人はどんな色にも染まらず透明なまま進めば美しい。
右様だの、上様だの、某政党様だの、某国様だのと、私とはどこぞの偏った旦那様の手下ではない。
透明ってのは赤ん坊みたいなものだと思う。人は元赤ん坊で、赤ん坊が大人になった。だから身体の中には赤ん坊がいる。赤ん坊が透明なわけは、他の色に染まってない、目的もない、主義主張もない、結果もない、とにかく何もない。あるのは『もしかしたらの可能性』だけだ。つまり大人だって自分の内部に可能性を発見すれば、それが自分の中の赤ん坊だ。それを自分という親が育てればいい。
最近のワシにとっての『もしかしたらの可能性』は英会話だな。あと絵かな。何もならないかもしれないし大した未来もないかもしれない、けど無駄だとは思わない。実はワシの中の赤ん坊が無邪気に笑って育っているのだ。その様が楽しい。こっちの『様』の方がいいよ。
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