●落とし穴
最近、会う人会う人が量子の二重スリットと言うので、流行りなのかしら? 調べて考察してみた。
まず人間は物事を観念で理解する。しかしそこには落とし穴がある。感情的になったり思い込みだったりするから誤解してしまうのだ。では感情を排除し概念化し記号化や図式化して数学や科学で理解する。例えば「生」を1、「死」を0とかにする。しかしそこにも落とし穴がある。観念側の意見としては記号でしか生死を理解できないのは無慈悲だ、冷徹だとなる。そんな主観的な感情を無視して、客観的に正確に判断しようとしたのが科学なのだから、今更そこをぶり返したりはできない。
しかしその科学も量子の二重スリットでの不可解にぶつかっている。
二つのスリットがあり、そこに一個一個粒子を飛ばす。スリットを通って粒子が向こうの壁に当たれば、二本の線が出るはずなのに、干渉して縞模様が出る。面白いことに人間が観察すると干渉がなくなり、観察しないと干渉が出る。時空間がないとか。不可解な話だ。これってまるで禅の公案にあるような話だと思った。人間は何千年と同じ問答の中にいて全く変わってないんだね。
さてと僕の考えでは『二つ』がキーだね。二重スリット・粒子と波・観察者と観察されるもの・主観と客観、それに人間の思考は二元論だ。そこで先の落とし穴を智慧で、後の落とし穴を慈悲で覆う。あと科学者は坐禅したらいいと思うな。これで解脱だ。
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