2016年1月31日日曜日

[5513] 超人

外のさまざまな出来事に興味をもって
感情的に意見を言うのも
程々にして
自分の内部に向かう通路を見つけ
進んだ方が短い人生なんぼか有意義だ。
内部に進めば
右だの左だのの壁が出てくる。
それだけでなく
いろんな壁が出てくる。
それら全てに心捕われず
スーパー自分になって進むんだ。
どんどん進めば
いつの間にか自分と他人の壁だって
超えているかもしれない。
まったく壁が無くなり
自分と言う壁もなくなり
All is vanity
Form is emptiness
Non自分になったら
目の前にとてつもない明かりを感じるだろう。
ジャングルを通って草原に出たような
都会のビル街を抜けて海に出たような
それが外だ。
そこで超人のように空を飛んでる自分を発見するだろう。

2016年1月30日土曜日

[5512] キラキラ

小説『自由自在堂』を読んだ40代女性の感想。
嬉しいものです。
下記は感想抜粋です。
『物語に共感を感じるという普通な観点は話の筋を追っていれば誰でも感じることでしょう。でもわたしが見逃せなかったのは時折、現実の隙間にある「なにか」を掴む瞬間を書き出した部分です。それがキラキラと散らばっていてどうもそこにひかれています。感覚の飛翔というか、超離れた俯瞰。魂が出ちゃってる? 行ったり来たり? ・・もしかしたらこれも共感なのかも知れない。特別だとか芸術家だからとかでもなく、全ての魂ある人間としての「そうだよね」 ・・お話しの筋の流れとは別の次元に繋がっている感性に・・他にも音を立て流れる川を感じる。その水面は不規則に反射して輝いています。次の作品もおまちしています!!!』
こういう感想聞くと
また小説書く気になりますね。
でも今年は
画集であり
なにげに謎解き文であり
詩集のような本
絵文集『雨にまけるわけがない』を出版。
だから、小説はそのあとだ。
いつ死ぬか解らないのだから
ワシでなく読者が
なんてね、でも
読む人がいないと書く気になれないからね。
さあ、そろそろ書こうか。

2016年1月29日金曜日

[5511] 分別

可愛いピニャモ。
これ見てたら『分別』という言葉が過った。
分別ゴミ。
燃えるゴミ、燃えないゴミ、紙ゴミ、ビン・カン、プラスチックなどなど。
山や川では動物が自分の食いカスやウンコを山川に捨てる。
自分の死体も山川に捨て
微生物が土に戻し自然へ還す。
人間のゴミには、この微生物の行程がない。
だから自らゴミを分別し
微生物の代わりに燃やしたりリサイクルしたりする。
自らの死体などは土に還さず燃やす。
ほとんど煙も出さないから、天にも昇らない。
残った骨や灰は参拝しないで産廃へ。
そこで完全燃焼。
全然ロマンがない。
 もはや自然から分別。
何故にこれほど自然を毛嫌いするんだろう?
人類は将来、地球を捨て
宇宙船で生活するための準備をしているのだろうか?
その宇宙船は何処へ向かっているのだろう?
人間に分かりはしない。
宇宙だって自然なのだから
どこまで行っても自然と人間は分けられない。
分けられないものを分けようとするから分からないのだ。
ことわざ『分別過ぎれば愚に返る』
ついでに山川にゴミ捨てる輩は分別のないゴミ人間だ。

2016年1月28日木曜日

[5510] 五百年

この間やっとこ冬到来だったのに
日が差して雪波ができている。
まるで春到来だ。
 さて本当の春になったら個展だ。
今日は額縁取り付け。
やっぱり表現は百年以上先にも通用するものを提出したいね。
表面上はこの時代にあったものだろうけど、中身ね。
たとえばワシはスペインで
誰が描いたかも知らない絵に強烈に感動した。
調べたら五百年前の作家ブリューゲルだった。
その感動は身に付き
精神となり言葉になり絵になった。
ワシに絵文集『雨にまけるわけがない』を作らせている。
今から五百年後
誰かがこの本を見て
何かに気付いてくれれば、
感動は引き継がれ時代を超え永遠に続く。
そのうち人間の愚かさも少なくなるだろう
…と願って。
あいも変わらず戦争してるのかね。

2016年1月27日水曜日

[5509] 愛

個展に来てくれた段ボール屋さんが重い病気になった。
カメラマンの奥さんが重い病気になってスイスの病院へ。
二人とも会ったときは元気だった。
いろいろ考えさせられます。
死や愛。
知人がこんなことを言っていた。
「道路でタヌキが死んでいました。
人間は考える生き物だから、いろんなことを考えてしまう」
そこで思う。
『愛』は人の考えなど及びもしないぐらい大きい。
内面も外面もすべてをよく観ることだと思う。
考えはそのあとだ。
人は大きなものを欲しがる。
大金が好きだ。
大きな権力に頷く。
大きな地位を求める。
大きな知力を欲しがる。
大きな満足や快楽を求める。
人がもっとも欲しがるのが、
実は『愛』だ。
『愛』はすべてを繋ぐから。
あらゆるものを繋いでいるから、
もっとも大きい。
大きな金も力も魅力も何もかもを繋いでいる。
『愛』は何よりも大きい。
大き過ぎて人に解るわけがない。
人は『愛』を捕まえることなどできない。
『愛』の中に人がいるだけだ。
もしあなたが絵を描くのが好きなら、
そのタヌキをちゃんと描くことだ。
タヌキの細部も周りも山も川も空も何もかも。
すべてのために、
タヌキのために。
あなたではなく『愛』が絵を描いてくれる。
土があるなら木を植えよう。
あなたではなく『愛』が木を育ててくれる。
そしたらたぶん繋がるだろう。
孤独では無くなるだろう。
願う。

2016年1月26日火曜日

[5508] 病名

最近よく聞く。
日本人は「性善説」。
アメリカなどは「性悪説」などという言葉。
「右翼」とか「左翼」という言葉もそうだが、
人を括ってしまうような言葉は
ただの病名だ。
人は病名を欲しがる。
 誰でも経験があるだろう。
身体の具合が悪くなって病院に行く。
お医者さんに診察してもらう。
何かマズい病気だろうかと不安。
病名を聞いて少しホッとする。
重い病気のときはイヤだけど、
覚悟ができる。
街はいたるところ、不安だらけだ。
人は自分に病名を付けたい。
病名が欲しい。
それが「性善説」「性悪説」「右翼」「左翼」‥‥
どんな病名にしろ、
こじらせる前に
治して、
さよなら病名だ。
大きな可能性の自分を病名で縛り、
そんな牢屋で死んだらつまらない。
健康になろう。

2016年1月25日月曜日

[5507] 食創造

やっととんでもない真っ当な冬が来た。
雪掻き三昧ですね。
昨晩、近所の蔵民宿にまねき猫さんが泊まった。
ここは蔵に一組だけ泊まれる宿。
泊まった知人、だれもが料理がすごいと言う。
そこでワシも一緒に民宿の食事をいただいた。
小鉢料理が美しい。
一品一品が手作り。
この地で取れる食材を使った、
いつも食べている田舎料理なのだが、
うまいのなんの。
ここのは一つ一つが手が込んでいて素晴らしい。
驚いたのが、こんにゃく。
主人が種から育てたもの。
食えるようになるまで4年かかるんだって。
知らなかった。
あんな栄養のないものに4年!
食べ物は単なる栄養補給ではなく、
食欲でもなく、
創造を食べることのような気がした。
この地の料理がこんなすごいものとは、
ワシだけでなく、
当然、まねき猫さんもビックリ仰天大満足。
彼女、村山に住むとまで言っていた。
ワシ、たまにここに泊まろうかしら。
いや、ここの養子になろう!
爺や! 婆や! ハラへった。

2016年1月24日日曜日

[5506] 江戸家まねき猫

今日は江戸家まねき猫さんが家にやって来た。
 二十年ぐらい前、まねき猫繋がりで出会った人だ。彼女は年寄りなら誰でも知っている江戸家猫八さんの娘さん。寄席などで動物ものまねをする芸人さん。だけでなく女優もしている。とにかく表情が豊かで話していて楽しい人だ。東京のワシの個展に来てくれるので年に一回会う程度。ところが一昨年、同じこの時期、メールがあった。
「ねえ、村山市の大久保って、わじんさんちの近く?」
「そうだけど」
「今いるんだけど」
ゲゲゲゲッ! 
ドコに? ゲッ! 近所じゃん! しかしもう東京へ帰る時間だと言う。
 ところが今年、山形の世話人の芳賀さんが、優しいことに、ワシんちを彼女の仕事行程の中にセットしてくれたのだ。
 まねき猫さんがまねき猫作家のまねき猫の形をした家に入ったら、そりゃあ、あーた、何かが起こるでしょう。惑星が直列に並ぶよりすごいことが。雪の代わりに山形に福がドカドカ降るとか、そんな当然のことではない、もっととんでもない、ニャー。

2016年1月23日土曜日

[5505] 応用

SSが疲れるほどいっぱい働いた夢を見、
起きたら何の結果もないのでますます疲れたと言う。
一般的に、働いて疲れたのにその結晶がないというのはつまらない。
『働いていい結晶』
ところで金とは無関係ないい結晶はあるだろうか?
考えてみた。
ワシにとっては庭造りがそうだな。
晴れた日に川見ながらコーヒーが飲めるそんな庭にしたい。
とツルハシ持って土いじり木を植える。
そのうち雨や雪が降り、緑豊かになる。
念願のコーヒーを飲むが、
日射しが強い、雨が降る。
木陰のための木を植える。
雨除けのテントを作る。
年にたった数回、
一時間のコーヒータイム。
木が育つので時々手を入れる。
これが結晶だ。
写真は去年の8月、今は大雪なのに大緑。
今年はこのパーゴラにツタを植えて4年目。
やっとツタの屋根ができて日除けになるだろう。
 このような些細なビジョンを他の仕事にも応用すればいいのかもしれない。

2016年1月22日金曜日

[5504] 生『愛』死

生きるとか死ぬとかは『誰かの考え』で決まることではない。
生きるとか死ぬとかは『自分の考え』で決まることでもない。
考え=主義、主張、国家、宗教、民族。
指導者はそれらのために死ねと言う。
人は大きくなりたがり、
オレはそれらのために死ねると言う。
生死の間にあるのは『考え』ではない。
『愛』だけだ。
もっと些細な、もっと微妙な、もっとなんでもない、
愛する人がいるから生きる。
その人のために死ぬ気で生きる。
「あたしのこと?」
ちょっと違うな。
「あたし?」
イマイチ。
「あたし愛だけど」
問題外。
「あたし」
どれどれ、、んー、ダメだった。
あなたでもない。
君ではあり得ない。
あんたなわけがない。
えーぃ!
とにかく愛する人がワシのエサに寄ってくるまで
長生きするのであった。


2016年1月21日木曜日

[5503] 中間

『人間』は誰しも『中間』にいる。
端っこやトップにはいないということだ。
やりたいとやってないの中間にいる。
オレはできるとオレはダメだの中間にいる
気持ちいいと気持ち悪いの中間にいる。
強いと弱いの中間にいる。
男っぽいと女っぽいの中間にいる。
ヤバいとホッとするの中間にいる。
満たされていると足りないの中間にいる。
良いことと悪いことの中間にいる。
生きていると死にそうだの中間にいる。
神みたいとゴミみたいの中間にいる。
頭よさそうとバカみたいの中間にいる。
楽しいと面倒の中間にいる。
中間を住み良くすればいい。

2016年1月20日水曜日

[5502] Noわじん

ガンジーの言葉。
Live as if you were to die tomorrow.
Learn as if you were to live forever.
意味は「明日死ぬ気で生きろ、永遠に生きる気で学べ」だ。
権力者や流行の言葉を鵜呑みにして、自分の思考を停止してはいけない。
なぜならせっかく人間に生まれたのに、それでは働きアリだからね。
もっと人間の本質について学ぶことを言っているんだと思う。
 そこで試しに、明日死ぬつもりで最後の作品一点に挑戦してみた。
最後だからね、
その一点は今までと同じじゃつまらない。
その一点で世界が変わってしまうもの。
その一点でこれまで構築した今までの自分が死んじゃうもの。
その一点でまったく新しい自分が出現するようなもの。
『Superわじん』よりも『Noわじん』だな。
でやってみた。
ワシだけどワシでない粘土作品が目の前に出現した。
暫く眺めていた。
なんとこの作品からいろんなイメージが吹き出ている。
どんどん新しいイメージが降ってきて、
どんどん新しい言葉が生まれ、
それらをどんどん学び、
永遠に生きている自分がいた。

2016年1月19日火曜日

[5501] 秘

昨夜は、まいった。
いやいや、内容は聞かないでくれ。
こんな恥ずかしい事は人には言えん。
ってことで。
んじゃ。

[5500] 男

冷蔵庫の扉が勝手に開く。 扉に付いているプラスチックの留め具が壊れた。 見ると2003年の冷蔵庫。 なかなか物持ちがいい。 大量生産大量消費もほどほどに。 まだ十年ぐらいは持たせたい。 留め具を直したがまたすぐ壊れた。 そこで、扉の上部と箱の上部に磁石を付けた。 これで磁石同士がくっ付き扉は勝手に開かない。 上手くいった、ガハハハ‥‥ ワシはできる男だね。 ワシはできた男だね。 ワシの、できちゃった男だね。 ワシ、出きった男種。

2016年1月17日日曜日

[5499] グンタイ


昨日のアリの続き。
グンタイアリというのがいるらしい。
自分の巣はない。
目の前にいる獲物を集団で食い尽くしながら進む。
戻る巣もなく、どこに向かっているのだろう?
ワシなど、旅行に出て、違った土地を楽しむ。
旅から我が家に帰ったときのあの呼吸が整う感覚が好きだ。
ところでこのグンタイアリって盲目らしいのだ。
軍隊が盲目では困る。
まるでブリューゲルの盲人が盲人の道案内をしている『盲人の寓話』だ。
アリも人間もどこに向かっているのだろう?
先頭が地獄に落ちれば、みな巻き添えだ。
ふと過った。
ゴーギャンの
『我々はどこから来たのか 
我々は何者か 
我々はどこへ行くのか』

2016年1月16日土曜日

[5498] サムライアリ


サムライアリってのがいる。
サムライアリは他のクロヤマアリなどの巣に侵入し蛹をさらう。
自分の所で奴隷にするためだって。
アリさらい以外の仕事はしない。
クロヤマアリの蛹は全部さらわないっていうから悪賢い。
奴隷制度を良しとしていた昔の人間と同じだ。
想像だが、もともと地球上にはいっぱいサムライアリ王国があった。
そこから一部のアリがこれではいけないと進化した。
それが人間だ。
ところが先祖の因果応報なのか。
今またサムライアリになろうとしている‥‥
おいおい、逆走退化しないでよ。
他人の痛みや辛さを自分事のように感じるのは人間だけだ。
この感覚こそ人間の進化だと思う。
心無い虫に戻らず、
同じ間違いを繰り返さず、
バカも程々にして、
前に進もう。

2016年1月15日金曜日

[5497] 芯


やっと一歩踏み出した。
去年暮れ爆発したくつろいでいる猫の再制作だ。
まったく腰を上げるのに時間がかかったわい。
初めるまでが本当に億劫。
一度爆発して失敗したからではない。
こういう大きな作品は内部に芯を作らねばならない。
これが、もう、面倒、嫌い。
ワシ、小物だからかもな。
芯というのは、本当に形になるのか、全然全体が見えないのだ。
ところが、今回は作るのが楽しい。
 考えてみれば小説『自由自在堂』でも、
今度の『雨にまけるわけがない』でも、
ワシは人間の心の芯を掴もうとしている。
そういうのを探るのが好きな性格なんだろうな。
今回、この立体作品で芯作りに楽しみを覚えた。
これはすごい成長だ。
もしかして大物になったのか?
『雨にまけるわけがない』も良くなる気がするわ。

2016年1月14日木曜日

[5496] 冷凍庫


雪が降らないと余計に寒く感じる。
東京に住んでいた頃のあの身に凍みる寒さだ。
まるで冷凍庫だ。
 『君の脳って音楽でできているんだね』
こんなこと言われるとなぜか嬉しい。
言われたわけでないけど。
でも、おそらく最近のほとんどの人間の脳は言葉でできている。
それも批判や悪口や愚痴、劣等感や自己防衛の怒りなどが多いね。
これらの言葉のイメージは冷たく閉鎖的だ。
そのような言葉で判断分析したものだって冷たく狭い。
それに暗く寂しい。
冷凍庫の中にいるようなもんだ。
まあ腐れはしないだろうが、活き活きしてない。
いくら叫んでも誰にも聞こえない。
世界を住み良くするのは政治的な右だの左だのと喧々諤々ドングリの背比べすることではなく、冷凍庫から出ることだと思うな。
出たことないのだから、出た世界など誰も知る由もないけど。
たぶん冷凍庫から出れば暖かいし、歌が聞こえると思うよ。
試しに冷凍庫から出てみようぜ。


2016年1月13日水曜日

[5495] カタカナ


『雨にまけるわけがない』の表紙の打ち合わせ。
偉い作家さんの画集や絵本など参考にしようと検討するが、ダメ。
ワシ、現代美術や絵本は好きだけど、こういう偉いものに近づくのはいけない。
窮屈を感じてしまうのだ。
やはりそういう枠からは問題外の部外者のアウトサイダーだからかね。
そこで思った。
今回のこの本は『雨ニモマケズ』のカタカナがキーポイントになっている。
カタカナってのは外来語に使うけど、他所のどの国にもこんな特殊な文字はない、たぶん。
例えば英語にとって『津波』は外来語だけど英語表記は『tsunami』だもんな。
カタカナつまり外来語とは、アウトサイダーなのだ。
なるほど。
ワーォ、表紙のヒントが浮かんじゃった。
いい本作るぞ!

2016年1月12日火曜日

[5494] 命


『より良い暮らし』などいう言葉には気をつけた方がいい。
ウマい話には気をつけろって言うじゃない。
ウマい話をしている方は騙そうとしているわけではないと思う。
たぶん話している方も自分らが一回り大きなウマい話に騙されていることに気付いてない。
間違いを正しいと思い込んでいるんだと思うな。
偉い人は言葉も巧みだから、間違いがそのまま大衆に広がってしまう。
多数決が正しいから、みんなも右習えで信じ込んでしまう。
でも多数が正しいとは限らない。
食べられる植物なんて全植物のほんの僅かだ。
海や川がこんなに大きいのに飲める水も僅かだ。
吸う空気だって広大な宇宙のほんの僅かしかない。
つまり少数がワシらの大事な身体を作っている。
命については少数意見を聞いた方がいいかもね。

2016年1月11日月曜日

[5493] 捨


繁栄とは今より良くなろうと古い物をポイ捨てし、どんどん新しいものを作ってゆく。
いつの間にかこのポイ捨ての考えが身に付いて、人にも採用され、人もポイ捨てられる。
昨今は、ものも人もなかなか安心して長生きできなくなってしまった。
この繁栄は豊かになると思われているが、いつか自分もポイ捨てされる不安がつきまとう。
誰だって自分は捨てられたくはない。
だったら捨てる暮らしではなく、捨てられない暮らしをすればいい。
『今より良い暮らし』という考えは捨てる暮らしだ。
ずいぶん続いたけど、そろそろ『今を生かす』暮らしに変更すべきだと思う。
今の自分を生かせば、捨てれるポイ捨て不安はない。
だって自らが生きているから。
そここそ安心できる居場所だと思う。
(写真は昔あった筈の髪を洗っている所)

2016年1月10日日曜日

[5492] タイトル決定


二十年前、この本のタイトルは『雨にまけるわけがない』だった。
今回、かなり気に入った絵が描けたし文章も良くなったし英文もなかなかいい。
そこでタイトルを進化させようと。
『雨も風もねえ』
『雨ッテ風ッテナニ』
『アホデモマケズ』
『ダメデモマケズ』
『カネニモマケヌ』
『アメリカニモ‥‥』などなど浮かぶがイマイチだ。
で、Sam先生が持ってきた英文を見てふと浮かんだ。
『雨がままに』はどうだろう?
『Let It Be』『ケセラセラ』『あるがままに』、世界言語に近いな。
オシャレだし、いいんじゃないか。
でもいろんな人の反応も感じ、じっくり考えた。
ワシがオシャレしてもしょうがない。
格好つけてもしょうがない。
あるがままがいいなら、ワシ自身のあるがままがいいわけだ。
だったら『雨にまけるわけがない』がいい。
決定。
二十年前と変わらずでした。

2016年1月9日土曜日

[5491] ヒデヨシ猫


同じ山形出身の漫画家のますむらひろしさんは宮沢賢治の童話をほぼ漫画化している。
ますむらマンガの『銀河鉄道の夜』は細野晴臣音楽でアニメ化され、ビデオ時代、ワシの毎年一回は必ず見るフェイバリット映画の一つだった。
おススメだね。
ますむらさんは東北の宮沢賢治を時空を超えて広げてくれた先輩だね。
今回はバトンタッチで、いや、脇道から(なにせ冒涜だから)ワシが本にします。
それも従来の絵本とか、または詩画集とかとは違った見せ方をします。
あまのじゃくで問題外でアウトサイダーだから。
写真は10年前、ますむらさんとのコラボで作った『ヒデヨシ猫神様』です。
久しぶりに写真を見たがしっかり作っている。
自分で自分の励みになったわ。

2016年1月8日金曜日

[5490] 冒涜


当時デザイン事務所で働いていたSSがサンプルを作ってくれた。
有り難いことにSSが出版社に見せに行ったのだ。
ワシ、そんな度胸ないし。
どうなるかドキドキしながら待っていたら、夕方、SSが見るからに気落ちして帰ってきた。
編集者に「宮沢賢治を冒涜している」と言われたらしい。
ええぇー! 
その編集者はたぶんかなりの宮沢賢治崇拝者なんだろう。
確かにタイトルがこれだもん、冒涜かも。
だいたいワシの猫仏像も最初の頃、仏像好きの先輩諸氏に「罰当るぞ!」と言われた。
ワシいつでも問題外でアウトサイダーなのかもね。
でも外から見た考察って大事だと思うよ。
内輪は気色悪いもの。
今回は中身もタイトルもカッコよく進化するよ。

2016年1月7日木曜日

[5489] へらへら君


今から二十年ぐらい前、『雨ニモマケズ』の自作文のおおよその原型はできていた。
 そうそう、桜の花が舞い散る世田谷公園で友達と酒を飲みながら、たまたまワシが「『雨ニモマケズ』ってカタカナで書かれているじゃない。カタカナってのは外来語で‥‥。雨ってさ、水蒸気が‥‥」と調子に乗って話したのがきっかけだ。
 桜吹雪きが美しかったし、天気も良かったし、酒も入って酔っているせいもあってか、けっこう心地良い話しができた。
 そうだ! この話を絵本にしよう、と、さっそく絵を描いた。トレーシングペーパーに油絵で描いた。写真の『へらへら君』というへらへら笑っている裸の子供が主人公だ。トレペだのの半透けを好むのはクラゲのような浮遊感を求めていたり、まあ明確さがないから、この当時は自分に自信がなかったのだろうな。でもこのキャラは今も好きだ。  ‥‥つづく‥‥

2016年1月6日水曜日

[5488] 孤高


ワガジン5は『雨ニモマケズ』の原文と自作文、合わせて25ページほどある。数日英文を検討した。日本語でも直しは大変なのに、辞書引き引きだから目眩と吐き気。
 今日は今年初めての英会話教室。年末年始休みを挟んでいたのでSam先生とは久しぶりだ。昨日頑張って先生をおどかしてやろうと勉強したが、今朝、頭が真っ白になってしまった。実は昨夜、ちょいと遅くまで映画を見て感動してしまってかなりの寝不足。映画は三浦しをん原作の『舟を編む』、辞書を作ってゆく話だ。たった一冊の本作りに何十年。地味な仕事だけど、孤高で美しい。ワシなど10年先も5年先もない、来年もない、本当に自分は未来なんて考えているのだろうか?
 やはり本はちゃんと作らねばとしみじみ思った。今日、Sam先生に吟味した推敲英文を渡した。
 写真はうっすらと雪をかぶった元旦の家猫。

2016年1月5日火曜日

[5487] 足りない


年始に去年半年英語留学した姪っ子がやって来た。半年も日本語一切喋らず学んだ彼女の英語。レロレロ喋るアメリカに住んでいる英語慣れした頭の足りないイェーイェーハイテンションな日本女子みたいだ。でも喋ることを恐れず英語を楽しんでいる。これが日常会話なんだろうな。ワシなどは頭で日本文を考え英文に翻訳して喋るから、アーウーと少し足りない子だ。まあどっちも足りない子だ。発散か、籠るかの違いだ。しかし籠るワシは少し発散を見習おうと思った。
 そういや英語関係なく普通に若い子と話していても、よくよく聞いているとみんな足りない。慣れたイェーイェーか意思疎通が苦手なアーウーだ。足りないのに正しいとツッパる。足りないから人に頼る。頼られる偉い相手だって足りないのに。だから事件や戦争が起こるのだろう。
 世界中、言葉足らずで申しわけありません、だよ。

2016年1月4日月曜日

[5486] お金


来客数や売り上げの数字が気になる。
SNSでも友達数とかフォロー数とかを気にする。
数は金。民衆はお金だ。
生まれた赤ちゃんもお金だ。人の死もお金で考える。
ペットもお金。川も山もお金。水も空気もお金。
スポーツもお金。歌もお金。芸術もお金。
親もお金。彼女もお金。彼もお金。
殺人もお金。自然破壊もお金。放射能もお金。戦争もお金で考える。
自由もお金。愛もお金。もちろん自分もお金。地域もお金。国もお金。
地球もお金。
全部から税金徴収。
 もはや地球じゃない、『金球』だね。

2016年1月3日日曜日

[5485] 匂い


発毛だ! いや、初詣。
 行こうと思ったけど忘れて、碁点温泉に直行してしまった。いつもならこの時期、雪降る露天を楽しむのだが、生憎の暖冬で風景はイマイチ。去年の老廃物を汗としてガンガン流す。すっきりして風呂から上がり、服を着ようとしたら、服が臭い。加齢臭? あれって、こんな強烈な匂い? いやいや、これは例えば、手ぬぐいが臭くなって洗って洗っても落ちない匂い、もはや繊維そのものが終わりに近づいているようなその匂いだと思うな。この服は古着屋で買ったものだし。気に入っていたのに捨てかな。風呂から帰ってSSに「この服、臭くないか?」と差し出す。
「ん! こ、これは施設の匂いだ!」
 施設とは今SSの母がいる特別養護老人ホームのことだ。なるほどそう言うことか‥‥

2016年1月2日土曜日

[5484] 賢い


ア~、気持ち悪い、吐き気。
 12/31夕食の年越しそば。正月仕事集中過剰。正月昼のお酒。
 この三つが祟ったな。どれもこれも普段やらないことばかり。一番は年越しそばだ。だいたいワシ、夜はそんなに食わない。それなのにいつもの食事プラス天ぷらそばだもん。  
 『一年の計は元旦にあり』と言うから今年一年、吐き気だろうか? 
 いやいやそんなことはない。この吐き気のおかげで、ワシの内面は反省し無理しないことを知り少しだけ賢くなったのだ。つまり元旦に賢くなったのだから今年一年は賢いのだ。それに満足な絵ができたし、久しぶりに小説に感動してしまった。『ゴースト・ドラム』スーザン・プライス作。なかなかいいよ、おススメ。

2016年1月1日金曜日

[5483] アウトサイダー


新年あけましておめでとうございます。
 なんだろう? 
 いつもと変わりなく家にいるのに、絵は描くし、粘土もいじるし、英語も勉強するし、小説まで読んでいる。普段よりいろんなことに一生懸命だ。実に充実している。かなり満足じゃ。しかし人が休んでいる時に働くなんて、ワシ、アマノジャクなのだろうか? それとも貧乏性? 
 まあなんでもいいや。どうせワシ、問題外だし。
 問題外のことをアウトサイダーって言うのかな?
 粋だね。
 今年もよろしく。