●二枚舌
処理水とはいうけど
色々混じっていて完全では無いから
やはり汚染水だろう。
科学的な根拠に基づいてではなく、
政治権力に基づいてだし。
人は、特に政治家は、なんで二枚舌を使うのか?
結論を出さなきゃならないからだろうと思う。
結論というのは先の話をグイッと今に持ってくる。
その話は先だから想像や幻想だ。
実際は『ない』を、今『ある』にしている。
だから出てくる舌は二枚になる。
いつまでもそんな舌使っていたら
本当のことも味もわからなくなるから不幸だと思うよ。
●二枚舌
処理水とはいうけど
色々混じっていて完全では無いから
やはり汚染水だろう。
科学的な根拠に基づいてではなく、
政治権力に基づいてだし。
人は、特に政治家は、なんで二枚舌を使うのか?
結論を出さなきゃならないからだろうと思う。
結論というのは先の話をグイッと今に持ってくる。
その話は先だから想像や幻想だ。
実際は『ない』を、今『ある』にしている。
だから出てくる舌は二枚になる。
いつまでもそんな舌使っていたら
本当のことも味もわからなくなるから不幸だと思うよ。
●マスツーリズム
どこぞの小さな村に旅行者が押し寄せ
迷惑した住人は道を封鎖したらしい。
人は集るよね。
風景など、自分で作ればいいのに。
作れないなら、諦めろ。
求めることなどほどほどが心地いい。
パラーっと散れや。
●ゴミ捨て場
海は人間にとってゴミ捨て場。
人間はこれまで重金属や水銀、
プラスチック、農薬などを山ほど捨ててきた。
人間は、海は遠くにある他所だから
ゴミを捨ててもいいと思っているのだろう。
今回の希釈技術はデータがまちまち、不完全。
藻やプランクトンがそれを食べ真逆の生物濃縮になる。
回り回って人類滅びるアホな方向だ。
ところで海水と羊水はほぼ同じ。
人間は海から生まれてきたはずだったのに
子供に「海はゴミ捨て場よ」とは教えたくはない。
あんまりエゴイスティックな考えではダメでしょ。
『海はゴミ捨て場』という考えを改め
僕らの身体は陸や海や空でできていることを知るべきだね。
●肖像画
今日は2023年8月28日、僕の66歳の誕生日だ。ふとこの数字を足してみた、37になる。37と言えば、知人のじゃがたらの江戸アケミ、ボ・ガンボスのどんとが亡くなった年齢だ。詩人の宮沢賢治、画家ではヴァン・ゴッホもそうだ。お釈迦様はその辺りの年齢で悟っている。ついでに僕がネコ作家になった歳だ。人間の成長として37歳は覚醒する歳なんだろうと思った。
今日の誕生日のこの37の数字、縁起担いで、これを機に肖像画家に覚醒することにした。
60歳の還暦の時、本気に絵描きになろうと志した。去年とうとう『ムガノガ』という自分の絵に到達した。自分は自分の身体の根っこから出てきた自分本来の絵でないと納得できない。短い人生だもの、誰かの真似や金のためや何かのためのものでは無いものを見つけたい。思い違いや思い込みで社会に流され生きていては不幸だ。だからそう簡単につまらない主義主張思想には傾かない、徹底的に吟味する。
絵など数センチの四角い世界なのだが、我は画として現れる。自分の盲目の思い込みは嘘の画として現れるので気付ける。絵の中で思い違いを暴けば人の心や世界の思い違いを暴くことに繋がる。世界は自分だからだ。
昔、自分は油絵のようにペタペタ塗り重ねることが嫌いで、還暦の時、偶然に全く反対の剥ぐペリペリ画法を発見した。それが今度は嫌いなペタペタが好きになりペリペリもする肖像画になったのだ。くるっと一周回った感じだ。
さて絵描き目指して6年、そこで思うのは何か新しく変わるには6年ぐらいはかかるってことだ。皆さんも何かに心奪われても、それが絶対と思わず、ペタペタペリペリのように是や非に挑戦してください。6年かかるけど、初めがなければいつまで経っても思い違いのままだ。思い違いに気付き行動すれば成長し心は解放されるだろう。
写真が初の肖像画です。村山市に居を構え村山市を活性化させようとしている起ち上がった25歳若者。肖像画も初心、彼も初心、なにもかも初心、初心こそ清々しい覚醒なのだ。
もし描かれ覚醒したい方がいらっしゃれば連絡ください。
○肖像画『ムガノタガ』(『ムガノガ』で他人を描くので『ムガノタガ』)
自分や家族、またはプレゼントなどにもどうぞ。大きさは2タイプ。
サイズF3号 273×220cm 箱額付き
サイズF4号 333×242cm 箱額付き
(写真はF4号です)
ではよろしく。
●わかるわけがない
いくら考えても無理です。
結局頭が古いからです。
古いのに新しい知識を入れても無理です。
知識も意識も無意識も潜在意識も
古い頭の中身です。
お里が知れてます。
その古い頭が遠慮している時が
一番わかっている。
●友達
多分友達がいない
ほしい
連む
縛られる
嫌う
だから
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ナレバイイ
●最上川芸術祭2
昨日の続き。個人的には5年越しの驚きの問題なので、もう少し奥まで探ってみた。
僕の企画した最上川芸術祭は確か最上川美術館始まって以来の観客数。僕の知らないところで5年も芸術祭を続けていることにビックリ、どころか、なぜにその立役者に知らせないかね。これは関わった議員や市役所の人、職業ではなく、人として問題だ。いわゆるいい大人が人としての成長ができてないと思った。
それは普段の保守議員の行動でもわかる。中央や県の保守党先生に先生先生と媚を売り、自分らも自己表現のために偽善めいた活動もするが、本当に村に貢献した下々には興味を示さない。その理由が自らのグループとは違うからだ。
「長いものに巻かれるな」というのは、長いものはバカではないからだ。長いものが長いものであるのは、ずる賢さや二枚舌や搾取では、村の議員の数倍ヤバいほど上だということだ。
村の若者が初めて立候補する時、この村の有権者の数が多い長いものの保守党をバックに出た方が手っ取り早い。それは親元から社会に出るのに親のコネを使った方がいいようなものだ。しかし一回それをやったら、あとは一人で立つことだ。親から離れ、自立することだ。長いものから離れ、自立することだ。
『親切』とは「親を切る」、『大切』とは「大きなものを切る」ことだろう。「切る」のは自分以外の中央を自分の中央と勘違いしないためだ。
親が自分の子供に左右のどっちかに偏れとは教育しないだろう。親としては、そんな争い事に巻き込まれず己の才能や性質をどこまでも自由に真っ直ぐに伸ばし成長してほしい。それが親心だし子の自立だ。
例としてこの村で一人の青年が会社を辞めて長いものの保守をバックに立候補した。彼の会社社長は反保守だった。社長は人前に立つことが苦手、長いものに巻かれるのだって嫌いなのに、不偏不党の位置を示し、その青年のために路上でうわずった声で応援演説をしたのだ。そして青年は当選。その後、青年は能力があり活躍もした。再立候補する時が来た。今こそ長いものなど捨てて、不偏不党で立候補することが社長への恩返しだろうと思う。左右の片側に自分を位置せずにその二元を克服するのが人間としての成長だ。
昨今は人間としての善の劣化が目立つ。良いことをするためには悪いことには目を瞑る風潮がある。芸能界の少年文化繁栄の裏には少年強姦があった。日本を取り戻す総理の裏では金亡者宗教があった。二人とも死んでから発覚したから、生きている間中、悪を隠蔽するために権力を駆使していたのかもしれない。
火をつけて消化する消防士、病気を作って治す医者、暴飲暴食して嘔吐する薬を投与などなど。これらも世間的に良い事を前提に語る倫理観からくる勘違いだ。良いこととは簡単に言えば欲望だ。ついには良いことのために戦争となる。
簡単に言えば思考の中心に据えるのは「良いこと」ではなく『悪いことはするな良いこともするな』だ。人間が悪いことも良いこともしなければ、自然は豊かで海はキレイだ。これ以上に善いことはない。それが水の惑星地球に住む人としての成長だ。
●最上川芸術祭
源八酒屋さんで男性と目が合った。誰だっけかなぁ?
あっ、思い出した。2019年に最上川美術館で『最上川芸術祭』をやった。当時の真下館長がわがままで大きなスペースを独り占めしているので、なんとかしてくれと近所の議員に言われて芸術祭を企画したのだ。その時に館長と一緒に何かと企画を阻むおじさんが、この男性だった。
あれ以来、僕は最上川美術館には行かなくなった。新館長になった人と会った時に「もう最上川芸術祭はしない、自分流で行く」と聞いたからだ。あっ、そうですか。みんなの遊び場になるはずだったのに、ただただ疲れただけだったのか。
今日、そんな過去を忘れて、おじさんに今はどうしてますか? と聞いたら、なんと「わじんさんのおかげで最上川芸術祭今年で5回目です」と。
えーーーーー! 続いていたんだ! オレ、英雄じゃん! 英雄に教えろよな! 僕に声をかけた議員も教えないし、まったく楽しくない奴らじゃ! バギャヤローーーー! 恩知らず! ほぼタダ働きだぞ! 楽しみ泥棒!
まあいいや、飛ぶ鳥跡を濁さなかったようだ。
*写真は2019年のです。
●手段
お茶タイムにおはぎを食べているとチョコがやってくる。チョコはあんこが好き。僕が食べている間、あんこの入った皿を凝視する。皿を左右に揺らせば頭が左右に揺れる。あんこ次第なのだ。僕は彼にとっての手段なのだ。
昔「弟子にしてください」と若者がやってきた。ちょうどランチだったのでコーヒーとパンを出した。彼はパンにバターをたっぷりつけて食べる。色々話したのだが、話している間中、彼はバターを見つめている。話を聞いておらずバターにしか興味がない。バター次第なのだ。猫と同じだ。
この村の議員さんのSNSを見る。彼らもじっと見つめているのは彼らの政党だ。村は手段だ。政党次第で頭が揺れる。猫と同じだ。
上ばっかり見て足元を見てないから浮いている。つまり幽霊だ。幽霊は雨月物語のように現実を欲しがる。しかしみんなが思っている現実は夢の中の現実に過ぎない。浮いているからね。ただ目を餌から背ければ目は覚める。
●和
草刈りして思った。
『わからない』とは『和』を「刈らない」こと。
『わかる』とは『和』を「刈る」こと。
政治家や宗教家やその他の
『わかった』(和刈った)ような言動について行かないことだ。
彼らは戦わせて競走させて進歩させる思考だ。
問題は、その『進歩』だ。
さて『進歩』して心は豊かになったのだろうか?
『和』を刈って、寂しくなっただけのような気がする。
●ナンキンハゼ
いつも作品を買ってくださる方。
写真はナンキンハゼの木だ。
葉っぱの形もかわいいし、紅葉が見事。
普通なら桜の木より大きくなるような大木なのだが、
雪国に合わないようで、冬になると枯れて一から芽が出る。
それもいろんなところから新しい芽が出る。
土の下に太い幹や枝があり、それが広がっているようなのだ。
だから地上に出ているのは大木のてっぺんということになる。
春も過ぎた頃に葉が出てくるので『ねぼすけ』と呼んでいる。
植えたいというので、
土の中の枝とも根ともわからぬ小さいやつを掘ってあげた。
●失敗と成功
「失敗は成功のもと」と言う。
人の成功を見ていると確かにそう思う。
失敗に気づき軌道修正しながら
生きているから成功だ。
さてもう一つ
「成功こそ失敗のもと」だと言われる。
人の成功を見ていると確かにそう思う。
道を歩くのをやめているから死んだも同然だ。
哀れなのは当の本人がその失敗に気づいてない。
●終戦
学び。
あなたは頭が良いですか?
それとも良くないですか?
良いと思うならその考えの反対を学べるだろう。
良くないと思うならその考えは間違っているだろう。
どっちでもないなら、どっちでもないことを学ぶことだ。
●自由自在堂から
自分で決めた未来の職業であるアーティストになるために、今やれること。
その一、自分は今、自由なのだから、何をやっても良し。
その二、自分の未来が不自由にならなければ、今、何をやっても良し。
この二つをしっかり気持ちの根底に置いて何事も行動すれば、ほぼあらゆることに挑戦でき、不可能という概念が薄れ、勇気と自信がみなぎるようになる。その勇気は思い込みや思い違いではなく、本人の中に僅かな勇気があれば成り立つものである。