2024年5月3日金曜日

[8424] 簡単

 ●簡単

今日はひっきりなしにお客さんがやってきた。

個展に来たワハハ本舗の佐藤さんに『わ』の図の話をした。

図の作り方を教えたら、佐藤さん曰く「複雑なのに、簡単に元に戻ることが面白い」と。

確かに。

いつも冷静に新しい視点でものを捉える方だ。

思ったのは昔の日本家屋は大黒柱を外せば簡単に解体できた。

そしてもう一度簡単に組み立てられる。

そうそう僕の父親がやり始めた蕎麦屋は200年前の建物で

村山市(僕の故郷)から50キロ離れた天童市(佐藤さんの故郷)に解体して運んで組み立てたものだ。

今は孫夫妻がカフェ&蕎麦屋をしている。







2024年5月2日木曜日

[8423] 食事

 ●食事

 久しぶりの東京で朝食。パンとコーヒーとヨーグルトとプリンとサラダ、ふと思った。なんなんだ、これらはみな味のついたドリンクではないか! 想像図に未来の人間は顎が小さいというのがある。こういう食事を好むせいだな。口の中で溶けるような肉とか望む、どう考えてもそれはドリンクだ。人間の食い物が全部猫のチュールに見えた。宇宙食なんかもチュールだ。人間みんなして自ら大量工業製品のチュールを飲む方向へ進んでいる。支配者を責められるわけがない。

 将来は猫も顎が小さくなって漫画みたいな可愛いぷくぷくになるんだろう。チョコがバリバリネズミを食ったりネジや画鋲やボタンを齧るのはこのような方向に対する抵抗だろうと思った。野生を忘れないように。





2024年5月1日水曜日

[8422] 搬入展示

 ●搬入展示

東京は5年ぶりだ!

谷中はあまり変わりないね。

さて展示です。

まぁ、こんなもんだろう。

いつも4時起き17時夕飯21時就寝。

ほんに疲れました。

もう寝るわ。

明日頑張るぞー、よろしく。




2024年4月30日火曜日

[8421] 真似

 ●真似

作品送ったぞー! どっかどしたはー

個展にはオブジェ116点、ペリペリ画62点。明後日から始まります。

下記がペリペリ発見のなんとなくわかったことです。

「私が生きるには私の周りが必要だ。例えば空気がないと生きてゆけない。ならば私の周りだって自分だ。私は『私という自分』と『私以外の自分』で『全私』なのだ。『私以外の自分』は私から離れているから、無視してしまったり不可解だったりする。しかしそれらがないと生きない自分なのだから、ちゃんと観察学ぶべきだ。

 私がアートをやり始めた頃、誰もがそうするように、周りにある興味深い作品に出会うと、好き嫌いや良し悪しに関係なく、その作品の影響を受け、それを自分流に曲げたり取り入れたり真似したりした。そのことによって私の中にあった『私以外の自分』を発見する。それは新鮮で自分の幅も広がった。これらは真似ているのだからオリジナリティとは真逆のものだ。しかし完全な真似でないし『私以外の自分』を真似ているのだから、それも自分な筈だ。否、それは自己正当化の言い訳に過ぎない。真似たら『真似ない自分』を蔑ろにしていることになるのだ。『全私』ではなく『真似ない自分』が取り残されているのだ。

 これに気づいた時、崖っぷちに立たされたような感じだった。そんな崖の縁で、偶然、ペリペリを発見した。今までに味わったことのない感動であった。ペリペリの行為は『無の真似』だ。つまり『真似無い自分』だったのだ」






2024年4月29日月曜日

[8420] 旗立て

 ●旗立て

旗立て担当だと言われたが、何をするのかわからない。

前の旗立担当二人に聞いたが「忘れた」と答える。

組長に聞いたら「朝6時に神社にきてください」とだけ。

四、五十代とあとは爺さんたちがいた。

重い柱を立てる、みんなそれなりに男らしい。

猫にゃんにゃんの自分がか弱い女性に思えた。

そういや父親が猫を作っている僕を見て

「女の腐ったヤツだ!」と言っていたのを思い出した。

父親も屈強な男だったのだろう。

フンだ。

家に帰って腕立てをした。






2024年4月28日日曜日

[8419] 忘れ

 ●忘れ

ふと思った。

法は今ある法を守るためにあるような。

国は今ある国を守るためにあるような。

政治は今ある政治を守るためにあるような。

お金は今あるお金を守るためにあるような。

今いる人が忘れ去られているような。





2024年4月27日土曜日

[8418] 我礫

 ●我礫

オスが作った社会だから

押すが優勢なのだろうか?

ペリペリは引きだ。

地域や建物にもよるが

玄関のドアは引くドアにした方がいい。

もし地震があって瓦礫に囲まれたら

押すドアでは開かなくなる。

瓦礫=我礫には引きで対処。

良きお客さんを招き入れる意味でも引きがいい。

招き猫の手はそのような手だ。





2024年4月26日金曜日

[8417] トランスベスタイト

 ●トランスベスタイト

今日は30度近い、山はいっきに緑。

トランスジェンダーという言葉を聞いて

ふと昔を思い出した。

大昔、二十代後半

『トランスベスタイト展』というのをやった。

その時の写真を探したけど見つからない。

代わりに絵の前に立つSSの写真が出てきた。

隣で足の裏にヤスリかけているSSを見ながら

「ふーん、若かったのね」





2024年4月25日木曜日

[8416] 再度個展案内

 ●再度個展案内

いつもの谷中での個展です。

タイトル:猫頭態象(ねこあたまたいぞう)

東京都台東区谷中、ギャラリー猫町

5月2日〜5日まで

5月9日〜12日まで

木曜日から日曜日までの週末2週に亘って。

2、3、4、5、11、12は顔出します。

では、よろしく。




2024年4月24日水曜日

[8415] 至高体験

 ●至高体験

ペリペリが国外で個展されそうです。

ありがたい嬉しい話だ。

ペリペリは智慧だと思う。

真理に反したものをペリッと剥ぎたくなる。

意志と関係無く濁りを剥ぎたくなる。

坐禅や瞑想の部類だ。

だから智慧だ。

歳を取るなんてのは

その前の若さをペリッと剥ぐようなものと知れる。

停滞しているものの見方、捉われている考え、

本末転倒している考え、後天的思考、固定概念、

これらを剥ぐ。

ペリペリ剥がれれば遮るものがないので

頭の中に心地よい風が吹く。

秋の金木犀の香りとか、寒い日の暖かい陽射しとか、

苦悩がペリッと剥がれるからこそ

人は無に包まれていることを体感する。

知識の積み重ねではなく行為が剥がすことに繋がる。






2024年4月23日火曜日

[8414] 見方革命

●見方革命


ペリペリを見た多くの人が

「紙を貼っているのですか?」と聞いてくる。

全く貼ってない。

このような言葉からふと思った。

人の意識は増やす側にいるのだろう。

歳を重ねるのはイヤなのに。

増やさない側に立てば

内部に見方革命が起こると思う。






 

2024年4月22日月曜日

[8413] 草

 ●草

今年は雪があまり降らなかったので

草が生き生きしている。

土の出ているところが少なく

密集しているのでふかふか。

このまま草刈りなしでいけないかしら?






2024年4月21日日曜日

[8412] 立体感

 ●立体感

人間は立体的に生きている。

二次元の絵で言えば塗り重ねれば立体感が出る。

それにペリペリすれば深さの立体感が出る。

『深い』という言葉は心地良い。

庭の桜、今は枝を離れ花吹雪。

ペリペリだね。 






2024年4月20日土曜日

[8411] ペリ・キズ・シミ

●ペリ・キズ・シミ


一般的な絵画は塗りや重ねだ。

僕の絵の技法は反対のペリペリ。

ペリペリの他にキズとシミがある。

朝、顔を洗って鏡を見た。

顔はペリ・キズ・シミだらけ。

あー、自画像を描いていたのか!




2024年4月19日金曜日

[8410] 女王

 ●女王

 山の恵み、コシアブラをいただいた。すこぶる美味しい。さすが山菜の女王だ。

 人は自分で生きていると思い込み、自己中になって金が多いと偉ぶる。このような高慢が間違いの元だ。

 自分が生きている基本の心臓や呼吸は自分がやっているわけではない。自然の仕業だ。それに食べ物である野菜、種を撒けば何もしないでも勝手に芽が出て食べ物になる。庭にはそんな食べ物が結構生える。肉にしても植物を食った動物の身体だ。元は植物だ。科学がいくら発達しても野菜一つ作れてない。全て自然から略奪加工して、のんびり只で植物食べて暮らせる豊かな生活を農薬だ機械だと忙しく金のかかる面倒なものにしている。

 人間は元来自然だ。『自分』とは「自然の部分」だ。部分が本体の自然を蔑ろにしていることが高慢無知だ。人間は普段から自分を自然より高いところに上げてモノを見る。その視点を山の頂上だと勘違いし、誰も彼もが高いところに行こうとする。そこに山の女王はいない。

 そこで間違いに気づき、とりあえず高いところから降りる。ついでに大きなものから離れる。冒険だね。これは心に溜め込んだ思考を脱ぎ捨てることだ。溜め込んだ思考は高い大きいが好きだから、こいつが部分だ。部分は自分で全体になろうと金と理屈と力を欲しがる。

 人は煩悩が多い。英語では『our evil desires are limitless』だ。煩悩を引き算したくないので反対に正当化する言い訳の言葉を加える増やす。思考は言う「欲は大事だ」とかさ。思考は高、多、増、大、永遠など加算するのに明け暮れる。そんなもん忘れるのに。

 だから僕は反加算のペリペリを発見したのかもしれない。あの発見は女王に逢った感動だった。