●接種
ワクチン接種に
歯科医師や看護師まで
駆り出されているらしい。
獰猛で毛深い人は
獣医師でもいいかも。
刺青の彫師もいいと思うが、
何度もチクチクはイヤだな。
そこで鍼灸師!
彼らなら副反応まで無くしてしまうだろう!
●接種
ワクチン接種に
歯科医師や看護師まで
駆り出されているらしい。
獰猛で毛深い人は
獣医師でもいいかも。
刺青の彫師もいいと思うが、
何度もチクチクはイヤだな。
そこで鍼灸師!
彼らなら副反応まで無くしてしまうだろう!
●メダカ
花を買いに街に出かける。
基本的に引き篭もり性
久しぶりに物をたくさん見た。
ホームセンターもマーケットも
こりゃあ、あれもこれも欲しくなるわ。
花も多種多様。
SSに注意されなければ
いろんなもの買ったろうね。
とりあえず
この銀色のメダカは買うことが許された。
人間とメダカのコラボ生物だね。
面白い!
●花壇3
土入れ完了。
スズメなどを飼ってはいけないのと同様に山の土や木や植物を持ち帰ってはいけないと言う。もしかしたらキノコも山菜も虫も採ってはいけないのだろう。本当だろうか?
誰かが「法律が犯罪人を作る」と言っていた。
人間は山を知らず、土や木や花や虫はホームセンターで売っているもの、食べ物はマーケットで買うものと思っているのだろう。
本末転倒だね。
「迷うが時、人、法を逐い 悟るが時、法、人を逐う」 by 達磨大師
●花壇2
花壇設置場所の草を
鍬で根こそぎ取り除く。
平らに均して、枕木を置く。
枕木の腐ったところや長いところを
チェンソーでカット。
幅を測りまっすぐにする。
枠はできた!
内寸幅33cm、長さ2列合わせて13m。
汗かいて土まみれになって
草の上に座って水を飲む。
こういう作業って実に楽しい。
他に何もいらん!
生きてるって感じかな?
●花壇
もらった枕木で玄関側に花壇を。
今日は試しに枕木を並べてみた。
いい感じだね。
もう6月だし、
のんびりやろうと思う。
崖に生えているハナウドでも植えようか。
結構迫力ある花だ。
SS「その辺のものはダメだからね。食えるものがいい」
畑かよ!
●不足感
20代後半、作家を志す知人がいろんな電化製品を買い始めた。大型テレビやオーディオなどもあって貧しさを感じさせない雰囲気にはなったが部屋は狭くなった。なんでこんなものに金をかけ始めたのかを聞いてみた。作家としては思ったように希望は叶わないが、最先端の家電があることで自分が豊かになったと思えると言っていた。それから数年後、湾岸戦争に行って戦いたいと、何かに命を懸けていることで心が満たされるように思うと言っていた。
問題は不足感だ。昨今の流行りのキャンプやメディテーションで忙しない日常を離れるのもいいが、社会に囚われたままのお金をかけた道具はまるで知人の狭い部屋いっぱいの家電だ。便利なものは空間をいっぱいにして狭くする。狭くなったからと言って不足感がなくなるわけではなく、寧ろ不足感は増える。ものが増えるということは同時に不足という概念が増えているのだ。あれもこれもと欲しがり地球上を掘り起こし作っては捨て破壊し本当に不足しているところを補わず苦しめている限り、大気や水が地球上隈なく循環するように、不足も循環し満たされることはない。
●人物像
ペリペリ画法で剥がしながら、人間観察に役立ててみた。
『考え方』の表面を剥がして、その『人物像』を探る。
○いじめ=情けないやっちゃな!
○差別=みっともないやっちゃな!
○金一番=さもしいやっちゃな!
○悪口=うざいやっちゃな!
内省した方がいいね。
写真:内省ポーズ
●自給自足
庭には畑があるし
この時期は山菜などを
いろんな人から貰うので、
食い物には困らない。
自給自足のようなものだ。
写真はどでかいタケノコ
ついでに
自分が書いた小説だけど
書いたことを忘れているので
読めば初めて読んだよう
本気で書いたので
結構、タメになる。
これも自給自足。
それとも独りよがり。
●小説
1:去年、カズオ・イシグロの小説『わたしを離さないで』を映画で見て深いところに刺激を受けた。そこで小説を読んでみようと思った。原文は英語だから日本語訳は多少ニュアンスは違うと思うが映画での感動の空気感を保ちながら読んだのでいい感じにその世界に入り込めた。現実の地上の意識からかなり深いところにある精神を語っているような感じだった。権力者の思惑で命を差し出すことを勧める思考は、世界から戦争がなくなった後もこのような妙な形の無慈悲として続くのだろうと思った。科学の発達と同時に分断が激しくなるのは科学そのものがものを分けて考える分析が基本にあるからだろう。救いがあるなら精神の深部には魂があって、どこか羨ましい所と繋がっているのかもしれない、そのようなとても儚いものが確かな真実になるまで探究することだろうと思った。
訂正:魂は小さいものと思い深部にあるような気がしていたが、深部ではなく我らを包んでいるようだ。魂は物質や思考を包むようなもので、物質へのこだわりや思考からの解放がなされれば雲は溶けて太陽が現れるように魂を感じれる。我らのエゴは四六時中運動しているわけではなく、隙間があって魂がいつも姿を表している。だから魂や霊などの言葉が創造された。ただ魂はもちろん物質ではないし思考でもないので理解できないのだ。コップの陶器の部分が物質で凹みが魂のようなものだ。凹みがあるから我らは渇きを癒せるのだ。
2:翻訳なのだが、この翻訳者には悪いけれど、村上春樹に訳してもらいたいなぁ。彼の文章は読みやすく滑らか、まるでクラシックを聞いているような感じがある。それを聞いた村上春樹、「なんでオレが、オレのノーベル賞をとった奴のを訳さなきゃならないんだよ! アホか!」となるだろうからダメか。
3:日本語の小説で読みやすいのは誰か考えてみた。んー、やっぱりワシの小説『自由自在堂』だね。まぁ自分のだからね。自分のはワールドミュージックを混ぜ込んだグルーブ感満載のノリがいいテクノって感じだと思っている。アーティスト目指している人におすすめ。こんな小説他に類のない稀なもの。でもグルーブ感がない人には読みにくいかも。
しかし『Never Let Me Go』、あまりに切なく重くとてもいい小説だった。
●血液
雨降り。
歯の抜けた穴に
ゼリー状の血が溜まっている。
歯科先生曰く
「この血が骨になり肉になって修復される」と。
庭の石の上の苔が増えるように
骨が増えて新しい骨になると思っていたが
骨が骨を作るのでも
肉が肉を作るのでもない。
骨と肉には血と共通のものがあって、
それが骨や肉を作る、
いや、骨や肉に変化する。
血は血ではなく骨は骨でなく肉は肉でなく、
同じものが別なものに変化したのだ。
蜘蛛と蜘蛛の巣は同じものなのだ。
金魚と池は同じもの。
木々の緑と雨は同じもの。
●抜歯
奥歯を抜いた。
抜く前はハラハラドキドキで、
抜いている最中は
口の中にユンボー3台に掘削機
ガシガシ掘り起こしている。
看護師さんが脱脂綿を入れたときは
油田のように血が噴き出ている。
抜き終わり見せられた奥歯
ちっちゃーーーい!
これが重機や油田なわけがない!
コロナも何事も
たぶん些細なことなのだろう。
一昨日は父親の命日だった。
その父親がよく言っていた。
「オマエは大袈裟だ!」
●白鳥
庭の前の川に白鳥がいた。白鳥は今の時期、シベリアあたりで過ごしているはずだ。この子は羽でも怪我して飛べなくなってしまったのだろうか? 仲間は覚えていてくれるだろうか? 一羽だけというのはちょっと寂しい感じがしたが、この庭は広い、シベリアだってこの庭の延長だ。冬まで悲観せず元気にいてくれ。
*動物園にいる動物にはこのような寂しさを感じない。まるで他人事のように情報だけが流れるテレビを見るように寂しさまでも知識で見ている感じだ。自然界の白鳥にこのような淡くて深い共鳴を覚えるのは僕と対等な関係にあるからだろうと思った。
●畑っていいよね
SS「畑っていいよね。ほらこれ、パクチ。何もしてないのに毎年勝手に出るんだよ。ケールなんかあれだよ、煮ても焼いてもジュースにしてもいいんだよ。すごくね? 畑っていいよね。でも耕すとこれなくなるんだよ。だから耕さないほうがいいみたい」
そこで今日はパクチとケール、レタスなどを残して畑を耕した。
●エアー
そういやずいぶん前、
ひつじ屋の息子が
雨の中、外で
一人で走っては隠れて、
また走っては隠れていた。
子供の親に
「あいつ、何やっての?」って聞いたら、
「ひとりかくれんぼみたい」と言っていた。
まあオリンピックもそんな感じになるかな。
まるでエアーオリンピックだ。
●アリ
デッキでの春の日差しを浴びての朝食後、SSがのんびり小バサミで足の裏の角質化した皮をパチパチ切っていた。ふと見るとアリがその5ミリほどの白い皮を運んでいる。一匹、もう一匹とやってきて運ぶ。甘い香りでも発しているのだろうか? 虫の死骸と勘違いしているのだろうか? んっ、死骸といえば死骸?
もしアリがこの皮を食べて美味かったら本体のSSを大きな餌だと思い、夜中痒い痒いと叫ぶSS、ベッドはアリで真っ黒になっていたということになりはしないだろうか? アリが人間ならやってしまうだろう。嫌だなーと思いながら、もしかしてアリはこの皮をアリの卵だと思っているのではなかろうか? 卵を運び引越ししているアリの列を見かけたことがある。確かに色も形も卵に似ている。巣に持ち帰られたSSの皮はたくさん並ぶアリの卵の列に置かれ、今か今かと生まれるのを待たれるが、もちろんアリの子は生まれない。そのまま土に還るはずだったが、なんと! 皮の中で何かが蠢いている。数日後、皮からSSの顔をした蟻が10匹生まれた。
そうだ、SSアリらに後日、絵付けを手伝ってもらおう! ありがとう。
●外国人
若い人に
ダルマさんが誰かも通じない。
政治で使われるあれだと思っている。
なんで政治家の勝利で使われるんだろう?
まったくなー
もっと大事な人物なのに。
そこで思った。
ワシが目にする人は
全て外国人である。
もちろん日本人と呼ばれている人も
外国人である。
一から話そう!
●深呼吸
水圧のようにまとわりつく
情報の絡まりをほどき、
空中に顔を出し深呼吸したくなる。
『ほどく』という字は『解く』と書く。
様々な問題を解くには
深呼吸一つで充分なのだろう。
家の中の金魚を池に放した。
●パニック
世間はコロナやワクチンでパニクっている。ここ山形のデータを見て思うのは何も起こってない気がする。
これって情報がそうさせている感があるな。いい湯加減の風呂を熱い熱いと掻き回されている感じだ。まあ現代人のモガキだと思うね。モガキやアガキはガキの思考だ。
ガキは『六道』の一つ。今の時代は一昔前の世界大戦の修羅界ではなく餓鬼界なのだろう。こうやって時代は変遷しながら輪廻してゆくんだろうね。昔の覚者はこういうことを喩えて言われたのかもしれない。
さて餓鬼だから、読んで字の如く、餓えた鬼だ。確かに大量食品廃棄や種子や水の私有化など、餓えた鬼の思考だ。
とにかく現代人よ、強欲すぎ、あんまりガツガツしなさんな、自然のように皆に施しなさいってことだな。
写真:足掻いているチョコ。
●信用
草刈りしながら思う。楽を願ってもその楽に相当する苦に耐えられるかが問題だ。耐えられるほどの苦ならその苦に相当する楽を味わえる。苦に耐えるその勇敢さに人々はその人の力や才を認めその人の行いを信用する。重要なのは『信用される』である。もし大きな苦に耐えることが金目当てならそれは信用ではない。信用を得るために慈善事業などに向かう。しかしそれが益々の儲けなら信用はない。信用されるとは元に戻すことだと思う。
●巣箱
ニホンミツバチの巣箱設置。
今年は来るかしら?
去年は来るか来るかと
毎日がデートの前の日みたいに
数週間過ごし
心休まらなかった。
今年は
それでは心臓に悪いので、
放っとく
期待しない。
勝手に住めば!
●池
夏のような暑さ。
Redemption Song
(歌詞がいい)
を聴きながら
スイレンの植え替え。
ハス鉢の植え替え。
いつもはハス鉢は2つだが、
今年は趣向を変えて
ハス鉢を4つ
デッキの周りに置いた。
楽しみである。
●ぱぱに・ままに
『ぱぱに・ままに』が「不可解」「怖い」との意見があった。素直な意見だと思う。
少し説明しますね。
簡単に言えば、意味を省いて心地よいと感じるままに作った。『感じるままに』だから『ままに』です。
人の幸せとは何だろう? という疑問があり、経済かと言えば、それは人々を貧富に分断し、管理社会になって自由はない。貧はルサンチマンとなり富は親族奪い合いや孤立する。では快楽かと言えば、それは苦痛の裏返しで、老・病・死を超えられない。つまり経済も快楽も幸せではない、偏ったものなのです。では一体何?
僕は去年ふとしたことで絵の制作工程から、言葉ではない完全な『わ』を発見しました。目の前にポコっと現れたのです。これは何にでも当てはまるので、ややマンネリ化している一番身近な粘土いじりで試してみました。
僕の作品は猫と仏像など既知の意味あるものと色と形態などを材料としてできています。これらの材料の中の他人から借りていた意味のところをなるべく返してみたのです。意味は人を縛り、その縛りがオリジナリティになるから仕事になる。でも縛りはうざい。その縛りからの解放が心地いいわけですね。そしたら『ぱぱに・ままに』が生まれたのです。
例えばこんな風にも言えます。行き先を決めずに船に乗って冒険に出る。引きこもりだから精神で旅しました。やはり広い海は怖い、目的地がないのも不安です。でも大きな海原に漂っていると、心がおおらかになって自由を感じます。危険と隣り合わせに新鮮だから感覚が研ぎ澄まされます。他人に迷惑も期待もないせいか自分が広大な海になった感じになります。目的という未来がないから今が心地よくなります。やる前にはこの粘土の冒険はどうなるのか、どんな風景を見るのか、どんな音楽が流れているのかと興味津々でした。
やったら、なんと! 春真っ盛り、飲めや歌えや踊れや、人種のるつぼ、天国、歓喜パーティでした。それが『ぱぱに・ままに』です。
皆さんが恐くなったり不可解になったりするのは、一緒に海原に出ているからです。その裏の自由で解放的な冒険面を感じてください。爽快になるはずです。感じる『ままに』、そこから感じる『ぱぱに』。
写真は『ぱぱに』です。
*個展案内
もりわじん個展『幸福感』
2021年 4/29〜5/5
場所:東京都台東区谷中2-6-24・猫町ギャラリー1F
●招き手
招き猫の手は『福を招いている』というのが一般的だ。
それは直線的な欲望で面白くない。
そこで僕はその手を「こっちにおいで」
『一歩引きなさい』と解釈した。
つまり『行き過ぎないこと』なのだ。
龍安寺にある蹲に彫られた文字『吾唯知足』と同じ意味合いだ。
その瀧安寺には枯山水の石庭がある。
石庭は石が15個あるのにどこから見ても
必ず一個隠れて14個しか見えない。
「完璧を望むな」という意味で
これも一歩引いている。
一歩引いたところにこそ福があるのだ。
行き過ぎて15個見えたら
お終いだ。
写真:『猫の手一輪花挿し』です。
*個展案内
もりわじん個展『幸福感』
2021年 4/29〜5/5
場所:東京都台東区谷中2-6-24・猫町ギャラリー1F
●間違い
個展期間を間違えてました。
5/5までです。
よろしく。
写真:
菜の花がすごいと聞いたので見に。
これは植えているわけではない
去年の夏の最上川氾濫で
この辺りは水浸し
種が含まれていたのだろうと推測。
*個展案内
もりわじん個展『幸福感』
2021年 4/29〜5/5
場所:東京谷中・猫町ギャラリー1F
●いろんな人
コーヒー豆屋さんが
この地に店を出して4周年
記念マルシェを開くというので
応援参加する。
久しぶりに人をたくさん見た。
今日、思ったこと。
「ありがたいことにいろんな人がいるんだよね」
東京の個展も引き続きよろしく。
*個展案内
もりわじん個展『幸福感』
2021年 4/29〜5/9
場所:東京谷中・猫町ギャラリー1F