●瞑想と坐禅
一般的な瞑想は心が鎮まり心地いいものだ。坐禅は一般的な瞑想に智慧の覚醒が加わる。
姿勢を見ればよくわかる。
瞑想の足は楽な格好だ。手は親指と人差し指で輪を作り、右手は右の太腿、左手は左の太腿の上に乗せている。この姿勢は二元である相対的真実を表している。相対は知識であり人間と神やアートマンとブラフマンなどに分け、それを一緒にしようと瞑想するが、一旦分かれたものは細胞分裂のように分かれ続けるので身分ができてしまう。知識も分析と言われるから分裂し増大する。「解る」ではなく「分かる」になる。増えれば増えるほど「解る」から離れる。寝ようとすればするほど眠れないようなものだ。
ところが坐禅の足は右太腿に左足を乗せ、左太腿に右足を乗せている。慈悲の形だ。この形が私を坐禅に導いた。私が発見した『わ』の図とこの形が同じだったからだ。両手は一緒になり臍下丹田で輪を作るから相対を脱する絶対的真実、不可能を可能にする智慧を表している。
形は智慧だから、坐禅を勧めているのだ。
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