●暮らし
思い通りにゆかない世を
思いの他笑って暮らそう
ホトトギスギスしないで
2025年2月28日金曜日
2025年2月27日木曜日
2025年2月26日水曜日
[8723] 雪掻き
●雪掻き
今朝は雨だった。もう今季の雪掻きは終わったね。この先降っても勝手に溶けるだろう。春の陽気になってきたのか、とても眠い。
よく人は雪掻きが大変だと言うが、やったことのない人間にこの神妙さはわからない。やっている人でも大変だ辛いと言うけど、よそ見(楽という妄想)しているからそう思う。人間の考えなど自分の楽しか興味がないエゴの世界だからね。
私にとって雪掻きは庭造りの1ページ。絵と同じでオレの手で作らなければ面白くない。それに渓声山色です。大自然は悟っていて人間の無知さをいろいろ教えてくれる。これが最も大事だ。そこから生まれ、そこに還るんだし、生きていること自体が雪掻きなのだ。
2025年2月25日火曜日
2025年2月24日月曜日
[8721] 流行り廃れ
●流行り廃れ
20代、上の世代の流行に飽きて今の種を蒔く。
30代、芽が出て花が咲く。
40代、実を結び流行る。
50代、実は地面に落ちる。
60代、流行りは廃れ土になる。
私らの50代の頃、
下の40代が実を結び流行っている。
下の下の30代が花を咲かせている。
下の下の下の20代が新しい種を蒔いている。
2025年2月23日日曜日
[8720] 無常観
●無常観
5月予定だった香港での『もりわじん美術館』イベントがまたまた延期? どうなるんだろうね。ところで企画者はwikiにもいないレアなほぼ無名の私を発見した香港の若者だ。私の作品に何かを感じたのだろうと思うけど、言葉抜きで見た目だけで感じるって何だろうね?
考察してみた。私はこれまで身の丈を超えるような展示会をしてきた。その一つ一つが自分の栄養になっているが展示会を過ぎるとそれらは忘れ去られる。大したことなかったものとなる。無常観を覚えると同時に欲が欲を生みもっと大したことをしたくなる。そこで初心に還る坐禅に向かわせたのだろう。香港の若者は我欲の奥にある無常観に触れたのではなかろうか。それでも若者はいろんなことに挑戦して頑張ってほしい。
添付写真:昨日2月22日は猫の日で瑠璃寺にたくさんの人。薬師猫神の御朱印が人気だったらしい。
2025年2月22日土曜日
[8719] 採金先生
●採金先生
中国の企画者さんから手紙が来た。
私の作品について書いてあった。
「ユーモラスで生き生きとしてとても元気でみんなに好かれています」
中国の猫ファンの間で、私は『採金先生』と呼ばれているらしい。
『もりわじん』という名前の発音がそれらしいのだ。
細菌やバイ菌でなくてよかったさ。
私というものがところ変わればまるで違った印象を持たれている。
自分のイメージだけで物事を決めつけてはいけないなぁと思った。
世界は広い。
2025年2月21日金曜日
2025年2月20日木曜日
[8717] 相互依存関係
●相互依存関係
例えば
上があるから下がある。
下があるから上がある。
上だけというものはない。
無重力から考察すれば簡単だ。
上下は妄想で相互依存関係だ。
上下などどうでもいい中道を知れば
重力の思考から無重力へ目が覚める。
依存が過ぎれば依存症で対不安が増大する。
大昔、人は裸をやめて服依存。代わりに毛がなくなった。
親依存、友達依存、集団依存、愛依存、神依存。代わりに自分を見失う。
言葉依存、情報依存、ネット依存、AI依存。代わりに頭が足りなくなる。
草間彌生は中道を歩み服依存から脱し裸で水玉細胞剥き出しのまま街を走った。
2025年2月19日水曜日
[8716] 依存
●依存
家族とか友達とか同級生とか仲間とか
一期一会が美しいのに
それらに依存すれば縛る言葉になる。
息苦しくなる。
私にとっての
家族は庭の木々、友達は川、
同級生は地面、仲間は空だ。
これらは依存ではなく
黙っていても私を支えてくれる。
2025年2月18日火曜日
[8715] テレビとSNS
●テレビとSNS
若い頃、テレビに個展情報が流れれば大勢のお客さんが来た。大抵人はテレビを見ているのでテレビが情報の中心だ。表現者はテレビに出たがる。そして表現者はテレビ局のある都市に住みたがる。今はネット情報を見る人が多い。だから表現者の中心はテレビや都市ではなく表現者そのものだ。もしくは表現者の住む地域だ。よくよく考えてみればテレビやネットに関係なくいつだって表現すべき新鮮なものは自分の頭の中の既成情報にではなく自分の足元から育つ。
2025年2月17日月曜日
2025年2月16日日曜日
[8713] 覚悟
●覚悟
覚悟がないんだと思う。覚悟ってのは文字の通り「覚り悟る」と書く。死に物狂いで生きるような感じかな。これがなければいくらたくさん理屈を並べても概念が概念を作るだけで作り物の域を出ない。得しようと社会に良さげな概念並べたものはやはり覚悟がなく偽善的作り物でつまらない。食べたことのない果物をいくら説明してもやはり幻想果物だ。本物の果物を食べさせろよ。それには得するではなく損する覚悟が必要なんだと思う。
2025年2月15日土曜日
[8712] 自画像
●自画像
写真は2020年コロナ禍で
「ワシなど軟弱だから、コロナで死ぬかも知れない。
死ぬ前に世間を脱した本当の己の絵を描きたい」
そして描いたのが
『自分のいない自画像』だった。
椅子と椅子の絵があるだけの空間だ。
とても気に入っている。
これが今わかった!
猫がいない涅槃図と同じ表現だ!
2025年2月14日金曜日
[8711] 猫とニルバーナ
●猫とニルバーナ
明日は2月15日、お釈迦さんの命日だ。亡くなった時の絵が涅槃図だ。
涅槃図には猫が描かれていない。あらゆる動物から架空の生き物までいるのに一番身近な猫がいない。猫作家としてはこれば大きな問題だ!
そこで考察。数年前、猫がいない理由を旅行記『無我の意図』に書いた。一つは当時の画家が「身近な猫をわざと描かないことで全ての生き物を表現した」。本来無一物中無尽蔵だ。もう一つが「この涅槃図を描いている画家が猫だから」だ。つまり二つ合わせて『無我』を表現している。
こんな表現ができるのは猫が涅槃だからだ。ちなみに涅槃とはニルバーナ、捉われからの解脱、悟りのことだ。猫がいるような暮らしがニルバーナかも。だから猫如来として瑠璃寺に祀られ、山形に猫の寺ができたのさ。