺんに十一の観音様の顔があるものだが、この作品が十一面観音である理由は、顔や身体に平らな面が十一面あるんです。けっこうこのシャレもこの作品の見た目も好き。
2015年3月14日土曜日
[5190] 書評
個展初日。
初出版の小説『自由自在堂』も順調に人の手に渡っています。とりあえず「読んでも僕を嫌いにならないでね」と言って渡しています。
下記が今まで集まった書評4つ。
「この小説って、アートの話をしているけど、実は、人生について、普遍的なことについて述べている」
「この本を読むと、いかにして唯一無二の作品を創造し、もりわじんという突き抜けた存在ができたのか、主人公たちを通してその軌跡をかいま見る事が出来る」
「それぞれのテーマってどれもすごく深いから、「自由」だけで1冊、「極める」だけで1冊、「天才」だけで1冊書けるほど壮大だ」
「まだ半分しか読んでないけど、すごい面白いです」
2015年3月13日金曜日
[5189] 個展
久しぶりの遠出。愛知県瀬戸市の個展会場に出発だ。
山形は雪で寒いけど、瀬戸はどうなんだろうと予報で気温を調べ、服装を過去の写真から検討する。名古屋に着いた時点で、ゲッ! ずいぶんと暑い。
第一会場はショップ内に所狭しと展示され、ぐるっと回り、ショップから坪庭を通って第二会場に入る。道路際なのに騒音もなく静かな空間に気分は一変する。新作立体も絵もいい感じにすっかりきれいに展示されていた。坪庭には椅子もあるし、ここでのコーヒーは楽しいだろうなと思った。胃が痛いのが残念だけど。
皆さんお待ちしております。んでは。
2015年3月12日木曜日
[5188] 不穏
自分の好きな画家や映画監督や詩人など、歴史上のアーティストの作品を思い出してみる。彼らの若い時代の作品は斬新でいいけど、歳取ってからの作品もなかなかのもんだ。そんなに好きでもないあのルノワールのカールタッチだって、年と共に巧妙に繊細にいい感じになっている。ワシもやや職人だからこれからどうなるか自分でも楽しみだ。
ところで泣き猫を絵付けしてたとき、そういやピカソに『泣く女』ってのがあったなぁと思い、年代を調べたら1937年、ピカソ56才、ワシの今の年齢に近い。あの晩年の名作『ゲルニカ』を描いた年で不穏な時代だ。なるほどなぁ、今の日本も不穏な時代なのだろうか?
2015年3月11日水曜日
[5187] 老
「最近若返ったような気がするんだけど?」と顔洗って鏡を見ながら言うワシ。
「目が悪くなったんじゃない」とSS。
「……」
さてと今日は撮影・梱包・納品だ。
目まぐるしく動き回り、やっとギリギリで運送屋さんに渡す。
バンザ〜イ。
いつもならこのあと風呂入って、酒でもグビッと呑んで、大声で笑うのだが、胃が痛むので止めだ。
まったく。
2015年3月10日火曜日
[5186] アホ
アホです。無駄骨でした。
なんと今晩から乾雪が降るとか猛吹雪だとか寒波が来るとかよからぬ予報が、しょうがなく昨日外した雪囲いとずっと前に外した池の覆いを元に戻した。ほんとに降った。
まあこのぐらいはあっという間に元に戻せるし、春はもうすぐ必ず来るからたいした苦労でもない。それに引き換えあの放射能の除染、汚染土がつまった不気味な黒い袋の軍隊の列、袋の対応年数も過ぎているのに捨てる当てもなく、あっち置いたりこっち置いたり、すっきり明るい未来ならまだしも、わざわざ大きな暗い迷いを未来に作っている。
足元より中央の頭を除染したほうが早いかも。
2015年3月9日月曜日
[5185] 不都合
今週末にもう一回ぐらい雪が降るような天気予報なんだけど、たぶんそれほどでもないと思うから、窓の雪囲いを外すことに。庭仕事は身体が喜ぶけど、個展前で一生懸命やったら手が震えてルノワールみたいなタッチになって猫の毛並みがカールしちゃうので雪囲い外しは半分だけにした。
窓から明かりが入って、部屋も明るくなった。あれ? こんなに外が見えたっけ? ってことは外からも見られているんだ。なんか妙に気恥ずかしいような。
人は明かりが射さないところに長い間住んでいると、慣れてその不都合に気付かくなる。ヤバいと思った。
2015年3月8日日曜日
[5184] 悟り
やって来た幼稚園児の女の子が猫を見てはしゃいでいたのに、急にじっとして宙を見ている。どうした? と聞いたら「今、悟っているの」と答えた。わ〜ぉ、目の前が開けたような気分になった。
己の心がアートや詩や音楽などの芸術より政治に重きを置いたらヤバいなぁと思う。芸術とは己を包む全体の真理を求めるようなところがあるから、それを政治とか経済などより低くみたりしたら、人は限定された枠内、狭い檻の中にいるのと同じことになる。精神の開放や悟りからは遠のく。
こっちからはそっちが見え難いけど、そっちはこっちを含みこっちの知性だけでは届かないほどまだまだ遠く広い。こっちの知性を磨いて、そっちに少しずつ近づくぐらいしか今はできないけど、進む前からそっちを諦めるなんて、なんともつまらない。
子供はあっちこっちそっちにいるようだ。
2015年3月7日土曜日
[5183] 判じ物
過去を懐かしんでいるぐらいならいいのだが、ハマり過ぎると、思いが心の中で発酵し恨んだり悔やんだりといった感情的なものに反転するように思う。温故知新ならいいけど、怨古血新(過去を怨んで未来を血に染める:造語)はダメでしょ、みたいな。
温故知新でふと南方熊楠のマンダラを思い出した。あれを最初見た時、嬉しくてかなりぶっ飛んだ覚えがある。今自分を見ていて熊楠の言う萃点は何かと思いを巡らし一人着々と『わじんマンダラ』の完成に向かっているような気がする。
2015年3月6日金曜日
[5182] 防寒
個展前、気合いを入れるために、無精も頭髪も久しぶりに剃った。
身が引き締まった感じなのでよし。
だがロボコップの中身のようなヌペラとした顔で気色悪い。
ところで頭が寒くてしょうがない。
いつもは、頭頂の毛はほぼ無し、後頭部と左右にややパラパラと数ミリ毛があるだけ。
見た目は完全なハゲだ。
それなのに、その僅かたった数ミリだけで、防寒になっていたとは!
すごい! 不思議なもんだ。
2015年3月5日木曜日
[5181] 個展案内
インド哲学では「自分の最も内側、個の中心にあるものをアートマンと称し、それが宇宙の根本原理であるブラフマンと同一であることを知覚することで至福に到達する」といわれている。
今回の作品はそのアートマンと芸術のアートが繋がった様な感覚(遂に来たか!)なので、この名前をつけ、それが猫なので、もじって『アートニャン』としました。その作品(添付写真はそれではありません。写真では表しにくい)は前後を回り込んで見てゆくと言葉にならない微妙な感覚を覚えます。喩えると映画『2001年宇宙の旅』のモノリスに出会ったようなものかな(ワシの中ではね)。是非本物を見て体感して下さい。
3月14日(土)~29日(日)火曜日休み
ArtHouse 庫離・招き猫ミュージアムSpace29
営業時間:10:00~17:00
問合せ先:0561-21-0345
作家在廊日:3月14日(土)15日(日)
2015年3月4日水曜日
[5180] 引き
人がいると気が散る。父親はあいも変わらずこちらが作品に集中しているところに、邪魔しないからと押してくる。押すものは拒みたくなるが、引くものはまあまあ入ってくだされと受け入れたくなる。父親は押しは強いが引きが弱い。相手しないで、小説書いたから読んでてくれと渡したら、静かにずっと読んでいる。
そろそろ昼メシ時だ。ワシは家でメシ食っている時に人がいるのが好きでない。気になってメシの味が解らないからだ。父親は本を閉じ「次々と読みたくなるな」とワシを見た。いい意味でオマエは息子ではないと言っているような目だった。父親が少し引きを覚えてくれたのかもしれない。僕も少し自立したような気分になった。
引きを身につければ、ある程度の事件は予防できると思うな。
[5179] 開く
雪ももう積もることも無いだろう。雪の嫌いなピニャモもときどき庭に出始めているので、池の覆いを取り外し、居間からフラットに庭に出れる夏バージョンにする。
池を見たら金魚10匹が死んで浮いていた。池の水も少々黒ずんでいる。
やはり生きものは閉じた空間で暮らすのはよくない。人間でも、他所を悪口非難すれば、自分では気付かないうちに、心の中に壁を作り、行けない空間ができ、結果心が狭くなる。この池と同じで閉じるわけだ。
思考を一つに集中しないように、二つに分裂しないように舵を取ろう。そうすれば開かれるように思う。人も国も。
雪が溶けたら池から庭全体に広がるよう工夫しようっと。
2015年3月2日月曜日
[5178] 心次第
風呂上がりのベランダ、雲一つない月明かり。
「月がとっても青いから♪」という昔の歌を思い出したけど、どう見てもこれまで一度だってワシの目に月が青く見えたことはない。
人それぞれ見てきた物や経験、環境が違うから、その人が納得ゆく色合いにその脳が補正するので、余程でないかぎり見え方が違っても問題は無いわけだ。
てことは、たとえばワシら日本人は南の島の海や建物・服などを見るとカラフルで、あんなとこに住みたいなぁと思ったりする。けど、たぶんそこで生まれた人たちはそう見えてないかもしれない。意外と地味に見えていたりして。
今、ここの足元は心次第で美しくなるってことだ。
2015年3月1日日曜日
[5177] 初出版
『自由自在堂』 ワシの初出版の小説です。
内容:「昔、世話になった東京の画材屋の自在堂の奥さんが急死した連絡を受け、あの頃を思い浮かべる。自在堂は今では全国各地で20年以上も続く『招き猫祭り』が最初に催されたところ。猫祭りが生まれるまでの12年間、自在堂で繰り広げられた店長と若きアーティスト達の心模様を綴った物語。唯一無二の作品を創造し猫界を背負ってきたもりわじんの半自伝的小説」まあ気恥ずかしいっす。
半自伝的とは言っても粘土と同じで、形は座って手を挙げた猫、ここまでが自伝で、あとは性格的に空想妄想癖があるし、精神が少々妙なので、手が4本あったり目が無かったり洟垂らしていたり盛ったり削ったりして作品はできます。まあそれが文字物語になったのです。
とりあえず展覧会現場から販売してゆきます。まずは今展覧会中の大阪は梅田 紀伊國屋本店 1階 猫の日記念催物会場で3/5まで。その次が3/14から瀬戸になります。名古屋近辺の方は瀬戸で。詳細は追って告知します。通販は後々ね。
なおアトリエに訪れての購入はご遠慮下さい。ではよろしく。
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