●女王
山の恵み、コシアブラをいただいた。すこぶる美味しい。さすが山菜の女王だ。
人は自分で生きていると思い込み、自己中になって金が多いと偉ぶる。このような高慢が間違いの元だ。
自分が生きている基本の心臓や呼吸は自分がやっているわけではない。自然の仕業だ。それに食べ物である野菜、種を撒けば何もしないでも勝手に芽が出て食べ物になる。庭にはそんな食べ物が結構生える。肉にしても植物を食った動物の身体だ。元は植物だ。科学がいくら発達しても野菜一つ作れてない。全て自然から略奪加工して、のんびり只で植物食べて暮らせる豊かな生活を農薬だ機械だと忙しく金のかかる面倒なものにしている。
人間は元来自然だ。『自分』とは「自然の部分」だ。部分が本体の自然を蔑ろにしていることが高慢無知だ。人間は普段から自分を自然より高いところに上げてモノを見る。その視点を山の頂上だと勘違いし、誰も彼もが高いところに行こうとする。そこに山の女王はいない。
そこで間違いに気づき、とりあえず高いところから降りる。ついでに大きなものから離れる。冒険だね。これは心に溜め込んだ思考を脱ぎ捨てることだ。溜め込んだ思考は高い大きいが好きだから、こいつが部分だ。部分は自分で全体になろうと金と理屈と力を欲しがる。
人は煩悩が多い。英語では『our evil desires are limitless』だ。煩悩を引き算したくないので反対に正当化する言い訳の言葉を加える増やす。思考は言う「欲は大事だ」とかさ。思考は高、多、増、大、永遠など加算するのに明け暮れる。そんなもん忘れるのに。
だから僕は反加算のペリペリを発見したのかもしれない。あの発見は女王に逢った感動だった。
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