●仕事
トイレにあるガラス容器に入れたポトス。
何年と水だけで
新しい葉を出すから不思議だ。
実際は水と空気と日光だろう。
動物は植物を食って育つ。
我々が育つ大元は
水と空気と日光ということになる。
私の仕事は
水をきれいにしたり
新鮮な空気を入れたり
明るい光を注いだり
*個展案内
もりわじん個展『幸福感』
2021年 4/29〜5/9
場所:東京谷中・猫町ギャラリー1F
●仕事
トイレにあるガラス容器に入れたポトス。
何年と水だけで
新しい葉を出すから不思議だ。
実際は水と空気と日光だろう。
動物は植物を食って育つ。
我々が育つ大元は
水と空気と日光ということになる。
私の仕事は
水をきれいにしたり
新鮮な空気を入れたり
明るい光を注いだり
*個展案内
もりわじん個展『幸福感』
2021年 4/29〜5/9
場所:東京谷中・猫町ギャラリー1F
●個展初日
今日から個展が始まりました。
よろしくです。
『幸福感』
2021年 4/29〜5/9
場所:東京谷中・猫町ギャラリー
写真:阿修羅をなだめるためにショートケーキ(笑と景気)を与えているところ
●感謝
マッピョは寝たきりで、自分ではもう何もできなくなっていて、数日間、スポイトで栄養水をやっていた。昨日は僕の顔をみて無音でニャーと泣いた。なぜか解らないがめちゃくちゃ可愛く感じた。
昨夜、夜中の一時に亡くなった。
今日の午後、マッピョの母猫であるアニニョンの入っている隣を、柄の曲がったツルハシで穴を掘った。このツルハシは亡き父からもらったもの。僕は多くの人から大事なものは全て与えられて生きているのに、何も返してないようだ。
動物は自己中心だという。生きている間は確かにそう見えるが、果たしてそうだろうか? ペットの短い一生、全身全霊をかけての人間への癒し、食とされる動物の濁りのない命の犠牲、これらに自己中心などは微塵もない。人間こそ自己中心だろう。動物から本当の幸せを学ぶために人間は知能があるのだと思う。その知能を自己の際限の無い欲求のためだけに使っている。これを幸せと勘違いしている。それでは決して満たされることはないのに。
掘った穴にマッピョを入れ、土を被せた瞬間に、己の我という堰が切れたように感情が迸る。人間は生まれてから自己の欲求のためにガツガツ生きて、そして何も理解せず不満で苦しんで惨めに死ぬだけなら、自己犠牲を厭わない動物以下である、動物から学ぶべきだろう、奪うだけでなく、奪う以上に与えなければならない。
墓をきれいにして、庭に咲く花々を散りばめ、手を合わした。
あんなことやこんなこと、楽しかったね。
あんこともこんなこともしてしまって、ごめんね。
あんなこともこんなこともしてくれて、ありがとう。
●瞑想
コロナ前は「動かねば」「やらねば」のような志向が主流だった。
コロナ禍になって、中央は「動くな」とも「するな」とも命令できない。
現代は脱中心化がいい意味で作用したようで多様な意見がある。
そこで動きたい者は動くだろうし、したい者はするだろう。
しかし基本は動かなくていいし、しなくていい。
だから主流は『ねば』ではなく、
このような『しなくていい』志向が認知されたことは面白い。
なぜなら人の目を気にせずに思う存分に瞑想できるからだ。
瞑想とは無思考で行為そのものと一体化するようなもの。
ワシにとっては
粘土いじりも絵付けも
『わ』の考察も庭いじりも猫の介護も
全て瞑想が底辺にある。
ある意味、人類はやっと『やらねば』から
瞑想の時代に入ったのではなかろうか?
だがこれを壊そうと過去帰りする
欲望を加速過度化した考えが
あいも変わらず隠れた主流だから
実際はどうなるか解らない…
*写真:個展のDM作品の表と横と裏。
明後日から始まります。
もりわじん個展『幸福感』
2021年 4/29〜5/9
場所:東京谷中・猫町ギャラリー
●草刈り
今年初草刈りをする。
「どうせやらなければいけないなら楽しまなければならない」という発言をテレビで言ってたけど、違うね。そんなふうに思うのは草刈りの良さを知らない、もしくはイヤな仕事だと決め付けているからである。知らないからと言って、自分中心の考えに寄せて回答するのは高慢である。それがこのセリフの問題であり、今の社会の問題でもある。自己中心思考があるからそこから分断が生じ差別が意識に定着する。このような思考が周辺の豊かさを覆い隠している。本来日常の生活の行いに良し悪しなどない。あるなら考えが偏っているのである。
草刈りには他では味わえない瞑想がある。やっているうちに迷いは失せる。迷いとは草刈りを嫌がるような悩みや迷いではなく、人間の内奥にある葛藤の迷いである。これが消えるのだから他に喩えようがないくらい楽しい、だからやるのである。
●発送
作品を梱包発送。
終わったぞー!
どっと疲れました。
今回は全部一点ものです。
昔のものから新作まで様々。
なるべく似てないものを選びました。
絵もあります。
こういう個展は初めてかも。
一点一点じっくり眺めて楽しんでください
*個展案内
もりわじん個展『幸福感』
2021年 4/29〜5/9
場所:東京都台東区谷中2-6-24・猫町ギャラリー1F
●『ぱぱに』と『ままに』
新作の絵付けが面白い。
毎回、これまでの自分でない新作に挑戦してきたが、
いつも納得がゆかなかった。
今回は未知未知していて楽しい。
豊饒の海にいるような気分。
もしくは宇宙目指して飛んでいるような気分。
平面の”完全な『わ』”ぐらい完全に納得している。
タイトルは『ぱぱに』と『ままに』の2通り。
十数点個展に出します。
ネットに写真を出すのはやめていたが、
調子いいので一点だけ出しちゃいます。
写真は『ままに』です。
*個展案内
もりわじん個展『幸福感』
2021年 4/29〜5/9
場所:東京谷中・猫町ギャラリー1F
●ヤジロベー
端午の節句の金太郎のマサカリをつくる。
刃は焼き物で柄は竹で
手で握る部分に金糸を巻いた。
半日かかってしまった。
作業は楽しいが効率が悪い。
時間で言えば
楽しい=『遅い』、
効率良い=『速い』で表現できる。
しかしあまりに効率が悪いと
作業がつまらなくなる。
速くしたり遅くしたりと
まるでヤジロベーだ。
これまで何十年と
ヤジロベーをやってきたように思う。
ところでヤジロベーの玩具は
形態から『不』の文字で表わせる。
つまり速いとか遅いを打ち消すことが
良いバランスなのだろう。
●大丈夫
庭で広がりすぎていたウドを
庭の三箇所に分けて移植する。
芽が出ていたので採る。
ウルイの芽も出ていた。
こういう山菜は
全く手をかけなくても
勝手に庭で繁殖している。
非常に丈夫だから
丈夫を食うことになる。
結果、ワシは大丈夫になる。
●鳥獣保護法
巣から鳥のヒナが落ちて、親鳥も知らんぷりな時、『心ある良い輩』は可哀想になって家で育てたりする。でも野生の動物を飼ってはいけないような法律があるらしく、育てるなら許可をもらわなければならない。
法律とはおかしなものだ。野生動物を勝手に捕まえて食したり売ったり虐めたりする『心ない良からぬ輩』がいるからこのような法律ができる。法律とは一番底辺の『心ない良からぬ輩』に合わせてできている。
『心ある良い輩』にとっては自己の行動をいちいち一番底辺の法律に照らし合わせてやるのは心地よくない。だから黙って育てるのだが、本来動物と一体化してすっきり幸せな関係なのに、心の隅に社会の規律を無視したというわだかまりが残る。他人はこのような状況を理解しているので、見て見ぬ振りするのだが、自己の意見や行動を法律に支配された頑なな人によって『心ある良い輩』は罰せられる。法律とは『心ない良からぬ輩』の行為を正し『心ある良い輩』にするはずのものだ。だから『心ある良い輩』を法律に照らし合わせることは必要ないはず。
控えめで『心ある良い輩』は法律に照らし合わせた行動など偽善者のようで気が沈む。控えめさ故、いつの間にか巣から落ちたヒナを無視するようになる。そのうち動物に関係なく可哀想な惨状があるようなところには行かず触れず見ず聞かず避け無感情化する。結局『心ある良い輩』の心は失せ、『良からぬことはしない心ない輩』と化する。これで世間には『心ない良からぬ輩』と『良からぬことはしない心ない輩』だけになってしまう。
人は自分で自分の心を知らぬうちに捨ててしまっているのだ。思考である心は捨てて無心でいいが、ハートである心は捨てるべきでないと思う。
●崖崩れ
川向こうでは崖崩れの土木工事。
一年以上前から崩れていて、
去年の夏の大雨で
遊歩道も歩けないぐらいひどくなった。
うちの庭の一部に崖崩れがあるので、
一体どうやって直すのか興味津々
毎日見ている。
●Gold
黄金を考察。
黄金はいろんな独特な特性があるから希少価値であることは確かだ。僕が興味深いと思うのは黄金の『色』だ。黄金は最も波長の大きい赤色を反射し、青色を吸収するという。赤色の外には赤外線、その外にテレビや短波やFMなどの放送できる波長がある。逆に波長の短い青色の外には紫、もっと外には紫外線、その外にはx線、γ線、宇宙線がある。赤色を反射し青色を吸収するということは、宇宙を入れて情報を出しているような気がする。また青色を吸収するというのは青い空を吸い込んで赤い血を出す、つまり生命を育てるように感じた。
まとめると、黄金は空を吸って色を生成する。『色即是空』を表現しているのかもしれない。ならば色即是空を知って自ら黄金に輝けばいい。
*個展案内
もりわじん個展『幸福感』
2021年 4/29〜5/9
場所:東京谷中・猫町ギャラリー
●個展
もりわじん個展『幸福感』
「朝の風景が好きだ。朝の目覚めはとても大事だ。朝は幸福感で満たされている。一日は一生かもしれない。朝が爽快なら一生爽快だ。もし朝が気不味ければ一生気不味い。もし朝を嫌うなら一生を嫌うことになる」
2021年 4/29〜5/9
東京谷中の猫町ギャラリーです。
今年はコロナ禍で僕は在廊致しません
今回のメリットは僕がいないので静かに鑑賞できます。
これまでのタイプ(写真)と思いも寄らない新作を展示します。
現場で御堪能くだされ。
では皆さん幸福感に包まれますように。
●思考
『思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから』
この格言を知った時、『わ』になっている言葉だなぁと思った。この格言は誰の言葉かわからないから尚深みがある。他人や自分の思考は見えないから、発した言葉や文字からその人の思考を読み取ることになる。ここで思うのは、ネット内での言葉が独り善がりだったり、汚かったり、悪口だったり、攻撃的だったり、自虐的だったり、毒舌だったり、そのような言葉からその人のお里が簡単にわかってしまう。その人の言葉の裏にある内面の気を付けてない思考が露わになるということだ。まだまだ未知の自分を言葉で汚してはもったいないとつくづく思う。注意しても言論の自由だし、自己主張激しいし、内面を見る事の恐怖から吠える犬のようになるので注意もできない。そんな時にこの格言が当を得ていると感じる。そういや自分もそうだったと思い、今更ながら言葉に気をつけるようにしている。この格言を思考の底辺に置いたら、いい運命になるかもね。
●瞑想
京都で10日間、ヴィパッサナー瞑想を経験した女子がやってきた。
それってどんなことをするのか聞いたら
「10日間、他人と会話しない、目を合わせない、本やスマホなど見ない、ほぼじっとしている」
実に素晴らしい体験だと思った。これらは情報を遮断し何も思わないことだ。
『思う』ということは悩むということだ。悩んでいるから情報を求める。悩んでいる者がよく語るし、人の目を気にするし、情報を漁るし、モノを作るし、行動する。生きている限りみんな悩んでいる。だから悩みを捨てたいと思う。思わなければ悩みはないはずだ。『思う』の究極の目標は『思わない』なのだ。それをやってきた彼女は究極の目標の達成感や満足感を目の当たりにし、思う事の嘘を暴く正見を得たのだ。
彼女はこの瞑想体験が心底良かったようで、皆にもこの経験を与えたいらしく瞑想教室をいつか開きたいと言っていた。
●植物
猫を飼っているからこそ
猫から学ぶところが
すこぶる多い。
ところで猫や他の動物は
人間に近い生物だが
植物は遠い。
人間は高いところや遠いところ
深いところなどに興味があるから
遠い存在は必要だ。
とりあえず
身近で遠い植物からの学びが重要だ。
人間は植物を食べるだけでなく
植物の持つ知恵を
これまで以上に
取り入れねばならないと思う。
春だし、
木々をよく観察しようと思う。
●ケアcare
いいものはケアがあると思った。デビットリンチのブルーベルベットが好きで、よくサントラ盤を聴く。最近感じるのは、この映画にはケアがある。そして大抵どんなに気持ち悪かろうが、どんなに狂っていようが、どんなに暗かろうが、どんなに冷めていようが、映画や音楽、絵にしてもいいものにはみなケアがあるように思う。ケアとはハートだろう。救われないものでは無いということだ。僕がいいと感じるものだけど。
●バカ
春ですね。
若い頃はよくバカをやった。
青年期を過ぎ、
バカをすることが
バカらしくなってきた。
そこでバカになることにした。
バカになっていると
心地よい風が吹いて
心が広がる。
あ〜
もう考えられない。
●なごり雪
今朝は村の道掃除。
写真は玄関側のなごり雪(写真右)。
ところでつくしを食べていて思った。
これってスギナの花なの?
色々調べてみた。
つくしの先にある緑色の粉は
花粉ではなく胞子だった。
この胞子にはオスとメスがあるという。
胞子は4本の腕を広げ
風に乗って遠くまで飛んで落ちる。
水があるとメスの卵子に
オスの精子が泳いでいって受精する。
そこから新しいスギナが出る。
何それ!
●魂
歳を取ると、気持ちは20代とか30代とか言うことがある。
若い時代がさも良さげで年取ったらよくないような考えだ。
ある意味謙虚でいいが、どの時代もいいに決まっている。
なぜなら『三つ子の魂百まで』と言うように、
いつだって魂は変わりないのだ。
●メガソーラー
隣村にメガソーラーを作ろうとして、反対の声が上がった。ここだけでなく隣の県や全国至る所であるようだ。原発以外の自然エネルギーだから良いと思っているのだろうか?
大体他の国と違って日本は森林が豊かだ。この恵みははるかに多く、他国にない文化や食や風景を生み出している。何かやるのに、砂と石だらけの一神教パラダイムの他所の国のマネしても始まらない。とりあえずこちらはどこにもないアニメ盛んなアニミズム文化を持つ、惑星も衛星も空気も森林も川も動植物も微生物も菌も八百万の神々が大宴会している国なのだ。森林伐採して山を削れば保水能力はなくなり、大雨が降れば地滑りや土砂崩れ、洪水が多発する。それに豪雪地帯だからそんなペランペランのソーラーすぐに潰れるし、雪で埋もれて電気どころでない。誰がどうやって雪掻きするの?
前に出羽三山のところに風力発電を作ろうとして反対され中止になった。当たり前のことだ。作る方がちゃんと地域のことを解ってないといけないのに、他所もんがやったりしている。人は今の思考では、みなエゴイストだから、自分のところさえ良ければいいわけで、他所の北国なんか金にさえなれば、そこに住む人がどうなろうと考えず、金が一番と御託並べて金で釣る。住民も金さえあれば豊かになる、ダメならどこかに引っ越せばいいと将来は考えない。どこに引っ越しても問題ありなのに。
ところで昨今は、いくら洪水や原発やコロナの死者が少ないとしても、そのうすら気色の悪い不安はストレスを増大させ、気持ちを消極的にしてしまう。危機感と感性を持った心ある人々の「地球」を考えている気分を落ち込ませる。その対極として、お金をかけたスポーツ祭りで盛り上がろうとするが、それは今のところ、宗教や哲学や文学などに興味のない、傲慢に物事を押し通す、「地球」ではなく「金球」嗜好の、不安などあまり気にしない図太い神経の者共の賑やかなグループパーティでしかない。
喩えれば、大木の地中の根とは、感性豊かで深く掘り下げる哲学や芸術の人々だ。地上の高みを目指す幹や枝、華やかな花、美味しい実が科学技術や実業、政治や経済などだ。地中の根が弱くなったら、地上の枝は枯れ、花も咲かない、実も成らない。ミツバチも鳥もこない。根と実は繋がっているのだ。地上の枝や実には、根が地下深くにあるから見えないだけなのだ。見えないから無いわけではない、要らないわけでもない。根を大事にしないと、木はそのうち完全に枯れる。地球や人類の根を研究しているまだ日の目を浴びてない多くの研究者がいるはずだ。なんでも根があれば復活できる。だから根は重要だ。「金球」という造花、それは生きてない。やはり生きるには「地球」なのだ。
●礼儀
真っ黒い猫の名前はヨゾ。
外好きなので、昔はほぼ庭で暮らしていたが、
最近は年取ったのもあり、昼だけ庭で暮らす。
ヨゾ用の餌の皿を畑に置いたまま忘れていた。
チョコがネズミを咥えて畑にやってきて、
ネズミを皿の上に載せた。
礼儀正しい子じゃ!
●リア充
昨日は枝運びで疲れて身体が熱って寝付けず、掛け布団をはだけて、叫びたいほど寝苦しく、そのまま早朝、トイレに行ったらイゴの下痢があって踏みそうになり、片付けていたら、そこら中に下痢を発見。イゴが足に付けたまま歩き回ったようだ。これを拭き取るが、乾いているのでなかなか落ちない。様子を見かねたSSも起きてきて拭き取る。拭き取っていたらゲロ発見で、いつものイゴのゲロかと思ったら、下半身が動きにくくなって介護のマッピョの激しいゲロ。完全に起きて、薪ストーブに火を入れ湯を沸かす。ラジオ体操をして、いつものように掃除機をかけ、長靴に履き替え雑巾二つを踏みながら、全ての床を雑巾掛け。汗をかいたので上半身裸。猫どもが座っていた座布団に下痢発見、毛あり。座布団を庭に出して、手に水をつけながら毛を擦りとり、日干しにする。家の中の植物に水をあげ、金魚とメダカに餌をやり数を確かめる。よし、みんな生きている。まったくなぁとため息をつく。しかしこれぞリアルに充実している朝食前と思ったら、気分も悪くない。
写真:午後、昨日運んだ枝をナタでカット。
●土筆
玄関側の雪も99%無くなった。
雪害で折れた桜や紅葉などの枝を運ぶ。
これらを細かく切って薪にするのだ。
どっと疲れた、1万歩。
途中土筆に出会う。
緑色の粉のついたものを
少しだけ採って
酒のつまみ。
写真:袴を取っているところ。
●環境
昨日の絵日記に猫の状態が悪いことを書いたら、お医者さんに診せましたか? というコメントがあった。ワシがよほど悪い人間にでも見えたのだろうか。ちゃんと面倒見れるSSだっているし。
そこで猫作家で猫の家まで建てたのだから、猫に対しては少しは良きことを考えていることを知らせたいと思う。
猫が病気なら医者に診せるのは当然だが、それが一番ではない。その前の未病がもっとも大事だ。つまり生活環境が大事なのだ。イゴは東京の谷中生まれの18歳だ。都会っ子なのだ。でも大自然が好きで、毎日のように庭に出て陽射しや風に当たっている。だから幸せな猫だ。
死はいづれやってくる。猫にもよるが、人間の都合で狭い部屋で猫を飼っているのはあまり良いとは言えない。猫は人間用の精神安定剤ではない。そういうところを直そうとしないから、この社会は自己愛は強いが、間合い(間が愛)がないと昨日は言ったのだ。つまり自然界は慈悲深く、この人間社会はまだまだ慈悲深くないと言いたい。世の中は変化しているから今の社会も今の考えも正しいわけではない。そのズレに気付いて、動物と植物が互いに深呼吸できる環境にしてゆくことだろうと思う。
写真:今日は久しぶりの雨。雪もなくなり、草も生えている。黄色いのがサンシュユ、他の木々の芽が膨らんでいます。
●間合い
イゴが吐いて下痢してしっこを垂れ流す。ヤバイ感じだ。しばらく瞳孔開いて口を開けゼイゼイしている。その間、他の猫はというと我関せず、欠伸して興味なし。同じ仲間が瀕死なのに無慈悲といえば無慈悲だ。
動物は無慈悲なのだろうか?
動植物が生きていられるのは自然が慈悲深いからだと思う。動物はその慈悲深い自然に逆らわず包まれているからこそ無慈悲に見えることでも実は慈悲の範疇だと思う。
それでは人間はといえば、何もかも自然を模倣し奪取しながら、自然から脱しようとしている。ならば自然に変わって無慈悲でない社会を作らねばならない。今のところその慈悲深い社会はAIを巨大にしても遥かに遠い。動物は精巧なロボットではないし、社会も工場や機械ではない。慈悲はAIなどのデジタルとは違うものだ。なぜならデジタルとはポツポツした間合いを埋めたがる端と端の点の集合だ。慈悲とは端と端などない間合いである。私が愛するでも、私が愛されたいでもない、間が愛である。
写真:イゴとチョコ
●差別
なぜ人は差別するのか?
差別して戦って、力で勝った者のところには、人は力で圧力受けると思い近づかない。スポーツと違って尊敬されないから、勝っても孤立する。勝てば寂しい、負ければ悔しい。みんな違うのだから差別に意味はない。
差別とは孤立、『個々がバラバラになる』ものである。ならば孤立しないように同じ差別意識の仲間を集める。でもそれは大きな間違いだ。バラバラが基本の人を集めて集団を作るにはどうにか結束しておかなければならない。バラバラを結束させるには差別理論を構築する。他に結束させるには現金、もしくは未来の大金への期待が必要になってくる。しかし金が無くなったら元のバラバラだ。
ところで差別してバラバラをやっているのに結束したいというのは、実はバラバラが嫌いということだろう。なのに差別するのだから、本人の内部もバラバラだ。差別意識は確実にその本人をバラバラに蝕んでいる。気をつけるべきだ。
バラバラが嫌いということは、人の基本は無差別ということになる。だったら無差別のままいればいい。差別の思考を一旦全部捨てればいい。