2015年2月28日土曜日

[5176] タテタカコ

碁点温泉旧浴場でライブ。
 ライブなんてじっとしていられないので、なるべく避けているのだが、高校の後輩だと言う寺の坊主&ミュージシャンが主催ということで行く。それと一応この人の歌は聴いてみたいというミュージシャンが出ているのだ。それがタテタカコさん。彼女はずいぶん前だが是枝裕和監督のリアリティ溢れる映画『誰も知らない』の挿入歌で知る人ぞ知る人。
 浴場は風呂なもんで音が反響するのが欠点だと思っていたが、素晴らしい唄声と語りと表情で最高のステージに作り上げてゆく様は、さすがプロ、素晴らしかった。坊主ミュージシャンいい時間をありがとうさん。創作の意欲がわきましたわ。

2015年2月27日金曜日

[5175] 永遠

造形屋さんに頼んでいたものが仕上がった。
 問題無し。
 造形屋さんは「今度、10メートルぐらいの作品を作りましょう」と言う。鉄骨を入れて作り、10年毎にメンテをするんだって。でも造形屋さんがいなくなったら朽ちてぼろぼろになってしまわないか? と聞いたら「大丈夫、うちは永遠に続く」と答えた。なんか嬉しくなるような希望溢れる言葉だ。ワシも言おう。
 心配ないぞ。ワシの猫は永遠に続く。

2015年2月26日木曜日

[5174] 腹巻き

胃が痛い。個展前は神経が尖っているから胃に刺さるのだ。そこで腹巻きをする。この腹巻きというものは素肌につけるのか、それともパンツの上なのか、バカボンのパパのようにするのかを悩む。まあその時々で変えて使用。
 そのまま寝る。夢を見た。
 大きな体育館のような個展会場の搬入。ウンコがしたくなってトイレに入る。すぐにスタッフが迎えに来たので、ウンコもせずパンツをあげようとしたら、いつものパンツと違う。真っ白いふかふかした暖かいパンツだ。キツくて簡単には上がらない。半分だけ上げて外に出る。スタッフが僕の下半身を変な目で見た。僕も下を見た。あっ! このパンツは『おむつ』だ。僕は思った。な〜んだ、このままウンコすればいいんじゃん。いや待て、なんか違う! ここは個展会場じゃない、音楽堂だ! 
 目が覚めた。よかった、寝グソするところだった。

2015年2月25日水曜日

[5173] 弱者

知人が山で遭難し、とりあえず助かった。
 山奥で人は生きてゆけない。動物ならけっこう楽に生き延びることができる。人間は動物界では弱者だ。その弱者を自ら守ろうとして作り上げたのがこの人間社会だ。
 つまりこの人間社会は弱者を生かすのが目的だ。
 今は人間だけでなく動物達も弱者だ。その目的の先に何があるかは弱者の人間には解らない。弱者を生かすことでしか、未来は見えないのかもしれない。
 写真は猫界ではマイノリティの三毛オス。生殖能力無しで、珍しいということで高価らしいけど、もはやタマ無しになったピニャモ。植木鉢ひっくり返し、それでも草食っているところ。

2015年2月24日火曜日

[5172] 余裕

ピニャモがなぜかヨゾに向かってシッポを膨らませていた。
 この間まで大きい作品を作っていたんだけど、それって猫がシッポを大きくして他を威嚇しているようなもんだなぁと思った。
 他の人の作品でも、なんかこいつ大きくみせようとしているぞ、利口そうにみせようとしているぞ、強そうに見せようとしているぞ、言論の自由だからって言いたいことホザイて強がっているぞ、なんてのが威嚇のシッポだ。バレバレなんだけど、自分では気付かないものなのかもしれない。ちょっと引いたところに美しさと真実があるように思う。ワシも気をつけねば。
 そこで今日は一歩引いて小さな作品に挑戦。小さいから余裕でできた。だから余裕がいっぱいいっぱい詰った気がする。余裕で安眠。

2015年2月23日月曜日

[5171] 阿呆

個展だからって、真面目な作品の方ばかり向いていたけど、棚にあった個展用でない作品を見たら、急にどうでもよくなった。

2015年2月22日日曜日

[5170] ロウと炎

ワシの毎日の風呂はロウソクを灯す。ふと思った。
『炎はロウが無いと炎にならないが、ロウは炎が無くてもロウだ』
 ところでワシが燃える炎のように生きるためにはロウが必要だ。ロウって何だろう? 思い浮かぶのは金だ。しかし燃えていた若い頃を思うとワシのあの盛んに燃えていた炎の元は金ではなかった。自分の内部にボーボー燃えるためのロウがあったのだ。
 ワシは自分の内部の奥深くにあるまだ燃えてないロウを探しださねばと思った。

2015年2月21日土曜日

[5169] 額装

額装をする。
 絵がパリッと引き締まっていい感じだ。自分で言うのもなんだが「この絵いいな、おぉ、これもいい感じだなぁ、これなんか名作じゃん」とどれもこれもよく見える。幸せな気分だ。
 絵の描き初めは何もない白紙に「描くぞー」と向かうので、かなりの緊張感とそれを打ち破る勢いが必要だ。これは恋を打ち明ける時のドキドキと似ているから息苦しい。その後は、描いている時にでてくる迷い、たびたび浮上する「違うな」とか「ダメだ」などと言う否定的な思い。ときどき情けなくなる。
 額装ってのはそんなマイナスが微塵もない。どちらかというとますます絵を描きたくなってしまうのだ。ますます恋をしたくなるってことかも。

2015年2月20日金曜日

[5168] タマ無し

これがピニャモのタマ無しチンコです。

手術のために毛を剃られたので鳥のモモのような感じで、気色悪いけど、触ると心地良い。
イゴとかの手術痕と比べても、なかなかきれいでおじょうずな先生だ。
これならピニャモはオスだということが解るのでいい。
 解ったからって何がどうなるわけでもないけどね。

2015年2月19日木曜日

[5167] ファンタジー

セーラ服なるものを粘土でいじっているのだが、こんなに複雑なものだとは知らなかった。
思い起こせば、ワシはセラー服を脱がしたことがない。
残念な青春だった。
今からでも遅くはないと思うが、今やったのではニュアンスが違うだろう。
ところで猫と金魚、それにセーラ服。
これって、ファンタジーかな。
ワシってファンタジーなのかも? とSSに見せたら、「アンタハジジィ」と言われた。
うまい!

2015年2月18日水曜日

[5166] 眼差し

絵の方はというと、自分は目をかなり気にして描いているようだ。
 哲学者ジャック・デリタが裸を猫に見られて恥ずかしいと思ったことから考察した論文がある。興味深い。
 ワシもイゴにちょいといたずらして怒らせて、ジッと見つめられると悪かったと謝りたくなる。下世話な話、自分のチンチンをいじっているとき、猫にジッと見られると何故か恥ずかしくなる。軽蔑された感じだ。猫でなくても、たとえ誰もいない山で真っ裸でチンチンいじっていても、そりゃあ貴方、空の目が気になって、チンチン縮んで土下座したくなる。たとえ正当な理由があって事を行ったとしても、空は本質を見ている。その感覚、その眼差し。
 観音菩薩という名前、『音を観る』とはそれだと思う。そんな猫の目を描いて、それに見られ、それを見、そのうちその目が身に付いて自分も音を観れるようになるかも。

2015年2月17日火曜日

[5165] 招き猫

天気がいい。階段に座って最上川を眺めながらヨーグルトを食う。いつものようにイゴがくっ付いてくる。
 最近の作品はどんどんあらぬ方向へ進んでいる。あるぬ方向とは別に悪い意味ではなく、自分を決めつけない縛らないところであって新しく自由な方向だ。だから最近は粘土いじりが極めて楽しい。しかしこのままでは本職の招き猫から離れてしまっている。まあ確実なものなんてないから離れたっていいんだけどなんとなくバランスが悪い気がした。そこで招き猫祭りの風景をイメージしてみた。猫祭り、あの風景、あの人々、縁起物、民芸‥‥
 オオオオオォ、いきなり新作が降りて来た。

2015年2月16日月曜日

[5164] 千手観音

父親が「長生きできる千手観音をあげるから来い」と言うので行ってみる。
「これはうちの婆ちゃんが持っていたもので92歳まで生きた。その後、叔母ちゃんが持って92歳まで生きた。オマエにやる」
 なんかすごい骨董品でデキのいいものかと思ったら、なんの感動もない代物。ワシは92歳以上生きるから、いらんと断った。それでも、やる! と言うので、オヤジが92歳のときに取りにくると言って、カステラ貰って帰って来た。
 帰り道、あれで92歳まで生きるんだったら、ワシの作った仏像は100歳や200歳どころじゃないなぁと思った。

2015年2月15日日曜日

[5163] ハゲ

若い頃は将来こんなハゲ頭になるなんて微塵も思わなかった。
ところがだんだん薄くなっていく過程で、なんとか若い頃のふさふさに戻らないかなぁと思ったりもしたけど、所詮悪あがき。
過去に戻るなんて潔くない。
諸行無常だ。
今はカビのような毛を剃るのが面倒なので、早くツルツルハゲにならないかなぁと未来を夢見ている。

2015年2月14日土曜日

[5162] 未来と今

個展というのは日時や場所が決まっていて、それに向けて作品制作をする。気も引き締まりやる気になり集中して新作も出てくる。しかし飛行機のチケットを手に入れたみたいなもんで、乗り遅れるわけにいかないから気掛かりで気も重くなり落ち着かない。未来を気にしながら今を生きているってのが、どうも気分が悪い。
 こういうときは個展の縛りを超えるような、個展に出せないような作品ができる。このクソ忙しいのにだ。
 でもいいのだ。ワシは未来の個展のために生きているのではない。今を生きているのだ。そう言いたい。

2015年2月13日金曜日

[5161] フル回転

『んだニャー祭り』のアイデアも出尽くした感じなので、まとめて実行委員に渡して、あとは元の本職に戻って個展に集中です。
 ワシの場合、アイデアはバカ話やスケベ話をしているときとか、あとはトイレなどポツンと一人瞑想している時に湧き出る。真面目に打ち合わせや運営とかをやると、暑くもないのに汗が流れ、気の小さいつまらん人間になり、ものに当たり散らすか人の悪口を言い始める。自分に嫌気が差し始め、生きていることにげんなりし、自暴自棄になってどうしようもないクズになる。破壊だ! と。
 まあそんなマイナスを避けるために自分が前向きにフル回転できる環境に戻ったわけですな。
 気が楽になったおかげか、ハッ! と閃いて、いい作品ができた。ほらみろ!

2015年2月12日木曜日

[5160] DM作品

瀬戸の個展のDM用作品がやっとできた。
けっこう気に入っている。
半分だけ見せるね。
今回は一点一点が時間をかけている。
昔、通った道でないから面白い。
 
人が右に傾き過ぎたり、左に傾き過ぎたり、動けなくなったりするのは透明な真ん中の道を知らないからだろう。
透明だからって見えないわけじゃない。
透明だからって解らないわけじゃない。
見えた色でないところがそうかもしれない。
解ったことでないところがそうかもしれない。

2015年2月11日水曜日

[5159] おいしいマルシェ

祭日のせいもあって碁点温泉の旧浴場での『おいしいマルシェ』、ビックリするくらい大勢のお客さん、テレビも来ていてかなり賑やかだった。毎回、何かイベントやる度に膨らんでいるような。こうやって地道ながらも前向きに何かやっていれば、とっても珍しい面白い会場として定着してゆくんだろう。もうここを解体する使い捨てのような案もなくなると思う。
 『んだニャー祭』も基本はこのように市民の足元から盛り上ってきて村を活性化できればいいですね。なんか、江戸末期、市民が伊勢詣りに向かった『ええじゃないか』みたい。だったらこのまま「んだニャー、んだニャー」と東の奥詣りでもしようかしら。

2015年2月10日火曜日

[5158] 一大事

ピニャモの一大事。
 今日の午後、去勢手術を受けました。
 お医者さん「やはり生殖能力がないからか三歳のオスにしては金玉も身体も小さいな」
 ピニャモ「フンだ!」 

2015年2月9日月曜日

[5157] お客

あいも変わらずのピニャモ。猫が交尾をするかしないかはメスに決定権がある。モミジは婆ちゃんだしサカリなんて、なんのことやら、うざいガキだなと思っているだけ。求めども求めどもピニャモの愛が実ることはない。「なんで?」とピニャモは悩んだ顔してときどき切なく唸る。ワシにわからないのは何で婆ちゃんなんだろう? うちにいる猫はモミジ以外は皆ピニャモより強い。そこでモミジなのだろうか? わからん。
 でもそのどうしようもない切なさ、わかるぞ、ワシにもわかるぞ! 一緒に飲もう! 酒でも飲もう! ピニャモ。

 今日はお客が隙間なく連続してやってきた。9人。それも全て仕事関係だ。たまには創作以外でこうやって時間が過ぎるのも悪くはない。
 どれ、お客も帰ったし、本当の仕事に取りかからねば。来月は個展で忙しいのじゃ。

2015年2月8日日曜日

[5156] サカリ

ピニャモのサカリがヒドイ。三毛猫のオスは生まれつき生殖機能がないという。まあ人間でいうところのオカマ、いや違うな、別に同性愛でもないからな。単に精子が意味無しみたい。ワシの脳裏をなぜか楳図かずおさんが過った。
 ピニャモはもう三歳も過ぎていて、今まで何度かサカリの時期があったけど、それほどのことはなかったのに、今回はそこら中にスプレーをする。もっともヒドイのがモミジを追いかけ回すことだ。モミジは18歳で、人間で言うと90歳ぐらい、すごいお婆ちゃんだ。もちろん避妊手術はずいぶん昔にやった。それなのに、なんで? ババァ好きなのかな。やっぱオス三毛は珍しいだけあって行動も予想外だわ。
 しかし落ち着かず変な声で泣くし、どうしようもないぐらいむずむずイライラしている。あ〜〜、そういやワシも若い頃、吠えたい程むずむずしてたわ。気持ちわかるよ、ピニャモ〜〜〜

2015年2月7日土曜日

[5155] マタタビ

ピニャモがやたら泣く。こりゃあサカリだな。落ち着かせるためにマタタビをあげる。それが癖になりしょっちゅうマタタビをせびるようになった。とりあえず猫共みんなにあげる。ピニャモとマッピョはかなりがっつく。昔はポチ君もイゴも「ヤクをくれ!」と麻薬患者のようにがっついたが、最近はくれるならもってこいと動きもしない。仕方なしに、それぞれの足にマタタビをくっ付けてあげる。ところでまだ若いヤク好きのヨゾがアトリエからでてこない。そーっと覗きにいったらボーッと微睡んでいる。まさか脱法マタタビ! 危険マタタビ! もっとすんごいマタタビシャブか! ノーパンマタタビに通っていたりして。
(しかしなんであんなものが流行ったのだろう? ふざけた時代だったのだろう)

2015年2月6日金曜日

[5154] カマキリ

居間にかまきりの赤ちゃん(3ミリぐらい)がわんさといるので、どこからやって来たんだろうと探す。
 やっと見つけた。傘地蔵の傘の下。ここは盲点だったわ。
 これはコカマキリの卵嚢です。家の中が暖かいし、傘地蔵は南の窓辺においてあったから、そこはもはや春まっさかり。
 ところでこの者達は何を食って生きるのだろう? この小さいカマで何を捕えるのだろう? 彼らより小さい生きものって、ダニかな。それならいいわ。
 数匹は家の中の植物の鉢に入れ、あとは卵ごと外の雪のない所にポイした。
 頑張って生きろ!

2015年2月5日木曜日

[5153] 満足

新作できて気分よし。

風呂上がりのビール。
うろこ雲に月と星一つが美しい。
今日の月は満月には少し足りないから、満足。

2015年2月4日水曜日

[5152] 空虚

魚屋さんからやって来た隣の家の猫がいなくなって一ヶ月。年齢8ヶ月程。写真は魚屋さんに迷い込んだばっかしの頃。隣の猫だからそんなに会うこともないのに、こんなに辛くて寂しいとは。人懐っこく可愛い猫だったからだろうか。ワシも涙腺がゆるくなったか。しかしどこにいったのだろう? この雪じゃぁな…… 何で猫は雪の日にどっかに行くのだろうかね? 疑問と後悔、いろんな考えが頭を占領する。己の寂しさや空虚感を言葉で埋めようとしているんだろうと思う。
 なんでもそうだが無くなる前には、無くなったあとの寂しさなんてピンとこない。無くなって初めて大事だったと気付き、空しくなる。
 形の悪いものや少数なもの、金にならないものなどが、これから先どんどん無くなるだろう。発展とは空虚になることではなく、心豊かになることだと思うな。

2015年2月3日火曜日

[5151] 日の目

小説『自由自在堂』のデザイン打ち合わせ。
 ワシが猫作家になる前の誰も知らない12年間に日の目を浴びさせようと書いたもの。3月の個展でお披露目予定。
 ワシの仕事である日本独自の文化の招き猫民芸品などは放っといたら無くなっていたかもしれない。ワシはこれに日の目を浴びさせた。
 伝承野菜に力を入れている人(写真右)、独特の文化を持つ少数民族(写真中:アイヌ人?)、それに世界でも稀な日本の平和(最近揺らいでいる)などちゃんと維持していかなきゃならんと思うよ。
 今日歯医者さんにいってきたけど、こんな些細な小さな歯が痛んだり無くなったりしたらメシはマズいし何もやる気が起きない。まったく楽しくない。それどころか心身全体が地獄だ。それほど重要なものなんだよ。

『そこを上だと思い込んで、下を無視して上目指すな。下あっての上だから、上の根は下だ。下の根が腐ったら上は倒れる』

2015年2月2日月曜日

[5150] どっかど

『んだニャー祭』の打ち合わせ。
 えづおう実行委員長は、こご村山市のおなごどむがさりして婿入りした猫カフェ経営すっだ歌舞伎顔の人。よくよく聞けば、ほのおどごは山形は庄内地方で500年も続く無形民族文化財『松山能』の伝承者だて。たまげだ! んだから歌舞伎顔してんなだど、しっくりえった。
 まづりには音楽があっど、ええべなってことで、ワシがあずだしたのが、上々颱風、そのボーカルの白崎映美さん、山形出身だて言うはげて、んだら、彼女のバンド『とうほぐまづりオールスターズ『まづろわぬ民』』がええ、んねべがど、希望ゆたら、歌舞伎さんが早々とバンドの知人ば、へできた。えやえや、すばらすえもんだ。ほれがらえろえろどほがの人も来て、前向きに話はすすんだ。まづりはどうなっべが、えづになっか、わがらねけんどん、すこだま村ば盛り上げんべ。んだにゃー。
 おわて、どっかどしたはー

2015年2月1日日曜日

[5149] 変身

歯の痛みがまだ少しあるので、本当なら難儀で歯を食いしばるような雪掻きはしたくない、がやらねばならない。
 最初は身体も慣れてないのでゼーゼーヘトヘトだが、汗をかき始めるとまるで違う人になったように楽になる。終わって風呂、ビール、横になって幸福感に浸る。歯の痛みなどもうどうってことなくなる。
 最終的にはこんなに気分爽快なのに、なぜやる前はイヤなのだろう? やればもはや楽しみの虜のくせに。
 違う人になるのがイヤなのだろう。変身するのがイヤなのだろうと思う。一段高い違う人で強い人間に変身するのによ! 
 まあ仕事でもそうだから、よくよく自分に言い聞かせよう。ガンガン変身するぞーーー