●猫寺
招き猫作品の中にはおみくじやお札などがある。私のアートは寺から習い寺を模している。そして猫の家を建てた。この猫の中で招き猫が作られ世に広がっている。ここで毎朝坐禅しているし、ここは猫寺だろう。私は修行の身だね。
2025年1月31日金曜日
[8697] 猫寺
2025年1月30日木曜日
[8696] 猫如来
●猫如来
猫は十二支から見捨てられても、招き猫として頑張った。招き猫は長年に渡って人々を仏の世界に招いた。そしてとうとう長野県の瑠璃寺に猫の薬師如来として祀られた。猫は悟ってホトケになったのだ。ちなみにホトケとはありとあらゆる全てだ。猫でさえ悟れたのだから智慧のある人間が悟れないわけがない。頑張れ人間! 目的をちゃんと定めないとあっちこっちと奔走して疲れますよ。目的はホトケね。
2025年1月29日水曜日
[8695] 猫に小判
●猫に小判
『猫に小判』という諺の新解釈。
一般的には「価値のわからないものにとっては何の値打ちもない」という意味だ。
さて長年猫作り続けた私の考察。小判はお金だ。猫にお金を見せても何も興味がないのは猫は心がまっさらだからだ。人はお金はあればあるだけいいとか言う。しかし物事には必ず表裏がある。だからお金で得る安心の裏には心配がある。安心のために持ったお金が心配を増やす。終いにはいつも金金金で、心にお金がこびりつく。こうなると我利我利亡者だ。
『猫に小判』とは猫はお金から自由という意味だ。お金が頭にこびりついている人間が自由な猫に癒やされるわけだ。頭にこびりついた汚れ、お金や様々な考えを取り除きまっさらになること。まっさらになる方法を頭で考えても、今度はその考えが頭にこびりつく。だから考えても無理。そこでまっさらな坐禅ですよ。猫もよくじっと坐って外眺めているじゃない。いつも新鮮で何もこびりついていないのよ。
2025年1月28日火曜日
[8694] Cat アートフェスタ
●Cat アートフェスタ
第21回 Cat アートフェスタ
場所:丸善丸の内本店 4Fギャラリー
Part1 2月5日から10日
Part2 2月11日から18日
Part3 2月19日から24日
私はpart1で展示します。
21年もやっているんですな。
猫仲間もたくさん増えました。
よろしくです。
2025年1月27日月曜日
[8693] 新作と本物
●新作と本物
個展の依頼。
「新作でお願い」だった。
社会はどんどん新しいものを求める。
「社会に流されろ」って感じだね。
でもね、時代は新しくなるけど
私は去年より今年、今年より来年、
どんどん古くなる。
それに世の中の新し主義・進歩主義は
私の能力を枯渇させるような気がしないでもない。
そこで「新作ではなく本物を展示します」と答えた。
2025年1月26日日曜日
2025年1月25日土曜日
[8691] 十二支と猫
●十二支と猫
『なぜ十二支に猫がいない?』
一般的な答えはネズミに猫が騙された話で、猫がネズミを追いかけるわけでもある。長年招き猫を創作してきた私は違う考えに行き着いた。
十二支たちは十二神将になって仏を守っている。つまり自然界の動物がそれぞれの特技で親とも言える大自然を人間の我欲から守っている。
猫はネズミに騙され十二神将になれなかったが、それはそれでよしとし、寛大にもネズミを赦し(たまには追いかけるが)、猫は猫ならではの新しい仕事を見つけた。それが招き猫だ。外に出て多くの人々を福である仏のところに招く仕事なのだ。
福とは招き猫のように人々のために自分を忘れることだ。
2025年1月24日金曜日
[8690] 両面
●両面
冬が終わったように日が照っている。
世間では「驕れるもの久しからず」が。
日が当たるということは影も明確だ。
でかいビル建てれば周りに影を作る。
浮ついていること自体が落ちているのだ。
コインは両面で一つなのに
人は片面だけを追い求める。
内省が大事です。
*驕る:
自分の才能・家柄・地位・財産等に得意になり、
それをたのみとして勝手なふるまいをする。
2025年1月23日木曜日
[8689] 気になる
●気になる
静かな薄暗がりで壁を見て坐禅をしている。足や手の位置、服など些細な乱れやズレが気になる(でも放っとく)。これと同じように社会や環境の気になるところが見えてくる(同じく放っとく)。普段は気にしないようなところでも極々細かいところまで気になってくる(あいも変わらず放っとく)。気になるのはマトモがあるからで、それも気になる一つだと気づく(正円が楕円の一つ、だから放っとく)。内も外も何もかもが気になるから遂には何も気にならなくなる(それも放っとく)。
2025年1月22日水曜日
2025年1月21日火曜日
[8687] 渋柿
●渋柿
隣の畑に放置された渋柿を2個拝借し冷凍庫に入れておく。数日後、ほぼ渋が抜けてめちゃくちゃ甘い。鳥に食われなければ食には困らないなぁとほくそ笑む。
渋を抜くというが、真実は渋いが甘いに変化するのだ。渋は嫌うべきものではない。渋いが甘いなのだ。渋いを甘いに変化させるのに干し柿がある。陽に当てるだけでなく風にも月にも当てる。そうやって変化する。人間も渋かろうが暗かろうが別に嫌わず、外の空気にでも当たれば、その渋さ暗さが味わい深いものになる。
写真:バエ料理などとは反対のジミ料理を提唱するあずささん。「アクは美味しさ」と言う。渋柿と同じで話が弾んだ。
2025年1月20日月曜日
[8686] 老人と赤子
●老人と赤子
歳をとるといろいろ忘れる。
ボケたなぁとか年取ったなぁとか思うのは
若い脳をベストとして考えているせいだ。
ボケるのは上っ面の知識がぺりぺり剥がされ、
忘れることによって元々を思い出しているのだ。
年齢とともに余計な汚れが落ちているのよ。
老人が赤子に還る謂れもこれですね。
2025年1月19日日曜日
[8685] 花粉症
●花粉症
花粉症対策には『フキノトウを食べる』&『毎朝の部屋の掃除』だ。
これでSSは花粉症を治した。
原理は『人は自然に生かされている』ってこと。自然には暗い夜があるけど明るい朝は訪れる。寒い冬はあるが暑い夏もある。自然は二元のバランスがいい。動物を困らす植物の花粉があれば癒す植物だってある筈だ。それが雪が消え春の初めに出てくるフキノトウだ。クマは冬眠から覚めて最初に食うのがフキノトウらしい。フキノトウは春に決起盛んになる植物のエネルギーを動物がまともに受けても大丈夫なように出てくる植物なのだろう。植物にとって動物がいることが大事だから動植物同士のバランスだと思う。
次は毎朝の部屋の掃除ね。これは花粉を掃除するという意味ではない。『飛ぶ鳥跡を濁さず』という諺がある。鳥を見習うこと。つまり自分のいた形跡を残さない。これは己の命を守るためだ。自然は厳しいのだ。だから毎日自分の形跡を消す、これが掃除。この掃除がルーティンになって苦にならなくなってきたら身体が整う。どうぞ掃除して花粉症など治してくださいな。
2025年1月18日土曜日
[8684] 恩恵
●恩恵
昨晩は今季最高の雪が降った。
雪掻きが面倒な気持ちの人からすれば、そりゃあ面倒な作業だ。
しかしこんなのは自然からいただいた恩恵からみれば、ほんの些細なことだ。
ここがAI未来都市になろうが、みんな自然から生まれ自然に還る。
自然に生かされていない人間は一人もいない。
少しぐらいは汗水流して恩を返しておかないとバチが当たる。