●個展終了
『サトリを中心に渦巻く世界』The world swirling around SATORI.
個展では大学生や20代や30代から私の年上世代70代とほぼ全ての世代とサトリの話をした。時代が変わっても若い世代は自分が若い時と同じような自分のその当時の感覚とそれほど違わない。多分サトリを中心に話をしているから古い新しいはないのだろう。人々はただ大宇宙を渦巻いているだけで、そこに中心はない。諸行無常なのに諸行無常は今も昔も変わりなく無が常だ。来てくれた皆さんありがとうございました。
2025年12月15日月曜日
[9015] 個展終了
2025年12月14日日曜日
[9014] ずーっと
●ずーっと
ヨガ先生が来年からお店を始める。今日はプレオープン。カレーだ。
個展に行ったヨガ先生「サトリ画はずーっとあるものって感じがした。その他は常に変化するものでも『ずーっと』があるから静寂なんだなぁ」と。なるほど、その『ずーっと』を中心に世界は日々上下左右前後に留まることなく揺れ迷い渦巻いているのだろう。
2025年12月13日土曜日
2025年12月12日金曜日
2025年12月11日木曜日
[9011] 月のウサギ
●月のウサギ
個展会場Room4にはウサギの被り物をして微睡んでいる猫がいる。何故微睡んでいるものを展示したのか、自分もよくわかっていなかった。今朝ふと、昔に読んだ手塚治虫の『ブッダ』の中のウサギの話を思い出した。
『老人に化けた神様がウサギとサルとキツネにお腹が空いているので助けてくれと頼んだ。サルは木の実をキツネは川の魚を捕まえて持ってきた。ウサギは何も獲れなかった。そこでウサギはサルに薪を頼みキツネに火を熾してもらい火の中に飛び込み老人にその身を捧げた。神様はウサギの行いに感動しウサギを元に戻し安心して休息できるように月の宮殿をあげた。今もウサギはそこにいる』
だからウサギは安心して微睡んでいる!
こんな自己犠牲なんてイヤだと感じる人が多いと思うが、手塚治虫は漫画で身を捧げ人々に感動を与えた。つまり手塚治虫はこのウサギなのだ。好きなことで自己表現するとは自己顕示や自己肯定だけでなく自己犠牲や自己否定が伴う。もちろん自己責任も含まれる。この部屋が『諸法無我』だ。
2025年12月10日水曜日
[9010] エロスとタナトス
●エロスとタナトス
数日前の朝、ふとサトリの部屋はエロスという言葉が合うと思った。午後に上の畑焼き陶芸家の松浦さんがやってきた。義理の父親が筋ジストロフィーを患い亡くなった話を聞いた。その時サトリの部屋はタナトスだと思った。あの部屋はエロスでありタナトスなのだ。昔、アインシュタインとフロイトの往復書簡『人はなぜ戦争をするのか?』を読んだ。エロスとタナトスが根源だから、、、とにかくスッキリしない感じが残ったのを覚えている。しかし今回、サトリの部屋のエロスとタナトスは不生不滅で超えたように思う。これで清々したわ。
2025年12月9日火曜日
2025年12月8日月曜日
[9008] なぜ?
●なぜ?
「よく好きなことやれ」とか人は言う。
けど自分は
好き嫌いや良し悪しは二の次だ。
「なぜ?」という疑問が最初だ。
世界の全ては疑問系でできている。
自分の都合で肯定系にしてたら
せっかくの疑問が勿体無い。
2025年12月7日日曜日
[9007] ノンエゴ
●ノンエゴ
エゴが悪でノンエゴが善
ノンエゴを表現した形が坐禅だ
坐禅するといろんな思いが出てくる
思いとは「あれ欲しい、あーなりたい」など
これがエゴですね
こんな思いはとりあえず放っといてただ坐る
坐禅はやっていて別に面白いものではない
そこに面白いと思う自分はいないからだろう
でも不思議なことに
明日の朝も坐禅ができると思うだけで楽しい
だから今日一日が有意義になる
つまり今日が明日の善の結果なのだ
原因と結果が逆になる
分断せずに同時進行する
2025年12月5日金曜日
[9005] ゼロ
●ゼロ
今回の個展に出かけた寡黙な大ちゃん。聞けばサトリ画にラメが施されている細部まで見ていた。実にじっくり観察している。彼は益子の城内坂通りの焼き物のお店をたくさん見て回った。そして自分の中に特別な感性が芽生えたことに気づいた。器や陶芸品などの価格がほぼわかってしまうらしい。ヘェ〜、ちょっと考えてみた。それはサトリ部屋のサトリ、つまり『ゼロ』を知ったからではなかろうか。2つの比較ではなく、ゼロがわかれば、どんなものでもそこからの距離が見えるからだ。
8年前、初めてペリペリを発表した時、猫神様を所蔵している瑠璃寺の住職さんが来て「わじんさん、売る気ないでしょ」と言った。そうではない。昔、個展に来たお婆ちゃんが「これは売っているんですか?」と言うから「非売です」と答えたら、お婆ちゃん「見せびらかしですか」と言った。それ以降、非売はイヤらしいのでやめて、欲しい人には売ることにした。だから住職さんには売る気満々だ。問題は買う気がないと言うことだ。人は自分の興味のあるモノをコレクションする。テーマを決める。僕自身猫というテーマに定めないとなんでも作りまくって混沌としてしまう。社会生活のためにはテーマが必要なのだろう。しかし自分で決めたテーマなどは保身思考停止であって、自分を縛っているのだ。そこで還暦の時、僕は自分の殻を破る未知の冒険に出た。そこで偶然どこにもない感動的なペリペリ画法を発見した。だから思う。幾つになっても自分の殻を破る冒険に出て欲しいと。それはゼロを知ることなのだ。
2025年12月4日木曜日
[9004] エゴイスト
●エゴイスト
エゴイストのことを悪人という
善いことしようや悪いことしようは
エゴだからみんな悪人だわな
でノンエゴつまり無我が善だけど
無我だから己は気づかない
考えたらこの世はみんな悪人
ごめんなさいと謝るけど悪する奴
法に触れなきゃいいんだと悪する奴
悪だ悪だと悪口知識でいっぱいな悪な奴
ハラスメント探しの偽善という名の悪な奴
愛だ繋がりだの宗教的金稼ぎ悪な奴
自分は善人だと独善悪な奴
ところで悪い奴程よく眠るという
最近、寝不足なのは…
2025年12月3日水曜日
[9003] 天才
●天才
『早熟の天才』という言葉があるが、早けりゃいいってもんじゃない。焦りすぎ煽りすぎて生煮え。あくせく働く一生より名利が手に入る天才がいいと親は天才教育を促す。モーツァルトみたいに早死にする夭折の天才になってしまうかもしれないのに。
さて世間の加速に焦る必要はない。『熟成の天才』だってある。僕はモーツァルトが死去した35歳頃、猫と仏像合体の作品を発表し華々しく社会にデビューした。自分の中の無垢な天才が死にそうになってから始まった。でもスッキリしない濁りがあった。無垢が微かに息吹いていたのだろう。その後、60年かかって無垢は濁り諸共味わい熟成した。渋柿が風や日光を浴びて甘柿になるような。それが今回のサトリの部屋だ。これがモーツァルトと変わりない天才の域だと思っている。



















































