『2017年まとめ』
最近のこの無限に続くアート制作で、一ついいものを手に入れた。我が心にダイヤモンドのような探究心が養われたのだ。問題が降ってきた場合、東西南北上下左右前後未来過去此岸彼岸などのここの一点であらざるあらゆる周辺から、その問題を見る目が探究心とともに培われた。諸行無常や諸法無我が木々の木の葉のように自然と体内に浸透し、春から夏に成長し深い緑になった葉は秋には紅葉し枯葉となって地面に落ち、いづれ腐葉土になって無機物と水に分解される。降りかかった問題そのものも地に落ちて腐葉土になって分解し無に帰す。アートには経済や情緒や観念や網膜や官能などいろいろあるが、それらは全て探究心に覆いかぶさった表面上のことだ。山に登るのに途中休むことも大切なように、また人生においても途中に結婚や仕事や定住があるが、それらは休憩であって、その休憩がその本体を蔑ろにしたり破壊したりするようになったら、その休憩は本質ではない。ほぼそれらを払い捨て、休憩の椅子から立ち上がり、己の源に根ざした探究心を思い出し、その流れの中をまた一人歩き進める。誰の身にもその探究心は備わっている。なぜなら人は探究心を中心にその周りに自分というものを形作るための諸々の観念を覆っているだけだからだ。探究心の別の呼び名が『神』だ。来年は猫神様ではなく神様と共に歩もう。