2019年1月31日木曜日

[6609] しょう

小雪やなれど発症腱鞘炎しょうがないけど少々凹む仕事に支障があるでしょうし
(七五調にして全部に『しょう』を入れて詠んでみました)

2019年1月30日水曜日

[6608] 朔日猫

朔日猫
ハチマキ猫はおかげ横丁の浪曲茶屋の前で踊って客引きしているじぃちゃん猫。横丁の人気キャラになっている。このじぃちゃん猫の暮らしぶりを小さい人形にして、名前は赤福で人気の早朝3時からお客が並ぶという毎月1日だけに販売する朔日餅にちなんで『朔日猫』にした。伊勢のおかげ横丁の吉兆招福亭で、毎月テーマを変えて限定5点、1日から販売している。もう三年以上続いている。
 これからもライフワークのように続けますので、伊勢参りの時はお店に入って眺めてね。あるかも。

2019年1月29日火曜日

[6607] エビアワビ

エビアワビ
エビとアワビを持ったハチマキ猫。
最初のイメージはボッキ貝とアワビだったけど、
ボッキ貝は色がないのでエビにしたのだ。
それにボッキ貝は名前が卑猥だ。
「マジメに言ってんの? ホッキ貝でしょ」

2019年1月28日月曜日

[6606] ふざけ

ふざけ
最近、ワシ、マジメぶってるな。
ふざけてニャンニャンアートにしたはずだったのに
偉そうに、いつの間にか猫作家様になっちまった。
みんなを癒しちまった。
マズイ! マズイ!
ふざけたことしてないと、心身が腐る。

2019年1月27日日曜日

[6605] ワイヤーアクション

ワイヤーアクション
彼、香港からお呼びがかかりコンサート会場のワイヤーアクションの大道具をやってきたらしい。
「ホテルはスィートの部屋だったよ」
「ヘェ~、誰のステージ?」
「アンディ・ラウ」
「聞いたことあるな?」
「有名みたいよ」
調べたら、
「ん! 香港の映画スターじゃないか!」
「そうだよ。他の国でもステージやるんだけど・・・」
「バンバンやってバンバンスィートだね!」
「モンゴルだけ行きたいから、他の国は断った」
「まあ、しょうがないか」
ペリバにスピーカーを取り付けてくれるというけど、ノリの人だから、いつのことやら。

2019年1月26日土曜日

[6604] 三毛ハート

●三毛ハート
お! ピニャモの柄、ハートだ。
黒と茶が男と女、陰陽で、
白が環境かな。

2019年1月25日金曜日

[6603] 太陽

太陽
太陽が出た。
雪かきなし。
陽を浴びよう。

2019年1月24日木曜日

[6602] 雪降り

やっと冬らしい、けど、雪降りすぎ。
とても美風景だ、けど、雪降りすぎ。

2019年1月23日水曜日

[6601] 檻の思考

檻の思考
人は社会という檻の中にいて、この檻の中で良き方向に進もうとしている。この檻は檻というから不自由な悪いイメージがあるが、檻の中にいるものは檻の中の考え方をさせられているので檻の中ということがそんなに気にならない。
 ところで見る限り辺り一面、檻の壁や檻の天井や檻の床なので、僕らの思考は全て檻の情報でできている。だから自分の考えを自分の思考などと思わず檻の思考と言ったほうがいいだろう。
 ペリペリは2017年、僕が発見した画法だけど、これだって例に漏れず檻の中の思考だろう。しかしマット紙がペリッと剥がれた時、檻もペリッと剥がれたような気がして、檻の外を一瞬垣間見たような、未知なる無意識を覗いたような、オリはオレだったとダシャレと真理がコラボしたような、そんな感覚を味わった。

2019年1月22日火曜日

[6600] AI


AI
正否双方の意見を言わせ闘わせ
AIはその正否両方の知識蓄え
人間を超えた最高の判断をする
AIって、もしかして愛のこと
哀だったりして・・・・・・・

2019年1月21日月曜日

[6599] ペリ師

ペリ師
作品ペリペリを制作する僕の職業はペリ師。
ペテン師みたいだな。
 ところで、今年になってから山形からわざわざ名古屋の個展に来てくれた人達をペリバに招待している。猫のわじんではない、ただのわじんの個展に来てくれたんだもの、大変有り難い。この気持ちを口先だけではいけないので、山形ー名古屋間、往復の飛行機代に相当する粗品を皆さんにプレゼントした。
 みなさんありがとう。(ぺてん師より)

2019年1月20日日曜日

[6598] ポチ

●ポチ
朝、16歳のヨボヨボのポチくんがベッドに近づいてきて、じっと僕を見る。

2019年1月19日土曜日

[6597] 葛飾北斎

北斎
 昨日の絵日記のサイン繋がり。
 日本では何十というサインを持った葛飾北斎がいた。弟子に画号を売っていたという噂もあるぐらいだからタダ者でない。写真は北斎のサインである『北斎改為一筆』。ペリペリしてみた。
 僕も昔は作家名を何度も変更し、一番長かったのが本名から遠くかけ離れた『有原一郎』だった。今はいないかもしれないが、昔は渋谷を歩いていると「やあ、一郎!」と声かけてくる人が何人かいた。あの野球の一郎が出るずっと前だ。SSも実は数年間、「一郎さん」と僕を呼んでいたのだ。ガハハ・・・アホクサイ。

2019年1月18日金曜日

[6596] サイン

サイン
昨日の流れでこんな文字をペリペリしてみた。
 これは知る人ぞ知る人のサインだ。
 サインというのは僕が去年制作した『染色体』や『楽譜』や『漫画のコマ』などと概念が共通する。

2019年1月17日木曜日

[6595] 打ち合わせ

●打ち合わせ
春の個展で販売する小説『ペリペリ』の打ち合わせ。
内容は、なぜ猫になったのか? 
『大猫』という小説で始まり
その後なぜペリペリになったのか?
ドキュメンタリーエッセイ。


2019年1月16日水曜日

[6594] 忘れる

忘れる
昨日「生まれて初めての肩こり」と言ったけど、SSからクレーム。
 考えてみれば前にも生まれて初めて肩こりになったと吠えていたわ。きっと毎回、前の経験をペリッと剥いで無になって忘れて、再び、生まれて初めてを繰り返しているのだろう。でもいつも新鮮になれるから忘れることも大事だ。しかし問題は肩こり以外の病で、前回はうまく自分で治したけど、その治し方を覚えていないのだ。毎回これで苦労する。「どうやって治したっけなー?」と。
 写真はパネルのヘリをペリペリ、額縁があまり好きでないからこのようなアイデアが出る。これが肩こりの原因かな? やってて、面倒なことやってるなーと思いながら、ハマりまくって時間を忘れる。
 やはり『忘れる』のだ。

2019年1月15日火曜日

[6593] 肩こり

肩こり
朝日です。今年は雪が降らないね。雪掻きがないので楽だが、真面目にペリペリやっているせいか、生まれて初めて肩こりを経験している。意外とシンドイ。

2019年1月14日月曜日

[6592] 文脈

●文脈
今日は若い作家と最近のアート情報交換会。
 ペリペリのレイヤーに興味を持ってくれたので嬉しい。昨今のアートの多様化している文脈について話す。
 文脈で思い出すのは、まだ文脈なんて言葉なんか知らなかった自分がニューヨークで展示会した30の時、現場にいるので自ずと欧米のアートの文脈がビンビンに感受できた。それを数値化したような『ポイントアート』というのが思い浮かんだ。本にしたらイケると思ったが、帰国したらもちろん日本ではポイント制のゲームのようなアートなんてとんでもない。清く貧しく美しくが蔓延しているところにそんなもん提示したら、自分が美大出てるわけでもないし、一般人からは多分反対意見が多すぎて、こりゃあ生き難い。自分の中にも清貧美ではないが、精神の奥隅に弱々しく抵抗している得難い広大無辺の何かがいたのだと思う。ならばその美術分野とは別の方向を模索して、日本と欧米の哲学の中間地点として提出したのが、高ポイントでもあった『猫神様』だった。それがブームになって良かったのだが、鎖国したように日本側にどっぷり浸かり忙しくなって、心ぐらいは開国深部まで行かせることさえ怠け、アートへの探究心はおざなりになっていた。しかしさて還暦だ、再びアートを通して個人なり世の中を探求したくなり挑戦。そこで運良く『ペリペリ』を発見した。若い頃のような欲望の活動は面倒だし、心身にこびり付いた余計なしがらみや情報や概念を剥ぐのに大変だったが、猫教の尊師の座もペリッと剥いで、ようやくペリバができて、15石あるが14石までしかポイント化できない吾唯足るを知る的概念の叡智の空間(龍安寺)にある本当の『全部』を自分の体質に合った緩やかなリズムで観察しているような気がする。そんなことを話した。

2019年1月13日日曜日

[6591] 龍

 住んでいるところは『碁点』と言う地名。最上川の石が碁石を点々と散りばめたようになるからこの地名がついた。石といっても巨大な岩の表面で、川の水が減ってくると現れる。石が見えるから浅いように思うかもしれないが、石のちょっと先はクレバスのような岩の裂け目でとてつもなく深い。そこを観光の舟下りとして石を避けながら舟が通る。
 時々庭に出て、川を眺める。雪に覆われた石が美しい。この左には『龍神のつり橋』があり、川の反対側に渡れる。ふとこの光景をどこかで見たことがあると思った。龍で思い出した。京都の『龍安寺の石庭』だ。こちらは潤っているが、むこうは枯れている。陰陽を感じた。それに僕は基本引き籠り。『籠り』の文字にも龍がいる。
 僕は庭から龍になって600年前の京都、あの石庭を表現してみようと思う。

2019年1月12日土曜日

[6590] トライポフォビア

トライポフォビア
蓮の花托のあの丸いっぱいを嫌いな人がいる。トライポフォビアという名前の恐怖症らしいけど、ワシの姪っ子がそうだ。自然界にはこのような模様がたくさんあり、危険な生物や病気の視覚的特徴を想起させる。生物はこれを嫌悪することで近寄ろうせず、自分の身を守っているのかもしれない。逆に作家の草間彌生さんの水玉のようにこのようなデザインを身につけることで他を嫌悪させ身を守っているのかもしれない。ペリペリやってて丸いっぱいとペリペリが少し似ていると思った。でもペリペリは曲線より直線が多い。だから多分生物的な防御デザインではない。それになぜか嬉しいのだが、僕の絵を見た人の多くがクールで透明感があるという。精神を透明にするためについた色をペリッと剥いでいるからだろうか。粘土作品は可愛いとか日本民芸とか経済とか重層的にいろんな色や匂いがついているから、それとは対照的な方向である。だからこそペリペリはプラマイナゼロのバランスを保つよう必要なものとなる。このバランス感覚が防御になるのだと思う。人生綱渡りで落ちないためにね。

2019年1月11日金曜日

[6589] 実験

実験
ペリペリの大作に取りかかっている。
そのための実験作品作り。
自分の制作姿勢は息つくようにポコポコ作って
失敗も成功もへったくれもない。
だから多分これまで何かのための実験などやったことがない。
なのにこういう地道な作業が意外と性に合っている
というか楽しい。
やっと大人になったのかもね。

2019年1月10日木曜日

[6588] 面白さ

面白さ
面白さというのは元に戻るような方向の思考をあまり使わないことだと思うね。繰り返さない、まとめない、無駄に大量化をしない。これらをするとそのうち未来が塞がってしまいそうなんだ。だからなるべくやったことないことに挑戦してみること。細やかな空間での話だけどね。例えば黒を塗っていい感じにできたからと、次も黒を塗りたくなる。しかしちょっとでも馴れ合いになりそうだったら、それをするのをやめる。試しに青を塗った。それが実に新鮮、面白いとなる。


[6587] 新年会

新年会
去年、カフェ&アート展をやったみんなと新年会。
楽しかったさ。
めちゃくちゃ寒い。
夜中の三時まで飲んでしまった。
今年も張り切っていこう。



2019年1月8日火曜日

[6586] アート道

アート道
今年初めての実家。
父親の仏壇にペリバができたことを報告。
まあこれから頑張って絵を描くよと伝えた。
すると彼方の父親から言葉が・・
「ナァオマエ天国チュウトコハアート道ダ」
昨今のワシは猫作家のタガが外れて
怒涛のように作品展開が激しい。
ファインでもなく
モダンでもなく
コンテンポラリーでもなく
ポップでもなく
どこにも所属しない自由自在な道
これがワシのアート道か
アートの道は険しく長い。

2019年1月7日月曜日

[6585] 無垢

無垢
「ワーー、本物は違うね」
と無垢な女子はポーズをとった
アート道まっしぐら
やる気満々

2019年1月6日日曜日

[6584] 修理

修理
 正月から修理が多い。
 元旦は駐車場の雪囲いを大工。長靴の穴は二度目で成功した感じ。あとペリバのドアの鍵、湿気でドアが少しゆがんで鍵が掛かりにくい。そこでノミ使ったりパテ使ったり二日かけての修理。これはプロ並みの出来。全体的にはいい加減な修理だけど、楽しい。
 今年は修理的作風になるのかもしれないな。
 ミーコラージュの発想なんてのも、ペリッと剥いだ自分=ミーを再構築、つまりは修理する感じだもの。

2019年1月5日土曜日

[6583] ゴム長靴

●ゴム長靴
ゴム長靴は雪かき用とか数種類用意してある。
 去年、足の指を怪我して保護のために家の中でゴム長靴を履いていたのが癖になって、もはや外でも中でも長靴生活になってしまった。
 三日前、外用の少々厚手のゴム長靴に穴が空いたので、自転車のタイヤのパンク用のゴムを貼り修理、結構楽しい。そうだ! これでゴム猫を作ろう。ところが雪道を歩いているうちに剥がれ冷たい。まったくゴム猫のやる気が失せた。
 とりあえずもう一度しっかり貼り付けたが、内履き用となった。厚手なので暑い。蒸れる。時々下駄に履き替える。

2019年1月4日金曜日

[6582] ミーコラ MeCollage

ミーコラージュ MeCollage
 魂による時間の上の自分を再構成したアップサイクル的コラージュを制作してみた。これを『ミーコラージュ』MeCollageと名付けた。略して『ミーコラ』。「Meコラ!」と自分を叱っているような。自分大切と自分戒めの両極端の意味合いがあっていい感じだ。MeTooが盛んに言われる今、嫌がらせ側が内省しているMeコラ!は必要だろう。
 ハラスメント(嫌がらせ)する側が、Meコラ!を理解できればいいのだが、なぜか石のような思考は理解や変化を無視していろんなところにぶつかり壊しながら転がり続ける。彼らはこれまで自分の身の回りに言葉や力を並べ自己正当化の石の擁壁を作ってきた。井の中を蛙のように擁壁によって外が見えないから大海を知る由もなく、自分が己を上回るエネルギーを持ったと錯覚する。その錯覚エネルギーが優越感となる。裸の自分を見せたくないといっぱい服を着ているようなものだ。他人は彼らの服の中をほぼ想像しているのに自分では気づかない。中にあるのは劣等感というものだ。優越感とは見せかけのもので、時間や所が変われば消えてなくなる不安な幻のようなもの。問題はまやかしの優越感の内に密かに潜んで居座る劣等感だ。劣等感からの錯覚エネルギーはそれほどでもない。随分と犠牲を払ったが全体的には非常に少ない変化をもたらすだけだ。世界は優越感という服の色が変わっただけで、あいも変わらず暗く澱んだ可哀想な劣等感は居座っている。人が優越感を見せびらかす時、影のようにくっ付いている暗い劣等感も一緒に見せびらかしてしまうので、さもしさが露わになる。劣等感は自分以外の誰かに優越性を発見し、それを追い求めたところから生じる。自分の中の劣等感のもっと奥にある自らのエネルギーは隠されたままだ。さてここに多様性を持ち込んでみよう。多様性によって優越感という中心志向が失われ、当然裏の劣等感も消える。全ては剥がされ己のエネルギー源を見ることだろう。
 ところで昨今はもう一歩先に変化したようで、多様性をセーターに喩えるなら、此れ幸いと蠢き出した虫たちがセーターを食い穴を開ける。禁煙嫌煙喫煙犬猿喧々タバコの焦げ穴、知性は面倒と捨てられ感情がむき出し引っ掻き傷、セーターはボロボロだ。これらによってまたも多様性が分断せざるを得ない状況だ。
 その打破が『ミーコラージュ』なのだ。

2019年1月3日木曜日

[6581] 能

『魂』(絵日記2018  年12月30日)の視点からの考察。
 自分の今をペリッと剥いで、過去に制作したものを眺める。それらは自分の中の饐えたものだと思っていたが、今はそれらがもはや自分と他人の区別は薄れ、誰でもなく、まさに新鮮な目で見ることができるものとなっていた。腐ったものというより発酵して旨み成分が出てきたような、まだ育っていないこれから結果を出す原料と言える。すぐに結果を出さなければゴミになってしまう現代に対するゆっくり変化する半減期数十年数百年数千年も放射している能かもしれない。

[6580] 風景画

●風景画
 中学の同級生と会った。
 名前も思い出せない同級生なのに「もりの絵はすごかったよな」と言う。なんのことだろう? と聞いたら、中学の頃、風景を描く課題で、僕は夜の風景画を描いた。彼はその絵に感動したと言う。確かにみんな普通に昼の風景画なのに、僕はほとんど黒で塗りたくった黒い夜の風景画を描いたのだ。彼の記憶が嬉しい。

2019年1月1日火曜日

[6579] 新年

新年
明けましておめでとうございます。
 元日から大雪。うちは大きな屋根なので、そこから落ちた雪が大きな雪山になる。ペリバができたので全部で雪山が六つ。二人の姪の旦那二人が助っ人に来てくれた。雪掻きは二人に任せて、ワシはペリバの雪山に予想しなかった雪の流れがあり、それが駐車場を塞ぐので、急遽、雪囲いを大工した。
 大汗の後は正月だし、ペリバで酒が入る。
「ここは絵を描くだけの建物なんですね」
「んだ。川に沿って建物が増えたんだべ」
「まだまだ増えますかね?」
「次は第二夫人の家だべな」
「いいですね」
「その奥に大奥建てるだ」