2025年9月16日火曜日

[8925] 伊勢参り

 ●伊勢参り
神宮を参ったが、クソ暑くて参った。
参るとは自分が参ることだと知る。
神宮の中心には何もない。
遷宮があり20年毎にゼロを明確にする。
素晴らしいアイデアだ。
これはサトリ空間だね。
私はおかげ横丁では
人気者のアーティストだが
ゼロの周りを蠢く一人間に過ぎない。
誰もがゼロの御陰様なのだ。





2025年9月15日月曜日

[8924] トリック

 ●トリック
内緒話を話す側について。
「誰にも言うな」と言うのだから
他人の自由を奪っている。
話されたら自分が困る。
これは自己中だ。
バラした奴が悪者になるから
自己中に気づけないのだろう。
『人の口に戸は立てられぬ』が真理だ。
妙なトリックになっているんだね。
自己を中心にではなく
『人の口に戸は立てられぬ』を中心に
トリックを暴くことだろう。




2025年9月14日日曜日

[8923] 内緒話

 ●内緒話
「内緒だよ」
「なになに?」
「もりさん、言っちゃうからな」
そうそう私は内緒話なんか人に言っちゃう。
言いたくなれば言わないが言いたけりゃ言う。
言ったほうが透明なら絶対言う。
自分の中に約束も守れない最低の人間がいるのだ。
最低の自分が言いたいなら言わせてあげる自分がいる。
いつの日かそれらが最高の自分になるのだ。
だから『人の口に戸は立てられぬ』が智慧になる。



2025年9月13日土曜日

[8922] 証

 ●証
年上のアーティストと会った。
喋ったら負け惜しみがすごかった。
負け惜しみならワシも負けないので
惜しまず応戦したのであった。
 さて負け惜しみとは自分より上の者を作り下の自分が上を少々こけにする。自分を上と同等に見せたい。一般的に人を尊敬するとは自分にはその才能がないが自分の中の美を引き出してくれていることへの感謝感動だ。ところでこけにするとは上の者の作品の価値がわかる上で、上と下の分断に橋を渡したい。努力して橋を渡せばいいのに、虚仮(こけ)の橋を渡す。それが負け惜しみだ。自分の中にそれに匹敵するモノがあるのに自分の中からそれを真剣に引き出してないのかもしれない。
 自分ごとでいうなら、何のことはない。分断のないサトリ絵をきちんと完成させることだ。”分断などないという証”を誰もが見たがるはずだからだ。サトリは漢字で『悟り』『覚り』そして『証』でもある。
 11月の益子の個展がだんだんと明確になってきた。



2025年9月12日金曜日

2025年9月11日木曜日

[8920] サトリ絵

 ●サトリ絵
とりあえず小型のサトリ作品を制作した
細かい慎重な作業なので途中目眩がした
これは精神と肉体の労働だね
そして数年ぶりにできた! 
思った以上にいい! 
これって坐禅だと思った
ネットでは見せないもんね
そう簡単に悟られてたまるか
11月に益子で





 

2025年9月10日水曜日

[8919] 基本と流行り

 ●基本と流行り
 人は仕事したり、本読んだり、映画見たり、歩いたり、見たり、聞いたり、お喋りしたり、寝たり、最近はネットを見たり。いつの間にかこれらやることが基本であるかのように思い込む。だから何かやってないとイライラしてくる。これらは生きている間の流行りです。たまたまやってしまうこと。
 基本は何も考えない何もしない。日々基本に返る。これを日々是好日という。坐禅は薄暗い中、流行りを見ないで何もない壁を見る。つまり見ない。





2025年9月9日火曜日

[8918] 一本

 ●一本
 今年も猫祭りが始まります。今日、伊勢おかげ横丁や瀬戸や長崎県の島原に作品を送った。伊勢は31年目。よく続いたものです。
 ふと思った。私はこれまで作品を作ること以外何もやってない。アートは下手の横好きから独学で始まった。その他は商売もしてないし政治もしてないし先生もしてないし家庭も築いてない。家を持っているように見えるが家は庭を含めて単に一番大きな猫作品だ。作品だからきちんと手入れしている。思った以上に純粋にこれ一本で生きてきたんだなぁと思った。一本をしていれば全ては二の次なんだと思う。





2025年9月8日月曜日

[8917] 集中

 ●楽しい
いつもの思考順序を反対にしてみる。
『楽しい時って、集中している』
これの反対が『集中したら、楽しい』になる。





2025年9月7日日曜日

[8916] 清清

 ●清清
どんなに健康でも、あなたは病気する
どんなにお金持っても、あなたは貧しい
どんなにわかっても、あなたはバカ
どんなに若くても あなたは老いる
どんなに長生きしても、あなたは死ぬ
だから清清するんだよ
今朝は草刈り
どっと疲れたがこれで清清したように
(一才皆苦=涅槃寂静)





2025年9月6日土曜日

[8915] 全て

 ●全て
四法印でふと気づいた。
『一切』『諸行』『諸法』は全てという意味だ。
だから『涅槃』も全てだろう。
あっちがダメでこっちがイイなんてことはない。
春は春、夏は夏、秋は秋、冬は冬
雷だって台風だって神様
苦も楽も好きも嫌いも生も死も
二元を超えて
全てがニルバーナ。





2025年9月5日金曜日

[8914] 一切皆苦

 ●一切皆苦
 四法印の『諸行無常』『諸法無我』『涅槃寂静』を三法印という。一般的に主に三法印が語られるが、これだと知識になってしまい、いわゆる綺麗事、絵空事、はい、まさしくそうですね、で一ついい話を聞かせていただきました、だけで全く身に付かない。大事な問題の根源である『一切皆苦』をどこぞに置き忘れている。ほぼ人はこの一切皆苦から逃げて知識の三法印を語る。どこかここでないところに天国やニルバーナがあるかのような。ないない、全てイマイチ足りない。内省が足りない。自問自答が足りない。頭が足りない。坐禅が足りない。





2025年9月4日木曜日

[8913] 四法印

 ●四法印
 11月の個展会場は5m×6mの部屋が4つある。4ということで四法印が過った。四法印とは『一切皆苦』『諸行無常』『諸法無我』『涅槃寂静』だ。
 試しに4部屋を四法印として作品をイメージしてみた。
 『一切皆苦』とは一般的には世の中思う通りにいかないこと。私の考えでは「イマイチ足りない」ってこと。これが基本。そこで展示はイマイチを補うために祈りや願いなどの招き猫や猫神様かな。
 『諸行無常』は一般的には全ては移り変わる。私の考えではイマイチ足りないがずっと続くってこと。生きているからこそイマイチ足りない。完全なら終わってしまう。だから裏を返せば毎日毎日が新鮮。展示は日々是好日のおみくじかな。
 『諸法無我』は一般的には全ての存在は固定した実体などない。私の考えではイマイチ足りない全てはつながって存在しているってこと。展示は小さい自分を超え大きな自分で生きたスウォスス猫の物語かな。
 そして4つ目、『涅槃寂静』がサトリだ。一切皆苦ではイマイチ足りない自分にもがいているが、涅槃寂静では無常と無我を身体で知ったので「イマイチ足りない」が「イマ満たされている」に目覚める。もがきは収まり、静寂のニルバーナよ!
 ところで『almost』は「all+most」で「全部最高」なのに「イマイチ足りない」って意味だ。日本語でも「成功しても満足してはいけない」という言葉があるから同じだろう。四法印は不完全が完全、だから完全は不完全だ。全ては言葉での固定を超えていて無常なのだ。





2025年9月3日水曜日

[8912] 花オクラ

 ●花オクラ
花を食べるオクラ。
普通のオクラの花よりでかい。
味覚はオクラのようにとろっとしている。
一輪の花に花びらが5枚。
これが毎朝5輪ほど、今朝は8輪。
千切って朝のサラダ。
食パンにマヨネーズと醤油を少々、
ハムのように花びらを挟んで食べる。
サンチェやノリのようにご飯とおかずを花で巻く。
どれも美味しい。
タッパに入れて冷蔵庫に入れておけば数日保つ。





2025年9月2日火曜日

[8911] 美

 ●美しい
サトリに向かって細かい作業をやり始めている。
サトリ作品が現代美術ならこれほどやる気にはならなかった。
自分で耕した畑ではなく他所の大きな畑だからね。
しかし作品名をサトリとしたらやる気になった。
サトリには物事を分断するようなあらゆる壁は無い。
全部が畑だ。
他の美術や宗教や学問などなどあらゆる分野で
私が美と感じる人やものは全てサトリだと気づいた。
自分はサトリに救われているようだ。
昔の偉人はいい言葉を残してくれたとしみじみ思う。