●経年変化
昨日の続き。
プラダンは劣化する。
人工物は作って完成だから経年劣化する。
自然のものは劣化しない。
経年劣化とは言わず経年変化と言う。
自然はいつも未完成で、それが完成なのだ。
実は人工物も未完成なのだ。
ただ人が完成だと思い込んでいるに過ぎない。
完成は無い。
全て経年変化でしかない。
今日もチョコは脱走した。
いったいどこから?
●経年変化
昨日の続き。
プラダンは劣化する。
人工物は作って完成だから経年劣化する。
自然のものは劣化しない。
経年劣化とは言わず経年変化と言う。
自然はいつも未完成で、それが完成なのだ。
実は人工物も未完成なのだ。
ただ人が完成だと思い込んでいるに過ぎない。
完成は無い。
全て経年変化でしかない。
今日もチョコは脱走した。
いったいどこから?
●プラダン
今日は汲み取り。
やっている間、手の空いているおじさんと世間話。
ミツバチの巣箱の話になり、おじさん曰く
「屋根、プラダンはダメだ。プラスチックは劣化してボロボロになる。
ボロだからミツバチ来ないんだよ。杉皮とかにしたら」
3年前のプラダン屋根を爪で押したら、ガーン! 穴が空いた!
なるほど、野生のミツバチだからな、
プラスチックじゃ「ペッ、こんなもんに住めるか!」だろうな。
やはり自然素材の杉皮とかにして、もっと立派な家屋にしよう。
写真写りは白い屋根で良かったんだけどなぁ。
あっ! じゃあ薪棚の屋根もダメじゃん!
●進歩と失敗
庭で焚き火を囲み、ワインとつまみを置くテーブル作り。材木は大工したときの余ったものなど。
頭の中に図面を描いて材木を切るが、なぜか間違う。それでちゃんと紙に図面を書いてやる。でもやはり間違う。面白いのは間違うたびに、いいアイデアが浮かぶ。次々作って5つ目になってしまった。しかしこれもやはり間違えてしまい、天板が小さくなって直すことになり図面と違うものができた。
この時、進歩と失敗は同じコインの表裏だなぁと思った。人間は進歩を夢見るが失敗を恐れるから行動できない。失敗を恐れず行動し結果進歩する。これを成功というが、いやいや進歩=失敗だから、成功ではない。
ところで世間は進歩=失敗しているせいか、最近はこれまで庭に来たことなかったコゲラやコムクドリやムクドリやカモシカまで来る。
ただこれ以上の進歩=失敗はいらないな。庭にクマなど来たら大変だ。ほどほどの進歩=失敗が楽しい。
●芽
去年の睡蓮の芽が出ていた。毎年植え替えの時、いらない睡蓮の部分はバラバラにして土と混ぜておく。そのうち土になる。去年の睡蓮の芽が土にならずに生きていたのだ。スゴいな!
芽以外の部分は微生物が食べるというのを聞いたことがある。芽には次世代に残すための守りがあるのだろう。
そういや本物の野菜は虫が食わないと聞いた。もちろん農薬など使わず数年経った丈夫な野菜だ。弱い野菜に虫がつくのだ。人間だって寂しかったら虫がつく、弱くなってきたら病気になる。
●ペコペコ
ペコペコしてはいけないね。
金にペコペコするから心を失う。
権力にペコペコするから民と言葉が通じない。
集団にペコペコするから稀なるものがわからない。
過去・未来にペコペコするから今を生きてない。
上にペコペコするから足元に気づかない。
●詩:大袈裟な日曜日
二日前の日曜日
雲ひとつない青空。
朝からドンドンと
祭りがありそうなお知らせが鳴る。
今日は何の日だろう?
向こうの建物から火が出ている。
道路に死体が転がっている。
サイレンがなる。
庭の草刈りをする。
大汗かいたので風呂に入る。
何でもない
大袈裟な日曜日。
●逃亡論
庭に張られたチョコ逃亡防止柵。
チョコは僕ら人間に自由を奪われていると思っているのか? 飼われている身は自分の力不足なのか?
人間の場合、社会に対して不満を持ち陰謀論だなどと恨み辛みを吐く。または仕事もありインフラもあるから少しの不自由は我慢する。この裏にもやはり不満がある。
ところで多分猫に社会不満はない。だから恨み辛み陰謀論もない。自分の力不足だとも思わない。餌をもらっているからと人間に媚びているわけでもない。つまり自己否定も社会不満もない。あらゆるものから逃亡し続けているだけなのだ。オラ、出る、遊ぶ、飽きる、腹減る、帰る、食う、寝る…
昨晩も逃亡して夜になって帰ってきた。そこで今朝は2時間かけて自分がチョコになったつもりで柵を補修した。これでどうだ!
チョコを庭に出した。逃亡はなく平然と帰ってきた。その顔はこう言っているように思えた。
「旦那、柵補修見たよ。ずいぶん苦労したみたいだね。あそこまでしたんだったら、もう出ないよ。頑張ったら出られるけど、もう出ない。別に外が楽しいわけではない。壁があるから、何故かその向こうに行ってみたいだけなのだ」
ほんとかな?
●チャットGPT
チャットGPTについて考察。
大学4年ヨーロッパ一人旅、スペインのプラド美術館で作品を見て回る。僕は感動もないまま美術作品を眺めていた。ところが一枚の絵がふと目に止まった。見たことのない絵でとても気になった。
なんだろう、これは? 作家は誰だろうとプレートを見たが聞いたこともないし読みにくい文字。とにかく気になる作品なのでメモ帳にその名前なのか絵のタイトルなのかもわからないアルファベット文字を書き記した。
これをきっかけに僕は就職を蹴って画家を志す。
ところでチャットGPT頭脳を持ったAI君は賢いので知識を組み合わせて文章をうまく作り上げ、美術作品など見たことのない人に上手な物語を構成して伝えることができる。でもAI君自身は絵に感動したことはない。人間はチャットGPTを超えたところにいる。
小さな脳の猫は全く考えもせず逃げ穴を見つけて外へ出る。
●穴
去年、もはや完璧という猫逃亡防止柵を作った。それなのに春になってチョコは何度も庭の外に出る。その度に柵を修繕している。
ここ三日間、逃亡している。どこから出たのか一向にわからない。出る所などない筈なのに。そこで今朝は二人で掃除も朝食もしないで、チョコをそーっと見張り尾行した。1時間後、ついに現場を捕らえた。ここだったのか!
10年以上も出たり塞いだりイタチごっこをしてきた。柵を作るのはこれまでに道路で車に3匹が轢かれているからだ。どんなに完全な柵を作っても思わぬところから外に出る。
常々思うのは人間のやることには『穴』がある。完全無欠(無穴)では無いということだ。チョコは自然体だ。自然体とは『穴』なのだと思う。不完全という『穴』を受け入れている完全体なのだ。人間は不完全を嫌い完全を欲求する。
『穴』は出口であり入口であり逃げ穴であり解放であり、生命誕生の根源でもある。人間が自然体をコントロールするということは『穴』を塞ぐようなものだ。それは無理だ。根源を塞ぐことはできない。人間を創ったのが『穴』だからだ。
もしチョコを出ないように、完全に壁で外を遮断したとする。それでも『穴』はあるだろう。
補足:穴は落とし穴でもある。