●解脱
歯医者さんから「薪割りは噛み締めて歯を痛めるので止めたら」と言われた。しかし体力がなくらない限りやり続けていきたい。今日はマウスピースを嵌めてやった。玉切りも終え、薪割り。けっこういい。
なぜ薪割りをやるのかを考えてみた。
僕らの生活はほぼ全部お金を中心に回っている。暖を取るには電気や灯油が必要で、それらはお金で買っている。簡単に言えば仕事はお金を稼ぐため、必要なものはお金で買う。お金が流れを分断している。いい意味ではお金が流れを繋げている。しかしこの頃の人々の思考は、一生お金に縛られ、お金の牢の中にいるようなものである。この牢の中ではお金がルールでお金が一番だから、お金のために人はなんでもする。心配をする。戦争をする。良心まで売る。
薪割りしていて思う。伐採した木をもらい、自分で玉切りし薪割りをし薪棚で一年以上乾燥させる。そして一年以上前の乾燥した薪で暖をとる。この一連の流れはバラバラなものではなく、年月をかけて繋がっている。暖を取るだけでなく開放感や達成感や爽快感などもある。この流れに売買はなくお金は一切関わっていない。
薪割りでなくても、畑をするとかでもなんでもいい。このお金社会という輪廻の牢から、少しでも生活や精神の一部が解脱していることが必要なのではと思う。