2015年12月31日木曜日

[5482] 問題外



12月31日。明日は正月だ。
 今日は『雨ニモマケズ』の英文と格闘。目眩がするわ。
 ワシに土日もないし盆も正月もない。若い頃から他所の人間が決めた大袈裟な行事には流されない。こういうものだけでなく押し付けがましい国の中央の決めたことにも流されない。かといって逆らって犯罪者になることもない。中央は集団犯罪者みたいなもんだから普通の犯罪者と同じように問題が多い。テロだって出るわ。ワシには荷が重いので、自分は『問題外』がいい。その方が岡目八目、問題がよく見える。群れたら世間も見えなければ自分も見えない。自分の進む道を見失っては問題だ。
 ただ、こういう行事にはおせち料理だの面白い料理が出るので、面白がって食う、問題外の家の中でね。

2015年12月30日水曜日

[5481] 3:7


アトリエの大掃除。
 まあいつもは手の届かないところも念入りに、でもやはりいい加減なもんす。
 一昨日の絵日記に人の話しは半分だと書いたけど、聞く方も同じ人間だから半分しか聞いてない。言う側も半分、聞く側も半分。まあ話3割が相場かな。
 そういや陸と海の割合はだいたい3:7、空気中の酸素と窒素の割合も3:7、我らの身体の水分以外と水分の割合も3:7、脳の使われている割合も3:7らしい。
 脳がそうなんだから、やはりなんもかんも3割ぐらいなんだろう。
 今日の掃除も3割ぐらいなんだろうね。
 全ての見えない部分が7割あるんだから、見えるたった3割だけで結論を焦ってはいけないと思う。

2015年12月29日火曜日

[5480] 雨ニモマケズ


来年春に発表のワガジン5について。
 宮沢賢治『雨ニモマケズ』の謎解き日本語文章ができた。わざわざ日本語と言ったのは、実は英語先生サム君の英語翻訳文も載せるからだ。理由はサム君から英語を習っていて彼が物事を熟考し自分の考えを押し付けず融通もきく賢い人だと思ったからだ。こういう精神をジェントルマンと言うんだろう。それから宮沢賢治のように先生しながら農業をやっていること、それも農業が基本というところがいい。ポエムが好きなこと、聞けば父親は詩人らしい。それにワシが話すパラドックス的な言語を面白がりながら理解してくれている。ワシには彼がイギリスの宮沢賢治ではないかとさえ思えてきたのだ。
 今日翻訳文が届いた。有名な詩なのでいろんな訳があるけどサム君のような訳は他に無い。少し疑問が出たので、いろいろやり取りしたが、Oh! Sam Awesome! だ。
 ワシは斬新で美しい英語文だと思うぞ。
 ワシはこのために英語を習っていたのかも知れない。

2015年12月28日月曜日

[5479] 話半分


玄関の雪掻きをしていて気付いた。
 40代半ばに四十肩をやった。あれってもうならないのか?
 思い返せば10年毎になんかある。30代半ば、猫で仕事始る。20代半ば、地に足がついてなかった。10代半ば、ムラムラ妄想してた。幼少期はポカーーンとしていた。今50代半ば、たぶんプンプン加齢臭、少し腐りかけている。同時に考えも腐っているだろうから、50過ぎた人の話しは話半分だ。では40代の話は、肩が痛いので話半分。30代の話は仕事忙しいので話半分。20代の話は浮いているので話半分。10代の話は妄想で話半分以下。幼少は話ゼロ。今後はまだ体験してないから解らんけど、父親とか見ていると話半分以下どころかゼロに近い。もはや只の雑音だ。総合しても結局、人の話は信じるに値しない半分以下だと言うことだ。
 今後は頑張っていい楽器にでもなろうと思う。

2015年12月27日日曜日

[5478] 自然体


雪っす。やっと北国の冬だ。
 これから過酷な雪掻きがあるのに、子供のようにワクワクして嬉しがっている自分がいる。とうとう季節に馴染んでしまったのだろうか? それとも諦め。または自然体になった。まあなんでもいいや。楽しめるようになったってことは新しい遊びを手に入れたっていうか、とにかく得した気分だ。
 自然体で生まれて自然体で終わる。途中思うままにしようと悪足掻きもしたが、このままいつかは死ぬんだから、どこまでも何もかもが自分の思うままになるわけがない。自然体に戻って雪を楽しめるなんて、ワシ、いい感じに成長しているのかもしれない。
 雪で子供に見捨てられた隣りの公園の滑り台が美しい。今はワシだけの滑り台だ。滑ってみようかな。ツーーー、ってさ。

2015年12月26日土曜日

[5477] リーダー


人は集団化すると狂うと言うのを聞いたことがある。
 昔、独裁者がいて、政策がうまくいって、みんな裕福になって、殺人しても戦争してもいいようになって、間違い正せなくなって、集団で狂ちゃった。
 人は強いリーダーを求めて集団化する。なぜ強いリーダーを求めるのか? みんなの心に不安や恐怖があって、それを無くして欲しいからだろう。でも怖がる人々のリーダーだから、一番怖がる者がリーダになる。怖がる者は強がる。表面の政策はうまくいっても中身は怖がっている。本当の恐怖は消えてない。そこでますます強がる。いつの間にか恐怖が蔓延、暴走、狂う。
 みんなが狂わないためには、あまりリーダーを強く求めず、リーダーに頼らず、リーダの太鼓持ちにならず、リーダーから少し距離を置いて、なんとか自分で立つようにすることだ。
 自分が自分のリーダになれ。 

2015年12月25日金曜日

[5476] 元祖


元朝風呂。「もとあさぶろ」ってなんだ? 朝風呂の元祖?
 碁点温泉に『招き猫お札』を置くことになったので、昨日、納めに行ったら、ちらっとこのポスターが目に飛び込んだ。これはいったい何? ここには風呂として使ってない旧浴場がある。そこで朝風呂をやるのだろうか? それとも元相撲取りがやってくるのだろうか? 違うなぁ。いくら考えても解らないので、SSに聞いたら「がんちょうぶろよ。元旦の朝風呂のこと」と大笑い。
 えっ! そんな言葉、いつできたの? 
 今日ポスターを撮影しに、ほんとだ、元旦の風呂だ。

2015年12月24日木曜日

[5475] 甘い


子供の頃、ワシの家ではケーキなどを食う習慣はなかった。クリスチャンではないというからではない。誕生祝いも何もかも、子供の喜ぶような甘いイベントはなかったのだ。たぶん初めてケーキを食ったのは大人になってからだと思う。子供の頃の味覚が後々に影響を及ぼすのか、未だにケーキの甘さに溺れることはない。ついでに甘い人間関係は気色悪いし、甘ったるい言葉を聞くと背中がぞわぞわする。このままではしょっぱい人間になってしまうと気付いたワシはバランスをとるために甘い猫を被った今の仕事を見つけたのであった。

2015年12月23日水曜日

[5474] diversity


雪国山形のアナ「酷いもんだ。覚えた英単語がほとんど出て来ない。穴から漏れている」
 なんてね。
 たまにはこんな作品を作って一人で笑っている。
 一つに偏らないように、偉くならないように、真剣にならないように、本気にならないように、褒められないように、閉鎖的にならないように多様性を身につけているのかも。

2015年12月22日火曜日

[5473] ブッダ


ワシが二十代、コーヒー1杯で手塚治虫の『ブッダ』を全巻読破したのは世田谷の喫茶店だった。喫茶店には悪かったが、午前から夕方までメシも食わず、静かな山の中で深く深く瞑想しているような優雅な時間だった。
 経済に縛られている人は戦争も善悪も経済で測る。自分の未来までも経済で測っている。それがクールだと信じている。いつも経済という数字の檻の中なのに。
 山も海も経済から遠く離れている。経済で測られたものは飽きると捨てられる。捨てていい山も海も地球も太陽も宇宙もない。もちろん自分も捨てていいわけがない。誰の中にもブッダは存在するという。そのマイブッダで檻の中の自分を開放させてみようぜ。

2015年12月21日月曜日

[5472] 底辺


絵の下地を描く。この下地が意外と大事だ。生活で言えば地面かな。そこで思った。
 人を前進させているのは知識ではない。生身の足があるから前に進む。その足の下に地面がある。底辺に地面があるから前に進む。空を飛ぶのだって、地面と足があるから飛び上がれる。そして疲れた時に下で受け止めてくれる底辺があるからこそ安心して飛び上がれる。
 頭は底辺を蔑ろにしがちだ。
 底辺を無視すると、そのもっと下に落ちるから気を付けた方がいいと思う。

2015年12月20日日曜日

[5471] サンタ


「わじんさん、その顔して、何でこんな可愛いの作れるの?」
うっせ!

 写真は『サンタ猫』12/23~29 横浜高島屋7F クリエイティブ工房

2015年12月19日土曜日

[5470] 変身


朝起きてすぐに顔を洗いブラインドを開けて家の中に光を入れる。植物に水をあげて絵筆を持つ。絵描きはいつの間にか集中するので気分の善し悪しは消え世間からは遠く離れる。何年か前はいつも朝気分が落ち込んでいた。そういうことはすっかり無くなったみたい。大変身です。
(鬱の人は試して下さい)
 ところで変身と言えば、年末ワシは縁起物作家に変身する。朝の絵描きの代わりにそのまま縁起物のお札作りなどをしていて忙しい。朝飯前からせっせと仕事をするなんて、なんてワシは働き者なんだろうと思う。朝飯前でかなり満足してしまい、あとは優雅な時間が実にいっぱい手に入ったような気になる。朝仕事っていいなとコーヒーを飲みながらしみじみ思う。

2015年12月18日金曜日

[5469] サイクル


昨日の続き。
 僅かながらの自給自足ができた畑を売った人は大手の大農場で働く。大農場は大手から作物の種を買い、できた作物を大手に買いとってもらう。もはや作物は農薬漬けで、経済だけが重要になってくる。このような人間の作ったシステムは壊れやすい。原発だって、憲法だって、不戦の信念だって壊れやすい。システムが壊れたり、システムから見放されたり、システムの中で息苦しくなった時、人は自給自足の畑に戻ればいいのだが、その戻る畑がない。もはやお金がないと生きてゆけない身体や精神になっている。あとは都会の底辺でゴミとアブクにまみれて汚く死ぬ。
 お金儲けではなく、自己流でいいから『お金がなくても生きてゆける自然の恵みを得られるサイクル』を作り上げることだ。畑でも、サバイバル術でも、人を喜ばす才や優しさ、精神を豊かにするアイデアなど、まだまだなにかあるさ。

2015年12月17日木曜日

[5468] 対策


「今日のテーマは『Global Warming Conference』」とサム君が言う。いきなりなんじゃそれ? 「温暖化だけど、何が原因? その結果は? 解決策は?」とどんどん質問してくる。英会話が幼稚園児のワシに、んなもん語れるわけがない。ふと弟のことを思い出したので昨日の絵日記の内容を語ってみた。「OH! Great!」。サム君曰く「化学肥料はCO2を空気中に出し、普通の糞堆肥はCO2を土から出さない」と。へ~、それは面白い。サム君はワシの弟と同じで天才だと言ったら、大笑いしていた。
 人が心配なく生きるための対策が浮かんだ。
 今の人々はお金に頼って生活するようになってしまった。昔、ほとんどの人はお金がなくてもなんとなく生活できた。これから先、住居(林ノ蔭ノ小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ)と畑(味噌ト少シノ野菜ヲタベ)が大事だと思う。それがあれば何とかなるさ。あとはアブクだから。
(カッコ内は宮沢賢治の『雨ニモマケズ』から)

2015年12月16日水曜日

[5467] 植林


ワシにはちょいとアスペな変わり者の弟がいる。
何かいろいろやっているが無農薬果樹園もやっていて、よく果物を持ってくる。
自分では天才だと言っている。
若い時は山に入って獣のウンチを拾っては何か研究していた。
大人になって山から海に興味が移ったらしくダイバーになってときどき魚を持ってくる。
最近は桃源郷を作ると言っている。
オカしいけどいいヤツだ。
引き蘢りのワシとは顔も何もかも似ても似つかない。
彼は温暖化や戦争やエネルギーなどの世界的諸問題は簡単に解決できると言う。
何かなと聞いたら「植林すればいい」と。
彼が帰ってから少し考えてみた。
当っているような気がした。

2015年12月15日火曜日

[5466] 日常


暑い、なんちゅう天気じゃ! しかし明後日には雪になるという。もしかして寝雪になるかもしれないので最後の冬支度をやる。池をグレーチングで覆い、柵に雪除けを設置、その他いろいろ。久しぶりに庭に出るとアレもコレもと仕事はまだまだある。やっぱ庭仕事はいいもんだ。これは楽しいぞとはしゃぐようなものではなく、雪対策でしょうがなくやらねばならないことなんだけど、なんか清々しい。「昼ごはん、できたよ」と呼ばれ、庭仕事を終えた。
 考えてみれば、「ごはんですよ」という言葉が聞こえる日常が好きだな。

2015年12月14日月曜日

[5465] 希少価値


小説『自由自在堂』を読んだ面白い感想。
「この作家は人目に触れないどこか知らない遠くに住んでいる珍しい生物のような気がする」
 妙な感想だが、なぜか嬉しい。ワシって、希少価値があるのかもね。この小説だって、まったくもって一般的ではない。でも自分で言うのもなんだけど、けっこう高評価を得ている。そこが希少価値かも。ガハハハ‥‥
 この希少価値で過ったのが座禅だ。座禅というものを考えた人はつくづくすごいと思う。だって、ただ長い時間座っているだけなんだから、まるで無意味だ。そこがいい。世の中の人々は大抵意味あることや価値あることばっかり追うから。

2015年12月13日日曜日

[5464] 大河


関西の政治家が「これで憲法改正になる」とか言っていた。
 あ~、なるほど「大河は手では止められぬ」とはこういう人に対して言う言葉なんだなと思った。父親は時の支配者を大河と言ったけど、盛者必衰が真理だ。すぐにも蒸発するような人口の塩素臭い淀んだ水たまりを大河と間違えちゃダメっすね。
 ところでウルグアイだけど、こっちは大河とともに自然に優雅に流れているような気がする。自国の電力供給94%が再生エネルギー。ムヒカ大統領の演説は立派だったし、同性婚や大麻の生産販売を合法化したらしいよ。大麻の合法化は世界初だってさ。
 やっぱ本物の大河は水たまりと違って、淀んだ既成概念を悉く流してしまう。やることが自由壮大だね。

2015年12月12日土曜日

[5463] 四季


今日は春のような陽気。こりゃあラッキーとすぐさま大好きな庭に出て、春だと勘違いして起きだしたメダカにエサをやり、自分の朝食は、ほんと久しぶりに庭でやりましたさ、風が少し冷たかったけど。
 英語先生のサム君が言っていたけど、山形ぐらい四季がはっきりしているところはないと。明日から春だと言えば陽気になって、明日から夏、クソ暑くなって、明日から秋、涼しくなって、明日から冬、クソ寒く雪がたんまり降る。他の国だって他の県だって、四季はダラダラしていてこんなに明確ではない。だからここが好きだと言っていた。確かにそうだ、けど、今年は血迷ったみたい。今からドサッときたりして。
 写真は池に反射した日射しが漆喰に映りモンステラとワシの影を作った。光っているところは池の波が揺れていて美しかった。

2015年12月11日金曜日

[5462] ワガジン5


来年の春の個展に出版する『ワガジン5』
 宮沢賢治の詩の謎解き画集にするつもり。新たな試みです。宮沢賢治は同じ東北生まれだからかときどき共鳴する。ワガジン4『自由自在堂』でも底辺に彼の詩が流れている。彼の詩はワシの救いなのかもしれないな。ふむふむ。
 謎解きと言うのは、昔、彼の詩を読んでいて不思議な感覚を味わった。その不思議さをワシ流に解釈して解き明かしたのだ。その解き明かしたワシの詩に、プラス、何万匹に一匹しか生まれない不思議さでは同等の三毛猫のオスのピニャモを描いた二十数枚の絵。不思議な詩と不思議な猫の絵を合体させて超摩訶不可思議宙宇に向かうつもりだ。
 写真は絵がほぼできたのでデザイナーとの打ち合わせ。

2015年12月10日木曜日

[5461] 弱肉強食


昨日の絵日記はイマイチだったので、よく眠れなかった。
 再度考察。
「長いものには巻かれろ。大河は手では止められぬ。人間の行いは自然の流れ。ならば原発や戦争も自然。弱者敗者は淘汰される。それが自然」
 これだよね、引っかかるのは。大きなものには逆らうな諦めろと言っている。まるで弱肉強食だ。さもこれが自然界の掟で真理のようなことを言っているけど、自然界は弱肉強食じゃない。強いチーターは絶滅危惧種で、弱くちっこいネズミなんかはネズミランドまで作って繁栄している。弱肉強食ではなく適者生存なのだ。
 本当の『長いもの』や『大河』は、弱肉強食などという思い込みが及びもつかないくらい大きなものだ。弱肉強食という思い込みを、まずは頭から取り除かないと物事の本質がちゃんと見えないと思うよ。

2015年12月9日水曜日

[5460] 人間不在


「長いものには巻かれろ。大河は手では止められぬ。人間の行いは自然の流れの一部だ」と父親は言う。「原発や戦争も自然だ。弱者や敗者は淘汰される。それが自然なのだ。昔は殿様がいて庶民は苦しかった。しかし別の支配者が現れ殿様は滅ぼされる。でもまた苦しくなってテロが出て戦争になって、歴史はこの繰り返しだ」
 どっかおかしいぞこの考え。現実の自分はそのまっただ中にいる筈なのに本人は高みの見物。利口な学者ほど全体をまとめる考えに固執しいつの間にか自分がいなくなる。一人一人がこの論を我が物顔に納得する時、そこにはもはや誰もいなくなる。これは人間不在論だね。
 人はさも正論風の全体を語っているつもりになっている時、自分を見失っている。
 『朝の風景を美しいと感じるワシがここにいる』

2015年12月8日火曜日

[5459] 建築コンペ


村山市『あんばい・いい家』設計コンペの審査委員になったので市役所に行く。会議室での会議だけど、こういうのは慣れてないのでどういった具合か解らん。原始人が現代社会に呼ばれたようなもんだ。とりあえず自己紹介をするが、やはり作品と同じで話は勝手に逸れてどこかに飛んでゆく。でも不思議なことにちゃんと地面に落ち着いたのだ。ワシもヤヤ大人になったみたい。雪国に引っ越して6年、雪との生活で学んだことも多い。「雪囲いも含めて設計するのがこの地方の建築だと思う」という我ながらいい意見を出した。まあ、楽しかったさ。
 来年の二月中旬ぐらいまで応募期間が伸びました。面白くて雪と遊べるようなカッコいい家を設計できる人は応募してくださいな。興味のある方は『あんばい・いい家』で検索してね。

2015年12月7日月曜日

[5458] 爆発!


爆発!
ジネゴ窯から連絡があった。
大作が窯の中で爆発! 
木っ端微塵。
  ガクッと落ち込む ↓
こりゃあ、悟った父親に「浅い! 仕切り直せ!」とか言ってバカにしたせいで、「オマエも一から仕切り直せ!」って直接本人からでなく、天上天下ぐるっと回って天から罰が落ちたのかもね。
イヤー、参った。
しかし夕方には自分でも意外や意外、嬉しいほどに復活 ↑
このおかげで今後の展開が明確になった。
フンだ!
ワシャ、やる気が出たゾーーーー♪

2015年12月6日日曜日

[5457] 仕切り直し


大きくて新しい立派なロクロがあるから取りに来いと父親。ワシいらない、悟ったとはいえ、あの父親のこと、面倒だ。そうだ! 世話になっているジネゴ窯の風呂道君にあげよう。彼に連絡して、午前に実家に行く。ところがロクロはカッコ悪く古いもの、それはまだ赦す。壊れていて動かないではないか! ドヒャーーーン、さすが悟った人だ! ワシらは動きもしないロクロで呼び出され今クソ忙しい時期の貴重な時間をロス。父親は他人に迷惑かけたのに反省しない。憎まれ口を叩いている。まあずいぶん浅い悟りだったようで、仕切り直しだな、こりゃ。まだまだ長生きするわ。やっぱ、面倒だったわい!

2015年12月5日土曜日

[5456] 悟り


忙しい時間も過ぎ、やっとコーヒーが飲めるぞと豆を挽いていると、玄関に誰かが? 心静かにしようと思っていたのに、誰かと思えば、心をかき乱す奴、父親だ。
 「一週間前に悟った」と父親は言う。若い奴がこんな台詞を吐いたら、それはエゴだと返してやるが、88才だから本当なのだろう。「人はみんなそれぞれ考えが違う」とのこと。これは父親ならではの言葉だ。なんとなく清々しく感じた。 
 経営者や政治家のようなリーダータイプは自己主張が激しく支配欲も強くワンマンである。父親もそのタイプだ。「これまでの人生は間違っていた、自分は馬鹿だ」と、あの自己中心で自己正当化が甚だしい奴が自己を省みている。「日本の政治家もそのうち悟るよ」とも言っていた。でも彼らの88才はまだまだ先だ。
 なんか生まれて初めて父親とマトモに会話したような気がする。まさか、逝ってしまうのかな?

2015年12月4日金曜日

[5455] 宇宙人


雪ですね。SSが夜中に胃が痛いと七転八倒(七転び八起きじゃないよ)。
 午前、病院に連れて行く。胃腸炎と診断。風邪の菌がこのようにするということだが、イヤー、苦しそう。
 病院から帰ってからはずっと寝る。ところがピニャモが寝室に入りたがり泣く、心配しているわけではなく布団の中に入りたいだけ。それに釣られてマッピョが泣き、またまたヨゾが泣く。なんて我が儘な猫共なんだろう! 人が病に伏せ静かにしたい時に、ビャービャー、ニャーニャーと。あいつら、他所の星から来た宇宙人かなんかで、人の心を玉にして転がして遊んでいるんだと思う。ピニャモと目があった。この見透かしているような目、反らすこともしない。なんか笑っているような、悟っているような、人を超えたような、やっぱ宇宙人だ。

2015年12月3日木曜日

[5454] ジネゴ


大作が乾いたので、陶風呂釜を作るジネゴ窯に運ぶ。うちの窯には入らない大型作品はときどきここに焼きを頼んでいるのだ。‥‥割れないでくれよ!
 ジネゴ窯はうちから車で20分、山奥の旧小学校、三階建ての円形校舎で、三階に体育館がある。今は一階がアトリエ、二階が住居とギャラリー、アトリエには風呂釜やら器やら、所狭しと並んでいた。作家の風呂道君は力強いだけでなく優しく忍耐強い。
「風呂窯を三階に運べたらなぁ」とエレベータ計画を練っていた。
 今、仕事は順調らしい。ところで力強いのはいいんだけど、若いのに女っ気がないのがつまらん。うちも最近は若い女っ毛が少なくなって、猫っ毛だらけだ‥‥なんてね。

2015年12月2日水曜日

[5453] 師走


英会話で思う。
 日記に書いている文章を日本語で空で言えと言われても、そう簡単に話言葉にできるものではない。ワシの話しは、性格的にサービス精神がありウケ狙ったりするからけっこう相手に気を使っている。日本語でさえこうなのだから、英語で話をするなんて、ますますとんでもないことだ。冷や汗だ。
 ところで今日は絵日記11/29の『英語便』を、面白いネタと思い、先生Samに話した。意外とスムーズに語れて嬉しかった。面白かったのは「なぜウンコは出ないのか?」の問いに、Samが「身体の中は暖かく、外は寒いから」と答えた。おぉ! なかなかウマいね、座布団一枚だな。ってことで、楽しい英会話でした。おかげで、いつも練習している庭での風呂上がりホーミーが実にうまくできた。舌が滑らかになったのかもね。
 師走、忙しいっす。
 写真は『サンタ猫』12/23〜29横浜高島屋7Fクリエイティブ工房に展示します。

2015年12月1日火曜日

[5452] 呆れ


最上徳内記念館の鈴木さんがやって来た。
来年の個展を二ヶ月やってくれと言う。
鈴木さんは正倉院は隅々まで詳しいばかりでなく現代アートなんかもかなりだ。
まあ美術オタクですね。
来年度で定年だから来年は自分がやりたい面白い展示を考えているらしい。
来年東京で発表するワガジン5用の絵を数点見せた。
さすがオタクで村山市一呆れ返られている性格だけあって、その底辺からの意見は誰よりも鋭い。
おかげでもっと先に進もうという思いが浮上した。
アトリエに籠りアイデアを絞りに絞った。
なんか自分の絵を描こうとした二十代の思いが、今、実現しそうな感じです。