●医者と建築家
医者と建築家は人の命を扱っている。
医者に問題があっても言い難い。ならば医者を代えればいい。しかし問題のある医者は自分の欠点に一生気づかないだろう。そんな医者だらけは困る。
建築の場合も同じで、言い難い。それにもはや建ってしまった家に問題があったとしても、建築家を代えるには今更遅い。家はとても大きな買い物だ、失敗だった、新しくもう一軒、そんなわけにはゆかない。
住人は自分の家の批判などわざわざしない。自分の家族の悪口を言うようなものだからだ。古い家よりは多少住み心地がいいからと悪い点には目を瞑る。他人は建築的には素人、家の真新しさに目を奪われ、欠点など気づくはずもない。住人も建てる前は素人、設計の段階でさえ全くわからない。だから住人のことを考え、建てた後も吟味する建築家でない限り、家の欠点が建てた建築家の耳に届くことはほぼない。建築家は自分のアイデアを強要するだけで、今後も住人のことは考えない、売りっぱなしだ。宣伝上手な建築家は欠点や欠陥が補修されないままポコポコ家を建ててゆく。大きな事件が起こるまで問題が明るみに出ない医者のようなものだ。
批判とはあら探しではない、お互いに望ましい結果を得るためのものだ。施主はしょうがないと諦めず、住んだからこそわかる問題点をできるだけ提出し、納得ゆくまで直してもらうことだ。そこまでが予算のうちだ。他の建築家に見せて指摘してもらうのもいいだろう。気付かない建築家や大工が将来仕事がなくなるよりは、そうすることで気づく良い建築家や大工が育つ。
幼子や年寄りがいるのに危険な階段はまずい。寒い地方で暖房が上に逃げるのは困る。窓があるのに開けられないのはおかしい。このぐらいは予算内で直させたほうがいい。
今は見えないが将来起こるだろう木の収縮、荷重による撓みも考慮に入れて検討すべきだ。
僕が今の家を10年前建てた時には1000人ほどの家見学の人が訪れた。その中には大工さんや建築家の人も大勢いた。問題指摘もあり、後で数カ所直してもらった。修復困難なところは諦めた。それはもう一度設計する時に役立つだろう。
建築家が他人の住居に、住民が望んでもいない自分の意見を通すことは創造力不足だ。寒い地方での家は命に関わるもの。創造とは住民が望む心地良い住まいを工夫して提示することだ。