モミジを美しいと思う。見た目の毛並みとか歩き方とか、もはやボロボロなのに、力強いものを感じる。
モミジが最上川に向かったのが何故か考えてみた。人間も歳取るといろんなことを忘れて徘徊する人がいる。動物もそうなのだろうと納得するのは人間中心だ。人間の下に動物がいるわけでなく、動物という範疇の一部が人間だ。人間は動物から『アラユルコトヲ』学ばなければならない。
「動物は死に場所を探す」って表現は嫌いでない。安らかなところを求めて彷徨っているのだろう。でもたぶんこの世に安らかなところなどない。安らかな死とはあの世だ。人間はこの世にあの世は作れない。あの世など解らない。実はあの世が安らかかも解らない。でもそれでは飼い主の傍が安らかでないようで、飼い主にとってはとっても寂しい。でもそれはしょうがないんだと思う。
「もうけつしてさびしくはない、なんべんさびしくないと云つたとこで、またさびしくなるのはきまってゐる。すべてさびしさと悲傷とを焚いて、ひとは透明な軌道をすすむ」by 宮沢賢治
そう、人も猫もこの世あの世を超えて透明な軌道をすすんでいるんだ。それがワシには美しいのだと思う。
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