2025年4月15日火曜日

[8771] 説似一物即不中

 ●説似一物即不中
 一般的に作品の制作に区切りが付いたら制作年を入れる。私はほとんどの作品に制作年は入れない。作品が完成したようには感じないからだ。それを個展などで発表し、もし誰かの手に渡ったら、私の中ではその年がとりあえず制作年になる。誰の手にも渡らず戻ってきたら、保管し時々何かのきっかけで、ほとんどはそのままだが、手を加える作品がある。でも未完だ、誰かの手に渡るまでは。
 人は完成品が好きだ。なぜなら人は未完だからだ。もっと奥には完成があるからその幻影を追うのだと思う。自分もまた幻影を追うためか完成しようと手を加え過ぎてしまう。
 今から一年以上前にこれ以上手を加えないほうがいいと感じ、未完のままアトリエの壁にかけておいた絵がある。今回、未完のあの絵を発表したくなった。しかしその絵にはペリペリを施してない。自分のサインのようなペリペリをどのように施すべきか、と考えていて、、、そうかサインだ! そこでこの絵にペリペリサインを施した。すると気分は爽快。最後に目を入れる画竜点睛ではなく、白目と光をペリペリして完成となった。タイトルは『説似一物即不中』とした。



 

2025年4月14日月曜日

[8770] 海

 ●海
小田原の海へ。海は広いですね。





2025年4月13日日曜日

[8769] 大盛況

●大盛況
 今回は油絵で重ねるプラスの横井山くん。私の絵は水彩で剥ぐマイナス。反対が混じって太極図を奏でるような。来たばかりの日は旅慣れしてないので目眩がし、二日目はアーティストトークとコレクターさんで目眩がし、今日はひっきりなしにお客さんが来て目眩。とりあえずギャラリーも私らもこの大盛況に大喜び。明日帰るのでひとまず黒うどんのお店で打ち上げ。実に美味かった。いい展示会だったわ。
 








2025年4月12日土曜日

[8768] アーティストトーク

 ●アーティストトーク
今日はアーティストトーク。
誰かの葬式以来かな、ネクタイしたの。
横井山くんとの出会い。
なんで猫を作ったのか? 
ペリペリとは何か? 
を語った。
意外と上手く語れたと思う。



 

2025年4月11日金曜日

[8767] ギャラリーnew新九郎

●ギャラリーnew新九郎
 小田原のシンクロに到着。
 ダ・ヴィンチは『モナリサ』の絵をいつも持ち歩き生涯描き足していた。現実には線などないから、線をぼかしグラデーションをずっとつけていたのだ。たった一枚の絵で一生永遠に描くことができる。私はペリペリがそれに近い存在になっている。毎日新しいペリペリを発見する。私は足すではなく引くだ。


 




2025年4月10日木曜日

[8766] 足りない

 ●足りない
人は足りないのが不満だ。
例えば酸素が足りないから
補おうと呼吸がある。
足りないから生きてるのだ。





2025年4月9日水曜日

[8765] しゃべる猫

●しゃべる猫
 アーユルベーダのハーギさんが「ネットで喋る猫が人気よ」と言う。床の上にボタンがたくさんあり、ボタンを押せば言葉が出る。猫に話かけると猫がボタンの中から一つ選んで押す。猫はしゃべれる! コミュニケーションができる! 猫はすごい。
 さてSNSだから本当かどうかは別にして、これでわかることは人間の喋る能力は猫ほどのものだということだ。

 人間は生物界の頂点にいると思い込んでいる。これは他を見下したいという人間の劣等感ですね。こうやって猫から自分を学ぶ。


 





2025年4月8日火曜日

[8764] 花祭り

 ●花祭り
 今日はお釈迦さまの誕生日だ。
 『天上天下唯我独尊』とは、オレが偉いのではなく、人は生まれ・経歴・地位・名声でもなく、誰かと比べることもない宇宙にたった一人の自分だ。自分は他にいないオンリーだから尊いということだ。
 実はこれが『無我』のことでもある。『無我』と『天上天下唯我独尊』は反対の意味のように思えるけど、『無我』とは生まれ・経歴・地位・名声・収入そして占いなどの余計な服着た自分では無いということ。良いとか悪いとか増えた減ったとか余計な作り話で自分を飾らない縛らないこと。だから同じ、天上天下唯我独尊。





2025年4月7日月曜日

[8763] 私=非主流

 ●私=非主流
 私は主流の地域出身ではない、主流の大学を出たわけでない、主流のイケメンでもない、主流の運動能力を持ってない、主流の才能も持ってない。上げればキリがない、というより私全体が非主流なのだ。だから私は非主流の猫だし、ペリペリだ。
 よくよく観察すれば常に変化するこの世において主流などあっという間に移る。非主流が主流なのだ。





2025年4月6日日曜日

[8762] ペリペリ=猫

 ●ペリペリ=猫
 小田原展示作品を送った。
 猫とは無関係のギャラリーだから、己の内部では今までとは違うことが起こっている。展示する作品を選んでいてふとわかった。「『ペリペリ』は猫だった」と。ペリペリは絵を額装した時に保護する額マットから生まれた。つまりペリペリは主流の絵ではなく反主流の絵でもなく非主流の存在なのだ。猫が主流の十二支ではなくそれに反抗する反主流でもなく非主流であることと同じだ。もうすぐです。
『猫わじん・犬やすし』展案内
タイトル『猫わじん・犬やすし』展
場所:NEW新九郎ギャラリー
2025年4月9日から4月22日まで
営業時間: 10:00~18:00
定休日: 火曜日
 TEL: 0465 - 20 - 5664
住所:〒250-0872 神奈川県小田原市中里208 ダイナシティWest4階
私の在廊:4月12日13日です。





2025年4月5日土曜日

[8761] スイッチ

 ●スイッチ
 早朝、あいも変わらず寒いので薪ストーブに火を入れる。昨晩の種火からじっくり大きな薪に火が広がる。このプロセスが実に心地よい。ところで大抵の家はスイッチ一つで部屋を暖かくする。これが当たり前と思うのは問題なような気がする。しかしある意味、くよくよしないで切り替えが素早くできる感覚が身に付く。スイッチというのは頭の切り替えのために発明されたのかもしれない。では『すぐ』と『じっくり』の二つを身に付けるのがベストだ。これこそオンオフのスイッチだ。





2025年4月4日金曜日

[8760] 極楽

 ●極楽
 招き猫とは『私たちを福である仏の家に招く猫』のこと。
 では仏とは何か? 非常に大らかで優しい人を「仏のような方」とか「仏心がある」とか言う。また死者を「仏」と言う。生きた人にも死んだ人にも使うから生死を超えている。『仏』を『極楽』に置き換えるとわかりやすい。「極楽にいるような方」はいい。「死んだ人は極楽に行く」、これは人によるから我執から目覚めることが基本だ。だから無我ですね。仏とは無我のこと。
 では『極楽』とは? 極めるためにあらゆることにぶち当たっても楽しむことかな。





2025年4月3日木曜日

[8759] アンチ主流

 ●アンチ主流
猫は十二支に入ってないから主流ではない。
十二支の最初、ナンバーワンがネズミだ。
ネズミは主流の座を守るべくネズミランドであくせく働いている。
猫は非主流だ。
世間的にはハズレだ。
でも縁起物ナンバーワンだ。
自由とは主流を目指さないこと。




2025年4月2日水曜日

[8758] 形は心

 ●形は心
 知人の飼い猫が塀を越えた空き地に瀕死の状態でうずくまっていた。病院に連れて行ったら二カ所骨折、車に轢かれたのだろうと。しかし塀を越すほど飛ばされたなんて、、ほんと生きていてよかった。
 私の飼い猫もこれまで車に轢かれて数匹死んでいる。とても大事な命で辛い出来事だが人間と違って轢いた人を恨んだり犯人探しはしない。できることは今後猫が道路に出ないように柵を作る。自由を奪うのが嫌で柵なしなら轢かれるのは運不運だと思うことにする。
 轢いてしまうかもしれない運転の人々へ。車のスピードは控えること。轢いてしまったら猫を道路から外して他の車に轢かれないようにすること。そしてせめて手を合わせることだね。形は心だ。ふと人間同士のどんな大きな争いも始まりは不慮の出来事だったのかもと思えた。
 多分知人の猫を轢いた人はもう死ぬと思い塀の向こうの空き地に捨てたのだろう。