●手
座禅の手は右手と左手で輪を作る形だ。
足も支え合っているし、
手も和で支え合っている。
まるで反対のお互いが
助け合っているわけですね。
このような感覚を
一回精神内部に入れ込む。
粘土仕事では
利き手ではない左手の指のちょっとした怪我でも
仕事は難しくなるんだよ。
●可哀想
誰でも迷ったりコンプレックスを持ったり。
このままでは自分が『可哀想』だ。
だから満たそうとする。
つまり勉強したり経験したり努力したりする。
この初めの『可哀想』があるから
知を働かせ創造が生まれる。
だから社会で何かやるときは
『可哀想』+『知』=『創造』になることを知るべきだ。
『可哀想』だけや『知』だけでは『創造』にならないのだ。
昨今は単なる知による金儲けで
不足を補うことが罷り通っていて、
『可哀想』を虐めたり排除したり無視したりする。
初めに自分の中に『可哀想』があったことを
思い出すことだろう。
でも『可哀想』を売り物にしたら悪知恵だ。
●太陽と火
焚き火を見てて思う。
太陽の運行は毎年変わらない。
もうすぐ秋は来るし、今年末には雪が降る。
ところで僕は池にスイレンを植えているが
土作りが下手だったりするものだから、
花咲きが悪かったり良かったりする。
そうそう人間は手前勝手にやりたがる。
自然や四季を無視して
温室にしたり化学肥料与えたり
人工的に作り替えたがる。
それで金のかかるものに成り代わる。
そしてこれが当たり前だと思っていることだ。
放っといても育つスイレンなのにだ!
メダカの餌はホームセンターにあるものだと思ってしまう。
焚き火を見てホッとするのは
火は太陽にきちんと倣ったものだからだろう。
手間勝手はほどほどにだと思う。
●除雪機
ワシが尊敬する近所の80過ぎの爺さん。
冬はどでかい除雪機で雪掻きをしている。
もう楽しんでいるとしか見えない。
先輩を見習い、
ワシもそろそろ除雪機を買おうと思う。
車ぐらいの値段がするから覚悟がいる。
決心し、お店に勢いよく出かけたが、
今年の分はもう生産してないそうだ。
今年は手で雪掻きしなさいということか!
よし、来年は買うぞ!
●三猿
チョコに朝3時前に起こされ、そのまま座禅。
ところで生きてる日常そのものを座禅にしようと思う。テレビやネットでは為政と反、喧々諤々、片や慇懃無礼、片や罵詈雑言や敵意。これらの情報を目にする度にため息が出る。そこでこんな対立分断した浮世から離れるために『見ざる・聞かざる・言わざる』の三猿になることにした。まずは『見ない』、次に『聞かない』とくれば、自然に『言わない』になる。日常が座禅になるだろう。ふと猿繋がりで『朝三暮四』の猿も浮かんだ。二千年以上前の話だ。内容を改めて調べて、人間は大昔も今も全く変わってないと知った。
同じ二千年以上前、それは座禅、改めて『三猿』だと。おしゃべりのワシにできるかなぁと思ったが、ワシは幼少の頃、全く言葉を発せず歩きもしなかった。両親は口も利けない歩かないダメな子が生まれたと心配したらしい。
黙して歩かないなんて、幼少から座禅してたんだー!
●まっすぐ
端っこ、ぽかったら、それは違う。
中心、ぽかったら、それも違う。
正しい、ぽかったら、かなり違う。
『智に働けば角が立つ』
だから理屈は違う。
『情に棹させば流される』
だから感情は違う。
『意地を通せば窮屈だ』
だからエゴは違う。
『とかくに人の世は住みにくい』
だからなんでもない座禅さ。
まっすぐ座るから身体も心もまっすぐ。
スイレンは座禅している。
猫も座禅している。
シャクトリムシも座禅している。
庭も川も山も座禅している。
まっすぐな座禅の延長なら
仕事もまっすぐ日々福だろう。
(『』内は夏目漱石の草枕から)
●鬼ヶ島
嘘ついて国は豊かになった。
しかし国民のほとんどが
嘘つきは泥棒の始まりでは
それを豊かとは言わないだろう。
疑心暗鬼の鬼ヶ島じゃん!
さてと、感覚まではいい。
そこに意味や思いや感情を入れたら二分する。
こうなったらもう嘘が増殖し始める。
気をつけることだ。
そこで鬼退治に桃太郎
あっ!
包丁を深く入れすぎてしまったみたい!