●目的
自分の目的を考えてみた。人は長いものに巻かれたり、対立したり、追いかけたりでどれも二者択一的でフラフラしているので目的がはっきりしない。
目的とは、年老いても死んでも続くようなものでないといけない。途中で目的叶って、後の人生が気が抜けるようではつまらないからだ。それに毎日目的を達成できるものでないといけない。未来のいつかでは今がつまらないからだ。つまり日々目的を達成しながら、死ぬまでその目的に生き、死んでもその目的が続くようなもの。これでこそ日々生き生きできる目的となる。これでもう死はどうでもよくなる。
ちょいと考えてみた。私は猫と仏像の和を制作してからというもの、何でもかんでも和にしている。住居までも猫との和にした。別にこれが目的でなかったはず。この当時の目的は女子にモテたいとかお金とか名声とかだった。その後、足すと引くの和によるペリペリ画を発見した。表と裏の和である半透明画なども制作した。
こうやって思い出してみると、なぜかいつも底辺に和があったようだ。無我の意図として和が生きる方向を示していたのだと思う。知らず知らず和に支えられ和を目的にして生きていたのだ。
そしてコロナ禍、アトリエに引き篭もり、偶然にどこにもない『わ』の形態を発見した。そして『わ』の行為として坐禅に到った。坐禅は金のあるなしとは無関係だし生き死ににも無関係だ。
そういうことで、私の目的はアートで(坐禅ありの『わ』)を広めることかな。
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