●三昧
三昧(サマーディ)
座禅で目の前の壁のシミに集中する。
ある時、自分が消えてそのシミだけになる。
これは主と客が一体化することで
元の主が消えたのだ。
この時全てが止まって感じる。
全ての思考のガラクタが失せたのだろう。
求めていたものが足りたのだろう。
ボーッとしているわけではない。
このまま手を動かせるし
外の鳥の声や川の音も聞こえる。
何一つ座禅前と変わりない。
ただただ心地よい感覚に包まれている。
ここからわかることは
知識や思考は本来の主ではないということだ。
だからガラクタに振り回されないように。
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