●思いも寄らぬ
今日は薪割り、しばし最上川を眺める。
『ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし』:方丈記
この通り、最上川の流れは絶えずして元の水ではない。人も川と同じで日々歳をとるから留まった試しがない。傍から川を眺めていて見えるのは川面だけで川の中は見えない。『思考』というものはこの川面の澱みに浮かぶ泡沫のようなものだ。思考は本来のものではなく本来のものの表面につけた単なる命ない記号の言葉だ。だから思考では川のこともましてや中の深部のことなど生き生きしているホントのところはわからない。
川は山の湧き水から海に着くまで川面も含めて目に見えない深いところも一緒に流れている。人も川のように思いも寄らぬまま生まれて流れ始めるが、暫くして思考泡沫が結んだり消えたりする。これら「思いも寄らぬ」と「思考」が一緒くたにして流れ生きている。
ところで川面の泡沫がリーダーシップをとって川が流れているわけではない。つまり思考で人や川が流れているのではない。川全体が泡沫に左右されないように、思いも寄らぬものが思いに左右されることはない。
その思いただ慌ただしい泡正しくない。
0 件のコメント:
コメントを投稿