●天照大神
玉切り。
雨が降っているかのように汗をかく。
1リットルなんてもんじゃない。
からっからの空っぽ。
もはや身体は雲ひとつない快晴。
こうやって汗をかき
人は天照大神になる。
そして恵雨が降る。
●天照大神
玉切り。
雨が降っているかのように汗をかく。
1リットルなんてもんじゃない。
からっからの空っぽ。
もはや身体は雲ひとつない快晴。
こうやって汗をかき
人は天照大神になる。
そして恵雨が降る。
●チョキ
じゃんけんはチョキしか出さない。
勝ち負けに興味はないからだ。
グーパーは猫でも出せる。
チョキは私が出しているのだ。
(あいつはチョキしかださねぇから絶対勝てるよ)
そんなふうに思う奴にはパーを出す。
不自由ではないのだ。
ただ勝ち負けを気にしないだけだ。
●瀬見温泉
●今
「今を生きる」とはすっきりした肯定的な意見だ。
同じ「今を生きる」でも
「未来や過去に拘らない」は否定が入る。
物事には肯定と否定の二つの視点があるわけだ。
ところで肯定はすっきりしていて良いけど
すっきり明るいってのが怪しい。
それは「今を生きる」という肯定は、
今ではなく過去に考え出されたものなのだ。
つまり頭は今を生きてないのだ。
人は肯定に騙される。
ついでに人は終わった過去に誑かされている。
●Zin
新しい作品集の初校が届いた。
タイトルは『坐』です。
作品点数56点とそれぞれに短い坐禅エッセイ。
今回は名前を「WaZin」にしたらどうだろう?
意味は「和(Wa)とは、坐禅(Z)に入る(in)」
しかしちょっと意味付けがしつこいので
いつもの『もりわじん』にします。
いい作品集になりそうです。
板東さん、いいデザインです、ありがとう。
●呼吸
呼吸は空気を吸って吐く。
これに乗って音声が出る。
いろんな音声の組み合わせが言葉になる。
そして意味になって『私』が作られ、
私の思考になって概念になって喋る笑う怒る泣く歌う。
そして概念が剥がされホーミーにビートボックス。
言葉は文字になって見て読んで脳に盛られる。
源は静かな呼吸、坐禅だ。
●楽
今日は藤原くんにペリペリ画の撮影をしてもらう。
***************
有ることばっか考えては無くなる恐怖がある。
だから有るが恐怖。
そして無いものを怖がる。
忘れてみればわかる。
無いって楽。
●未発達
チョコを見て思った。
私のところにこれまで何人か若者が弟子になりたいとやってきた。どれもこれも社会からあぶれちゃった未発達役立たずの輩だ。可愛いければ猫みたいでいいのだが、猫と違って、アートの面白さと過酷な厳しさに挟み撃ちにされちゃって、心身ともに疲弊し、みんなやめていった。多分、誰がここにやってきても同じだろう。みんな似たり寄ったり未発達。社会で役立っているような多くの人たちもある意味未発達だと思う。社会では便利なものや戦争道具は発達したように見えるが、動物園の檻がハイテクになっただけのようなもの。チンパ達がやっていることは餌の奪い合いと現実逃避のお伽噺ばかり。バベルの塔のように檻の知識を積み重ねても住んでいる人間は未発達なのだ。今からでも諦めず自らが追い求めるバベルの塔の情報は見猿聞か猿言わ猿。無罣礙。
●べリッ!
べリッ!
何事?
庭で朝食後に本を読んでいた。風が吹いている。最上川にはカルガモが3羽、2日前までは子ガモが1羽いたのに。去年隣のさくらんぼ畑のおじさんが高所作業機から落ちて背骨を折った。入院手術したが平気で上る。またかと思ったが、昨日でさくらんぼ取りは終わった。
家に入ろうと、本を閉じ、立ち上がって左に薪棚、見たら屋根が吹っ飛んでいた。
近づいて触ったら、8割方劣化。修理ですね。
●にゃんにゃん心境
伊勢から仕事の打ち合わせで来月幸田さんがやってくる。楽しみだ。ところで山形初めてかなと思っていたが2016年に来ている。ほんといろんなことを忘れてしまう。この年は文画集『雨にまけるわけがない』を制作した年だ。絵日記見て記憶を掘り起こしてたら『ニャンニャン心境』を発見。最近の人は人類最高の叡智である『般若心経』を知らない。しかしワシがこんなふざけた文章を書いているからいけないのかも。これからはもう少し真剣に取り組もうと思った。とりあえず8年前の文章です。
◎ニャンニャン心境
『がんじがらめの大人共よ、子供心を思いだそう。雨が心地良かった『雨にまけるわけがない』感覚を思い出そう。男も女も裸になって、雨や風で遊んでみよう。屁理屈いいから、恥ずかしがらないで、ほらほら、脱いで、脱いで。キャーって(羯諦)、キャーって(羯諦)、腹出してキャーって(波羅羯諦)、腹反ってキャーって(波羅僧羯諦)、棒も輪っかも(菩提薩婆訶)、ニャンニャン心境(般若心経)』
*「棒も輪っかも」ってのが偶然ながらスゴイなぁ!