●逆向き
年末に過ったこと。
自然治癒力とは元通りに戻す力だ。
これには二種類あると思った。
一般的に知れているのは
傷ができたら自然に元に戻すようなもの。
もう一つが忘れたり年取ったりすることも
自然治癒力のような気がする。
自然のやることはなかなか深くて神妙だ。
人はその治癒力に逆らおうとする。
人の思いは進歩とか言いながら
自然とは向きが逆みたい。
●逆向き
年末に過ったこと。
自然治癒力とは元通りに戻す力だ。
これには二種類あると思った。
一般的に知れているのは
傷ができたら自然に元に戻すようなもの。
もう一つが忘れたり年取ったりすることも
自然治癒力のような気がする。
自然のやることはなかなか深くて神妙だ。
人はその治癒力に逆らおうとする。
人の思いは進歩とか言いながら
自然とは向きが逆みたい。
●渾沌の死
一昨日の菩薩から荘子の『渾沌の死』という詩を思い出した。若い時にこの詩を読んで感動し、のちにモノクロの渾沌猫を創作する。
『南海を統べる者、儵(シュク)。北海を統べる者、忽(コツ)。中央を統べる者、渾沌。
儵と忽とは度々渾沌のところに出向き、手厚いもてなしを受けた。
ふたりは渾沌のもてなしに応えたいと思って考えた。
「人には目鼻口耳と七つの穴があるが、渾沌にはそれがない。
では、その穴を彼のために開けてやってはどうだろう」
儵と忽は、一日にひとつずつ穴を開けていったところ、七日目に渾沌は死んだ』
この詩を思い出したのは一昨日の華厳経の兄弟『早離と即離』の名前だ。実は今回の『儵と忽』の名前の意味も「瞬く間」で同じ早急な意味なのだ。しかし内容は全く逆だ。
人間は誰もが大昔からほぼ代わりなく同じく年月を重ね歳を取る。それに対して外側の文明は快速開発早急進歩だ。気が早い頭脳が社会を早急にしている。現在はもっともっと早急だ。頭だけが先に進んで身体が追いついてない。
目鼻口耳が無い渾沌は情報に操られず、外の世界を気にすることもなく、自分のリズムでのんびり静かに生きていた。早急な『儵と忽』が余計なことをしでかすものだから渾沌は死んでしまった。昨今「タイパ」などの言葉が持て囃されるのは『早離と即離』の内面理解の早さや気づきを『儵と忽』の名が示す社会の情報の早さに勘違いしてしまったのだろう。
人間は『早離と即離』を後回しにし、『儵と忽』のように社会を早急に変化させようとしている。そろそろ気づいたほうがいいと思う。人間の中の創造的な渾沌が死んでしまう前に…
さて坐禅は頭に流されず静かに座るだけだ。
●AI・忘れる
昨晩はヨガ宅で忘年会。
『忘れる』で思った。
AIにわからないはわからない。
なぜならAIはわかる奴だからだ。
もしくはわからないをわかろうとしてしまう。
そういう奴だからだ。
人もまたわからないをわかろうとするが
わからないをわかろうとしなくなれる。
面倒臭いとか飽きるからだ。
最も大事なのは忘れるからだ。
そうなればわからないがわかる。
●菩薩
一昨日のキリストから仏教の華厳経のある話を思い出した。
「昔、あるところに、早離と即離という幼い兄弟がいました。ふたりの両親は、彼らの成長を見る事なく亡くなってしまいました。途方に暮れている幼い兄弟に、ある男が「両親に会わせてやろう」と優しく声をかけました。兄弟がついて行った先は無人島でした。兄弟はそのまま無人島に置き去りにされてしまいました。騙されて捨てられてしまったのです。
兄弟は疲れと飢えに絶えながら無人島で何日か過ごしました。しかし兄弟は何も無い無人島でどうする事もできず、死を待つだけでした。
「僕たちは、なんて不幸なんだ! 両親を亡くして、人に騙されて、このまま、人知れず死んでいくなんて」と弟は嘆き悲しみました。
「僕も最初はそう思ったよ」と兄が弟に「でも嘆いていても仕方ないじゃないか。僕たちはこうして親と別れる悲しさ、人に騙される悔しさ、そして、飢えと疲れの苦しさを、他人の何倍も知る事ができた」と兄は言いました。そして兄は「どうだろう? 今度、生まれてくる時は、この経験を生かして、同じ悲しみに泣く人々を救っていこう。他をなぐさめる事で、自分もなぐさめられるんだよ」と弟に言いました。
兄の言葉を聞いて、弟の心の中にも何かが目覚めました。死を前にして、悲しいという気持ちはなくなり、なにやら晴れ晴れとした気分になりました。
兄弟はともに誓いをたて、ほどなく静かに息をひきとりました。その死顔はとてもおだやかで静かなほほえみをたたえていました」
◎少し考察。兄は弟の嘆きに対してなぐさめの言葉を与えた。弟はそれをすぐに理解した。ここで兄の名前が『早離』なのは、嘆きのこだわりから早く離れたからだろう。弟の名前が『即離』なのは、兄の言葉を即理解し、自分のこだわりから即離れたからだ。なぐさめるこの兄が慈悲の仏『観世音菩薩』になり、即解る弟が智慧の仏『勢至菩薩』になる。
猫や犬を飼ったことのある人には猫や犬がこの兄弟菩薩に思えるだろう。猫も犬も営利なく無垢に僕ら人間を癒やしなぐさめる。それに猫も犬も死ぬのが早く実に辛い。あなたもまたどんなに長く生きても人生は短い。ならばやるべきことは自ずと即知れるだろう。なぐさめ即なぐさめられ即救われる。
●キリスト
昨日はヨガ教室でクリスマスケーキが食えるというので顔を出した。山形出身でない地域おこしの若者たちがいたので坐禅普及活動家の僕は坐禅話をした。
クリスマスといえばキリストだけど、イエスさんの生まれは貧乏で30代ぐらいに無慈悲に理不尽に殺されてしまう。恵まれない人生なのに全く恨みや僻みなどを持たず、人々の苦しみを取り除こうとする一心で「神や愛」を広めようとした。この「神や愛」だけど、人間の手に収まる小さなものではなく、無限にデカい。有限でないということだ。人間の知る由もない計り知れないものだ。有と無・好き嫌い・良し悪し・成否・貧富などの二元を飛び越え全部平等に抱きしめているような無量無辺無限の慈悲なのだ。だからこの世の些細な権力や名利や理屈に負けるわけがない。聖書には「わたしは既に世に勝てり」(ヨハネ16章)とある。そんなもの気にするなということだ。なぜなら有限が無限を閉じ込められるわけがないからだ。イエスさんもほくそ笑んでいたのだろう。でも今戦争しているのはキリスト教の兄弟たちだ。「勝てり」を自分が正しい意地通せと取ってしまったのだろうか。さてあなたは無限に包まれているのだから『まけるわけがない』のだ。堂々と歩めばいい。
みんなにクリスマスプレゼントとして『雨にまけるわけがない』本をあげた。しっかり読んでくだされ。
●除雪機
積雪ですな。
除雪機の初出動。
これが楽しみで
朝から雪見てほくそ笑んでいた。
ところが朝食の時に陽が照ってきた。
やばい!
雪が融ける!
その前に雪掻きしないと!
○結果
ワーォ、ヤバい、石飛んだ!
うわっ、ボルト折れた、
なるほど、こうだ! ゲッ!
コツ掴んだぞ!
などなどを経験。
●神様
チョコが外に出たいと騒ぐ。
扉を開けると土砂降りだし寒い
出るのを嫌がる。
「雨を止めてよ。暖かくしてよ」と僕にしつこく訴えかける。
「あのね、それムリ。オレはキミらの神様じゃない」
それでもしつこく「雨止めろ!」と訴える。
宇宙人も本当の神様だって
実はオレのようなものだから、ムリ。
さてと国の政治家だけど
もろちん神様に程遠いから、ムリ。
彼らは何もしなくていいのに
偉ぶりたいのか金が欲しいのか
助けてやるぞと嘯く。
市民が頼るから調子こいて金集め。
頼ることを依頼心という。
依頼心とは己が不在のことを指す。
依頼しなければ
アナタガカミサマ浮上する。
●金
最近リンクムラヤマによく行く。
リンクムラヤマの一階の空間は自由でのんびりできる。
まるで金を取らないカフェだ。
こんなカフェは珍しい。
何も注文しなくてもいいのだが、
居心地がいいのでチャイとベーグルを頼んだ。
ところでどこもかしこも
金を取るのが当然になってしまった。
どこぞの街中には座り辛いベンチがあるらしい。
人間を自由にさせないためだろう。
「あ〜疲れた〜」と座りたければ
金持ってどこかのカフェの椅子に座るしかない。
金がなければ生きていけない社会になった。
金持って夢を叶えるとか金持って社会貢献するとか
偽善的そんな言葉が持て囃されたせいだろう。
それでは金がなければ夢も叶わない貢献もできない。
単なる金が中心の思考&生き方だ。
中心がそこでは持っている創造力が宝の持ち腐れだ。
社会貢献したその心の中で虚しく腐っている。
人は不安の想像をいっぱいする。
せめて楽しみぐらいは金に捕らわれず
「金だ」より「金ではない」がいい。